古書蒐集のために生まれてきた男

 

(2017年9月16日)

 

 寝ているときは東京の古書店に行く夢を見る。
 朝は遥かに遠い古書のまぼろしにうっとりしながら目を覚ます。
 夕方は必ずブックオフに顔を出す。
 寝る前は必ず「日本の古本屋」でひととおり探求書の検索をする。
 夜はまだ入手できていない古書のために涙ぐみながら入眠する。・・・


 こんな生活をいったい何年続けてきたのだろうか。
 もう100年も続けてきている気がするし、ここ2~3年しかやっていない気がする。
 
 つくづくわたしは古書に魅入られた人間なのだと思う。
 もう15年ぐらい前だと思う。
 「古書のために生き、古書のために死す」というような短歌を作った気がするが、それが現実になってきた感じがする。

 孔子は『論語』の中で「五十にして天命を知る」と説いたが、わたしも最近「じぶんが古書蒐集のために生まれてきた」という自覚をありありと感じている。

 恐らくじぶんから古書を抜いたらなにも残らないだろう。
 それほどわたしは古書蒐集一筋に生きてきた。

 恐らくわたしは非常に幸運な人間なのだろうと思う。

 一生かかっても自分の本当にやりたいことがわからない人間なんて一杯いる。
 それどころか、その本当にやりたいことが「実は犯罪だった」なんていう人間だって少数だがいるのだろう。

 そういう人間たちに比べたらわたしは遥かにシアワセである。
 若い頃はじぶんの出生を呪った時期もあったがわたしは今、人生が満たされている。
 
 わたしはいわゆる「社会的な成功」を収めることはできなかったが、古書という人生の伴侶とめぐり合うことができたのだ。
 これを僥倖と呼ばずしてなんと呼ぼう。


 さて2015年8月、わたしは戦後詩集最後の難関である高橋睦郎『ミノ あたしの雄牛』(砂漠詩人集団)を入手した。
 「その瞬間がまさに人生における『頂点』だったな。・・・」とわたしはつくづく思う。
 その後の人生はなにか後日談を生きているような気がする。

 しかしまだまだわたしは若い。
 このまま安楽にぬくぬくと老いてしまうのはあまりに人生がもったいない。
 これからまた未知なる書物を求めて、疾風怒涛の古書の世界にフルダイブしてゆく所存である。

 わたしの持っている古書小説の金字塔&梶原季之『せどり男爵数奇譚』(桃源社&特装50部版)には「夢は大きく」という識語が入っている。
 わたしにはこれが「神様からのメッセージ」に思われる。

 いざ、日本一、世界一のコレクターへ!!
 
 わたしの古書蒐集人生はいまだ「前編」である。

 

(黒猫館&黒猫館館長)