わが心のろんぐらいだぁす!

(講演日=2017年8月12日)

 

 

 

 

 わたしは京アニ制作の大ヒットアニメ『けいおん!!』の大ファンである。

 しかしなぜそんなに『けいおん!!』が好きなのか??と問われると答えに窮する。
 「とにかく唯が好き!!」とか「唯が頑張る姿が好き!!」とかいう抽象的な答えをするしかないのであった。

 そんなこんなでときが経った。
 2016年春、わたしは『ばくおん!!』というアニメに夢中になった。
 この『ばくおん!!』は『けいおん!!』とどこか似ている。もちろん題名が似ているなどという表層的な話をしているのではない。
 もっと深層の物語構造が似ていると思ったのだ。

 そんなモヤモヤした考えを引きずりながらも2016年も終わりに差し掛かった頃、わたしは『ろんぐらいだぁす!』というアニメに出逢った。

 この『ろんぐらいだぁす』というアニメがどういうアニメか簡単に説明すると、主人公の女子大学生&倉田亜美が自転車に乗る楽しみに目覚めて、幼馴染の新垣葵とツーリングするようになり、さらには大学の先輩である西条雛子や一ノ瀬弥生、さらにはプロ級のサイクリストである高宮沙希と出会い、サイクリングチーム「フォルティーナ(ローマ神話に登場する運命の車輪を司る幸運の女神に由来する)」を結成し「フレッシュ(公式に定められた自転車競技会)」を目指すという物語である。

 この主人公&倉田亜美はアニメ中盤でサイクリングチーム「フォルティーナ」のチームジャージを作ろうと躍起になる。この姿がなんとも微笑ましいのであるが、ここでわたしは何かに気づいた。つまり『けいおん!!』『ばくおん!!』『ろんぐらいだぁす!』に共通する物語構造の深層を垣間見たのである。

 わたし「そーだったのか!!」

 さて話が転じるが、わたしは大学の学部学生時代に教育学科に所属し教育学を専攻していた。
 大学で教育学を専攻した人なら誰でもわかってくれると思うが、大学一年で嫌というほど勉強させられるのがエリクソンの発達段階説とマズローの欲求五段階説である。

 ここでは話を明確にするため、マズローの欲求五段階説を例に出して論及してゆく。

 さて諸君、下の表を見てくれ給え。

 


 ↑これがマズローの欲求五段階説である。↑
 
 簡単に説明すると、人間の人生は五段階に分節することが可能であり、その五段階によってそれぞれの時期の欲求が定められている、というのがマズローの欲求五段階説の要旨である。

 すなわち、人間の一生は、

 ・乳幼児期は「生理的欲求」=(食事&排泄&睡眠の欲求)
 ・少年期は「安全の欲求」=(住居&家庭の一員でありたいという欲求)
 ・青年期は「社会的欲求」=(社会&組織&グループへの所属と承認の欲求)
 ・中年期は「尊厳の欲求」=(自己の内面を充実させたいという欲求)
 ・老年期は「自己実現の欲求」=(自分の人生を理想的に完成させたいという欲求)

 の五段階に分節できるというのが、マズローの唱えた「欲求五段階説」である。

 さてわたしはここでハッと気づいた。

 「けいおんの唯もばくおんの佐倉羽音もろんぐらいだぁす!の倉田亜美も全く同じことをしているじゃん!!」

 すなわち「組織への所属と承認の欲求」を満たそうともがいているのだ。
 この三人が揃いも揃って共通して。

 これはどういうことか?
 もっとわかりやすく説明しよう。

 けいおんの唯は軽音部に所属してギターを弾き、軽音部の一員として承認される。
 ばくおんの佐倉羽音はバイク部に所属し、バイク部の一員として承認される。
 ろんぐらいだぁすの倉田亜美はサイクリングチーム「フォルティーナ」に所属して、フォルティーナの一員として承認される。

 つまりけいおんの唯もばくおんの佐倉羽音もろんぐらいだぁす!の倉田亜美も青年期(12歳~22歳)の「社会的欲求」を満たすために悪戦苦闘するという同一の物語構造を持つ物語の主人公だったのである。
 違うのはその欲求を満たすための「手段」がギターであるかバイクであるか自転車の違いだけである。

 つまりけいおんもばくおんもろんぐらいだぁす!も青年ならば誰もが直面する問題を描いた普遍的な物語だったのである。こういうものがヒットしない筈がない。

 もっとも、ろんぐらいだぁす!の倉田亜美はお揃いのジャージを作ることにこだわったりグループへの所属欲があまりに過剰である。
 グループ、あるいは組織への所属欲があまりに強まれば、それは所属欲から「組織への依存」へ変わり、さらにその先にあるものはマゾヒズム、あるいはファシズムへの熱狂・・・

 もちろんそういう「危険な部分」を含めての『ろんぐらいだぁす!』という作品の魅力なのであるが。

 さて問題は『けいおん!!』、『ばくおん!!』、『ろんぐらいだぁす!』のみではない。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』に登場した「SOS団」も『僕は友だちが少ない』に登場した「隣人部」も『黄昏乙女×アムネジア』に登場した「怪異調査部」もすべて同一のコンテクストの上で説明できる。
 それほどひろく「所属と承認の欲求」は現代日本のアニメ全般を多いつくすような巨大な問題意識なのである。

 しかし裏を返せば現代の青年たちがどれほど組織への「所属と承認」の問題で苦しんでいるのかということを、この事象は暗示している。

 青年期(12歳~22歳)は社会へ出るための訓練の期間である。
 多くの青年が「学校」という組織で「所属と承認」を得るための訓練に励んでいる。
 しかしこの「学校」がどれほど苦しい場所であるか!!それはこのわたしが身を持って体験したからよくわかっている。

 「組織に所属すること」は喜びであると同時に苦しみである。
 しかしそんな苦しみを経なくては「大人」になることはできない!!

 そんな軋轢を『けいおん!!』も『ばくおん!!』も『ろんぐらいだぁす!』も描いているのだろう。
 願わくば、青年期の発達課題を無事満了して高校を卒業して無事「大人」になった平沢唯の後を佐倉羽音も倉田亜美も続いていくことができますように。

 それが現代アニメの熱烈なファンであるわたしからの『ばくおん!!』や『ろんぐらいだぁす!』といった現在進行形のアニメ作品(2017年1月)の主人公へ贈る熱い人生応援歌なのである。



 (了&合掌&南無阿弥陀仏)
 

(黒猫館&黒猫館館長)