第40章 言葉は生きもの(1)
夕方ちかくまで話しこんだ4人ではあったが、それぞれ家路につく時刻となったので語りたりない思いを断ちきり、再開を約束
して別れたのであった。ミルンの家はナオが降りる駅より3つ先へ行った街にあるので、2人はおなじ電車に乗っていた。
「翻訳の仕事っていいわね、自宅でできるんだから」
つり革にぶら下がったナオがいった。
(中 略)
経文図書類は、はじめから宗教団体が自分たちでまとめてるから、翻訳業界の出番はないのね」
「へえー、山門にかかげる寺の名は漢字のままでいいけど、お経は仮名にしなきゃだめってわけか」
ナオは変に感心したのであった。
「翻訳業務契約社員の7割かたが女性なんだけど、まだまだこの仕事はつづきそうだわ。巨人族のおかげね。とにかく現在は国
中が、いえ、全星中かもしれないけど、巨人族を中心に物ごとがまわっているのだから」
(中 略)
「内戦だって立派な戦争よねえ」
ナオは思わず口走ってしまった。
「え? 立派な戦争?」
ミルンがびっくりした声で問い返した。
「ん? あ! 戦争には立派もくそもないのよね」
とナオが笑う。ミルンも笑ってしまったが、
「そう、戦争はみなクソだわ。とにかくあそこの大陸の人たちは、どうしようもなく戦争ずきなんだから。まさに“熱い大陸”
ね」
と、すぐに真顔にもどっていった。
「主義主張のあらわしかたがストレートすぎるのよね、武力にうったえるやりかたって」
ミルンもナオもおなじように、大の戦争ぎらいなのであった。
ナオは電車を降りて自宅へむかう途中、『柳句の効用』のなかにあった「漢字が捨てられるのは《やむをえまい》」と、比較的
おだやかな調子で書かれていた部分をおもいだしていたのであった。
住み分けという言葉があるのだが、いろいろな生物世界での住み分けは、はっきりとした地域的な、区域的な隔たりが明瞭であ
る。異種の生物群が、暗黙の了解でもあるかのように、たがいに棲息区域をわかちあって棲んでいる。とはいうものの、狩をする
がわと狩られるがわとの、弱肉強食の立場の違いがあまりにもはっきりしすぎているので、その住み分け区域のわかちあいかたは、
“暗黙の了解のもとに”などというのんきな落ち着きかたではなく、熾烈な生存競争の結果にたどり着いた、終局の生息方法かも
しれないのだが。
(中 略)
言語をもつ人間社会での住み分けは、日常生活のなかで言葉を媒介として発生することになる。すべての生物がもっているにち
がいない住み分けへとはたらく遺伝子が、言語をもった生物である人間に作用をおよぼすときは、言葉のうえにその現象が生じて
くるのである。仲間どうしの結束を強めたり、他者の排斥を試みたりする心理作用が、人間社会では、言葉に反映されるのはごく
自然な成りゆきだといわなければなるまい。
(中 略)
仲間うちの結束と既存集
団からの離反という心理作用=住み分け作用をはたらかせながら、言葉は新しい方向へとすすんでゆく。まるで生物が進化するよ
うに、言葉は生き物のように変化していくのである。
(中 略)
交通や通信の未発達だったむかし、それまで住み慣れた集団=コミュニティを追われた異端の一団が、あるいは意図をもって新
天地の開拓を目指して冒険の旅にでた一団が、さらには、膨張しきったコミュニティからあふれて脱出をはかった集団が、広大な
砂漠や大海、高い山脈や険しい渓谷、大きな河やうっそうたる密林など、そうした地理的なさまざまな障害を越えて、それぞれが
想い描く“約束の地”へ踏みこんだとき、乗り越えてきたそのようなけわしい自然条件にさえぎられて、元のコミュニティとの隔
離が進んで、ついに著しい住み分け現象が発展することになったのであった。その結果、新しく誕生したコミュニティごとに、し
だいに異なった言葉を話さなければならなくなったわけである。
はじめはおなじだったコミュニティ内で用いていた言葉を、新しくできた分断された各々のコミュニティでそれぞれちがった方
向へすすませたのは、いつも“生きている言葉”を使う若い世代の人々なのであった。長老格の人々と意見の違いがでてくると、
自然に新しい言葉が誕生している若い世代の人々は、内輪で通じあう新語をつくりだして、安心感を得るとともに連帯感を深めて
いくのであった。若い世代の者たちが自分たちの世代で共用する言葉づかいに慣れはじめると、隔絶された各々のコミュニティど
うしの言葉は、しだいに異なったものとなってしまうのである。
ともあれ人間の場合は、言葉の流動によって住み分け区域の色分けができることになり、言葉の異なる部族が形成され、民族が
形成され、国家が建立されてきたのであった。
(中 略)
ナオの国には、社会生活のほとんどにわたって住み分けの習慣があった。さまざまな異なる分野があって、その異なる分野に意
見や批評を申しでるなどとは、礼儀をわきまえない越権行為とされるのであった。いわゆる部外者からの“口出し”“手出し”は、
タブーなのであった。異なる立場にたがいが侵入したり逆に荒らされたりすることを嫌っての、暗黙の仁義とでもいうべき、相手
の立場を尊重しての一種の遠慮なのであった。とにかく住み分けは世間全般、社会のすみずみまで行きわたっているので、人々は
誰しも、すこしも気になどしていないのであった。よその集団の不合理ぐあいなどは、部外者の立場からいちいち気にしても仕方
がないのだと、諦めの秩序が身についてしまっているのであった。
(中 略)
四方が海であるという閉ざされた環境下で、その渚線の内がわだけでくりひろげられる、非常にこまやかで人情味にあふれる、
阿吽の呼吸で行動する気づかいが尊ばれるようになってしまったのだった。阿吽の呼吸で物ごとをすすめるやり方は、アンフェア
な行為に多少は目をつむることにはなるものの、ある意味では、“きわめて人間的な感情”が育まれているといえるのであった。
阿吽の呼吸や腹芸は、争いごとを忌避するために知らず知らずのうちに受けつがれてきた、“人情の昇華”された結果といえるの
である。そういったナオの国での、住みわけて争いを避け、ほどほどにたがいの利益をまもろうとする気持ちは、そのまま言語に
も反映されているのであって、その言語がまた、民族の思考にフィードバックされているのであった。