デパートメントH潜入記

(講演日=2015年2月11日)

 

 

  1 人身事故の夜



 「ききーーーー!!」
 不愉快な音を立てて大宮行き京浜東北線が上野駅直前で停止した。

 吊革につかまっていたわたしは予想外のハプニングに倒れそうになった。
 そして無機質な車掌の声でアナウンスが流れてきた。

 アナウンス「え~、みなさま、大変ご迷惑をかけております。只今京浜東北線うぐいす谷駅で人身事故が発生しました。少々このままお待ちください。」

 まわりの人間たちが「ハア~・・・」と深い溜息をつく。
 みな、人身事故のことより自分の予定のほうが大切な事項なのだ。
 それが「都会」というものだ。「都会」というものの掟なのだ。決して「他人に迷惑をかけてはならない」この個人主義のルールを破るものは、たとえ死人といえども都会に住む資格はない。


  ※                            ※

 2012年11月。
 その日はわたしの東京滞在の最後の夜であった。
 学生時代の友人Aと秋葉原でアニメのDVDを漁った後に友人Aと別れたのがPM10時、その後秋葉原から京浜東北線に乗り込んだのがPM10時30分、そして今はPM10時45分である。

 もう1時間15分で今回の東京滞在のメインイベントである「デパートメントH」が始まる。
 わたしは心を急(せ)かしていた。「決して遅れて行ってはなるまいぞ。・・・」
 そんな時に、この人身事故である。わたしは落胆した。


 さてこの夜のわたしのお目当てのイベント「デパートメントH」とは何なのであろうか?
 簡単におさらいしておこう。
 「デパートメントH」は都内では最大と言われる「アンダーグラウンド・エンターティーメント・イベント」と呼ばれる。もちろん「アンダーグラウンド」なイベントであるから少々アダルト&デンジャラスな要素が入ることは言うまでもない。(もちろん違法イベントではない。)

 「デパートメントH」の主催者はこのように謳っている。
 「このイベントはお酒と踊りが苦手な人のためのイベントです。」つまり深夜のイベントにつき物であるアルコールを人体に入れることは「デパートメントH」ではあまり推奨されない。
 またガンガン音楽を鳴らして踊りまくるタイプのイベントとも違う。

 非常に簡単に言ってしまえば「デパートメントH」とはセクシャルマイノリティのためのコミュニケーションを主眼に置いたイベントである。
 そのため全国から女装者&ゲイ&ビアン&SM愛好者などが集結するという。
 しかしそれは「デパートメントH」のほんの一部の側面でしかなかった。私が実際に「デパートメントH」に潜入するまでは。


 京浜東北線がのろのろと走り出し、上野駅で止まった。
 また無機質な車掌の声が聞こえてくる。

 「ええ~・・・京浜東北線は現在、うぐいす谷で発生した人身事故のため運転を見合わせております。お急ぎの方は山の手線にお乗換えください。・・・」

 あたりまえだ!わたしはイライラしながら京浜東北線を降りた。そして山の手線にのって「うぐいす谷」という駅を目指す。良かった。これならAM12時の開場に間に合いそうだ。
 わたしはほッと胸を撫で下ろした。

 さて上野からうぐいす谷まではあっという間である。
 わたしがうぐいす谷駅で降りると、京浜東北線のホームに人だかりができている。
 わたしもそのひとだかりを覗いて見た。すると。・・・

 駅員と警察がなにやらホームと電車の間に挟まっているらしいものを引っ張っている。
 わたしは嫌な予感がした。横では女子学生3人組がなにやらニヤニヤ笑いながらはしゃいでいる。大都会の酷薄さを見る思いでわたしはその場から離れた。

 「死体など見てもしようがないか。・・・」

 さてわたしはうぐいす谷駅を出ると向かって左に左折した。
 「デパートメントH」が開かれるのは「東京キネマ倶楽部」という映画館らしい。
 この方向に行けば「東京キネマ倶楽部」はすぐらしいのだが。。。と思ったらなにやら道路の右端に行列ができている。ここが「東京キネマ倶楽部」であるらしい。

 


 (↑東京キネマ倶楽部)


 わたしは行列の一番うしろに陣取るときょろきょろと周りを見回した。
 わたしが「デパートメントメントH」の存在を知ったのはマイミクA氏の日記からである。今日、この夜、マイミクA氏と初対面する予定だったのである。
 しかしA氏らしき姿は影も形もない。
 わたしはまたも落胆すると道路にしゃがんでしまった。今日、一日東京を歩き回ったので正直足が痛いのだ。さらになにやらもやもや眠気の前兆らしきものが脳内でうずく。

