トイレのない街

(2017年9月26日(火曜日))

 

 

 神保町の古書店街を歩いている。

 神保町は何百件という古書店が軒を連ねている。
 わたしはふとある古書店にスルリと入り込む。

 わたしはニヤニヤしながら棚を見る。
 渡辺武信詩集『首都の休暇』、鈴木志郎康詩集『家の中の殺意』、会田千衣子『幻祷詩集』(限定300部版)等々。

 わたしはニヤッと笑って呟く。
 わたし「いらないな~。。。」

 詩集というのは「大きい本はダメ」なのだ。
 詩集は小さく薄くなくてはならない。
 こんなことは飯島耕一も強調している詩集コレクションのイロハである。

 わたしは店の奥に歩を進めようとする。
 そのとき。
 わたし「ん??」
 なにか変なのである。もちろんわたしの体調が。
 はっきり言って便意である。それも大のほう。

 「キターーーーーー!!」
 わたしは涙ながらに絶叫する。

 不思議なことに古書を漁っているときというときは下痢を催しやすいのである。
 古書と下痢、この関係はどういうわけか古書マニヤの世界では意外と有名である。

 わたしは古書店を飛び出して、トイレを探して走り出す!!
 わたし「便所、便所はどこだ~!?」

 しかし不思議なことに古書店という店は絶対に客にトイレを貸さない。
 古書店はなにかトイレに特別な秘密があるのだろうか??
 絶対に古書店では客にトイレを貸さない。これはこれから古書を蒐集しようと思っている方ならば絶対に覚えておくべき鉄則である。

 わたしは神保町を駆けずりまわる!!
 コンビニに走りこむ!!
 しかしこういう張り紙がしてあることが多い。「当店ではお客様にトイレをお貸しできません。」

 まったくコンビニという奴らは一片の慈悲精神を持ち合わせていないのか!!

 そんなことをやっているうちに限界(リミット)が迫ってくる。

 そうだ!!
 古書店がダメなら新刊書店に入れ!!
 というわけで、わたしは靖国通りの裏通りにある東京堂書店に駆け込む。
 ここの二階にトイレがあるはずだ。

 わたしは階段をダッシュする!!(エレベーターを待っているなどという悠長なことはやってられないのだ。)
 二階に到着。
 トイレに駆け込む。
 しかし。・・・誰か入っている。
 わたしはついにしゃがみこむ。脂汗が額から滴り落ちる。

 わたしは「もうマジ限界だ。いっそ小便器でやってしまうか!?」

 まさにぎりぎりの選択。

 そのとき。
 「ジャー・・・」という音がしてオッサンがもっそりとトイレから出てくる。
 オッサンがわたしをじろじろ見ているのにもかかわらずわたしはトイレに駆け込む!!

 わたし「間にあった。・・・」(お花畑)

 さてこれから神保町に行ってみたいと思っている読者諸氏よ。
 絶対にトイレがどこにあるのか確認してから行ってください。
 東京堂書店二階のトイレは大抵誰かが入っており、しかも中でなにか怪しいことをやっているのかどうかわかりませんが、なかなか出てきてくれません。

 結論。
 神保町では基本的にトイレはないと思ってください。
 そのことを忘れると ヤ・バ・イ ぞ。



 (了&合掌&南無阿弥陀佛)

 

(黒猫館&黒猫館館長)