場末の喫茶店にて

2002年冬。

 

それほどまでにあなたは手を震わせていた。
それほどまでにあなたは言葉を詰まらせていた。
それほどまでにあなたは怯えながらも必死にわたしの眼を見つめようとしていた。

そこは場末の喫茶店。
時間はPM4時。
店内に客はわたしひとりだった。

おそらくアルバイトで雇われたのであろうあなたは
ぎこちなく あくまでぎこちなくわたしに紅茶を差し出した。

あなたの手の震え、
あなたの濁った声、
あなたの怯えた瞳、
それらすべてが、あなたが心を病んでいるひとだということを
残酷に語っていた。

あなたはわたしが紅茶をを飲み終えて
レジの前に立つと震える手でレジを叩き会計を終わらせた。

店から出て行くわたしに
あなたは小さな、あくまで小さな声で
「ありがとうございます・・・」と
言ったのだった。


その後、わたしはあなたがどうなったのか知らない。
しかしわたしは思った。
あなたはもう大丈夫だということを。

紅茶を運び、レジを打つ。
これだけ、ただこれだけのことでも
それができるならばあなたはきっと生きてゆける。

生きるとは自分を生かすことだ。

あなたが一生を場末の喫茶店のウエイトレスで終わろうと
誰にもあなたを誹謗することはできない。

懸命に生きようとする人間を馬鹿にする者こそ本当の馬鹿だ。

だからあなたよ。
堂々と生きてくれ。
一生を障害者のウエイトレスとして
胸を張って生きて欲しいとわたしは思うのだ。

あなたが一日の仕事をやり遂げる時、そこに満足が生まれる。
満足の積み重ねは自信を産み
自信はやがてプライドへと飛翔するだろう。

プライドさえもっていればあなたは
どんな他人の悪意の攻撃にも
決して潰されることはないのだ。

生きてくれ。
胸を張って。
これからもずっと。


今。
ためらいながら
本当にためらいながら
あなたは世界への第一歩を踏み出す。

 

(決定稿2002年12月16日)