 良くない。これは良くないぞ。イベントの時間はAM12時からAM5時までである。
 もう疲れてしまっていてはこれからとてももたない。

 そのように考えてわたしはもう一度、ぴりッ!と立ち上がった。
 時間はそのときちょうどAM12時、「東京キネマ倶楽部」への入場が始まる。わたしはのろのろ歩きだした。
 「東京キネマ倶楽部」に入るとエレベーターがある。このエレベーターで2Fまであがるそうである。わたしはエレベーターに乗った。す~とエレベーターが動き2Fで止まった。ドアが音もなく開く。

 その瞬間、わたしは「ウアッ!!」と仰天した。
 なんと水槽に美女が横たわっている。しかもあまりにあられもない姿で。この美女こそ「デパートメントH」名物「水槽ガール」であったのである。


 唖然としているわたしを尻目に入場者がどんどん入場してゆく。わたしは気を取り直した。
 しかしそれはまだ今までのわたしの人生からは想像を絶する驚くべき世界の入り口でしか無かったのである。






(2)大ホール入場。



 水槽ガールに唖然としたわたしは気を取り直して受付に向かった。無論、入場料を支払うためである。受付には遊び人っぽいお姉さんが座っている。

 わたし「あの~中でコスプレするんですが~・・・」
 お姉さん「では衣装見せてくださーい!!」
 わたし「これです。」

 わたしはリックサックから秋田のイベントでは必ず着るチャイナドレスを出してみせた。
 お姉さん「はーい!!3000円でーす!!」

 普通の格好の人は5000円、コスプレする人は3000円なんでそうである。
 「コスプレイヤーで良かった。・・・」と胸を撫で下ろしながら入り口に向かうわたし!

 すると。

 なにやら入り口に人だかりができている。
 今度はなんだ!?とわたしも接近してみると若い水着のお姉さんの前に男たちがしゃがんでいる。
 このお姉さんこそデパートメントH第二の名物「落書きガール」だったのである。

 


 落書きガールは散々落書きされても嫌な顔せずにニコニコ笑っている。
 これが作り笑いなのか、それとも地で笑っているのか、そのときのわたしには判別がつかなかった。

 わたしはペンを取って落書きガールの腹に「I LOVE YOU」と落書きしてみた。落書きガールはわたしの顔を見てにっこり微笑んだ。

 さて落書きガールを後にして会場に入ると、これは広い!!

 1000人ぐらいは入られる大ホールである。しかもステージに向かって反対側に2Fと3Fまである。まるでオペラハウスのような巨大な会場にわたしがあっけに取られていると、わたしの周りでくるくる踊りだした者がいる。
 な・・・なんだ!?コイツは!!・・・と良く見てみると顔がアニメ顔をしている。これは着ぐるみの中に人が入っているらしい。顔だけではなく全身が厚手のタイツのようなものでピッタリと覆われている。これがデパートメントH第三の名物である「ドーラー(着ぐるみ愛好家)」であった。
 わたしはこういう人間に今まで出会ったことがないので、非常に驚いてしまった。
 しかしデパートメントHではドーラーなど普通の存在であるらしい。


  

 


 (↑会場のあちこちに沢山いた「ドーラー」。)


 ドーラーはなおも踊っている。
 わたしはちょっとドーラーにちょっかいを出してみたくなった。わたしはドーラーの肩をぐいッ!と掴んでみた。するとドーラーは無言で立ち止まってポーズを取った。
 これはどうやら「写真撮ってください。」という意思表示らしい。
 
 わたしはカバンからデジカメを出して、ドーラーを写真に撮ってやった。するとドーラーは嬉しそうにわたしにキスする真似をしたかと思うと、またくるくる踊りながらどこかへ去ってしまった。

 「全く陽気な連中だぜ。・・・」とデパートメントHの予想外の明るさにわたしは早くも圧倒されてしまった。しかしそうこうしている間にも会場には人がますます入ってくる。

 「早くチャイナドレスに着替えなくては。・・・」とわたしは更衣室に向かった。そこにはなんと。・・・





(3)ショータイム開始



 わたしはチャイナドレスに着替えるため、更衣室に向かった。
 なんでも更衣室はステージに向かって左側にあるらしい。人ごみを押しのけて歩き続けるとようやく更衣室が見えてきた。

 わたしはひょいと更衣室にはいった。
 その瞬間。
 ん?女性が3人着替えている。・・・ヤバイ。女子更衣室だったのか。・・・わたしの背中を冷たい汗が滴り落ちる。

 わたしはひょいと顔を引っ込めた。
 わたしはスタッフにもう一度更衣室について聞いてみた。するとやっぱり同じ場所が男子更衣室だという。

 「おかしいな~、どういうことだろ?」とひとりごちながらわたしはもう一度、ひょいと更衣室に入ってみた。なおも女性三人は下着姿で着替えている。

 わたし「あの~、、、ここ男子更衣室のハズですが、、、」
 わたしは思い切って女性三人に訊いてみた。すると。

 女性「ああ~別に気にしないで着替えてください~。。」

 なるほど~。そういうことか。わたしは深く納得した。
 デパートメントHの世界では「男」だとか「女」だとかの『属性』はどうでもいいことなのだ。
 デパートメントHでは男も女もゲイもヘテロもドーラーもゼンタイフェチもSM愛好者も女装子も「単なる人間」としてすべて平等なのである。 
 なんという自由の天地であることか!デパートメントHとは!!

 わたしは感心しながら女性3人の横で着替え始める。
 ズボンを脱いでタイツを穿く。
 シャツを脱いでドレスを羽織る。
 秋田から重い重いと唸りながら持ってきたハイヒールに足を入れる。
 そしてウィッグを頭にかぶればたちまち女装子一個たちまち完成!

 わたしは女性三人に挨拶すると更衣室から出た。
 女性三人「いってらっしゃーーーーい!!」

 わたしはステージ右側にあるクローク(400円)に荷物をわたした。
 さあ!これでようやく「活動開始」!!である。

 女装して重い荷物をクロークに預けた瞬間にようやくデパートメントHの世界に身も心も溶け込んだ気がする。

 ステージ上ではスタッフの挨拶が終わったところで、なぜかあの能天気な「サザエさん」の音楽がかかっている。

 「いや~明るいな。非常に明るくてみんな解放的だ。なんだかわたしも気分が軽快になってきたぞ。」そんなことを呟きながら、ステージ上で始まった「オトナの特撮ショー」とも言うべき珍妙な劇をぼんやり見始めた。


 

 


 (↑オタク向け?オトナの特撮ショー)


 なにやら怪人と正義の味方が戦っているらしい。デパートメントHにはこういうオタク向けの要素もある。非常に間口が広いイベントなのである。

 デパートメントHではリア充もオタクも関係なし!!

 わたしがそのことに感動しながら劇に見入っていると、わたしの後ろに音もなく立ったものがいる。
 
 やがてその者の手がゆっくりとわたしの胸を掴んだ。



 (4)に続く。


 (4)未知との遭遇


 ステージ上ではオトナの特撮ショーがタケナワである。
 その下のステージに向かって左側付近にわたしは居た。
 明らかに後ろに人の気配がする。

 なにかヤバイ予感がするな。。。
 と思った瞬間、にゅ~、、、と腕が伸びてきて、わたしの胸を掴んだ。
 そんなに強く握りしめるというほどではない。軽く掴むくらいの感じである。

 わたしは自分でも不思議なほど驚きはしなかった。
 まあ、場所が場所なだけにこういうのが「必ず来る」と軽く予感していたぐらいである。

 時間が突然ゆっくり感じられるようになった。
 わたしの頭の中で高速でこの事態に対する対処が講じられていく。

 わたしはコイツは「痴漢」ではないな、と思った。なぜならわたしは女装する時に面倒なので偽乳は入れない主義である。
 相手もわたしが女性ではないことを知っている。
 すると残る可能性は「ゲイ」か。ハッテン場の感覚でこの会場に現れたゲイ。

 それなら話は簡単だ。相手に「わたしはゲイではない」という意思表示をしてキッパリ断れば良い。

 わたしは思い切ってクルリ!と振り返った。その瞬間・・・
 わたしは目玉が飛び出しそうになった。
 相手はSMに使うような黒い全頭マスクを被っている。しかしそれ以外は生まれたままの姿だったのである。

 デパートメントHにこういう男が出現することは知っていたが、まさかこんなに早い時間(まだAM1時30分ごろ)に出現するとは。

 わたしは初めて遭遇する未知なる人種に恐れつつ、声をかけてみた。

 わたし「貴方、いつもこのイベント来るの?」
 男「は、、、はい!来るっス。・・・」
 わたし「ハッテン場とかには良く行くの?」
 男「。。。ハッテンはほとんど行かないっス。」
 
 なんだか男はおどおどしている。それに全頭マスクから覗く眼球はまだウブな20代前半ぐらいの青年に見えた。コイツはいわゆる「プロ」ではないな。「初心者」だ。
 わたしはそのように確信した。

 わたし「残念ながらわたしはその気がないので貴方の相手をしてあげられない。」わたしはキッパリ言った。
 男「う、、、ウッス。」男の声が震えている。わたしはなんだか男が可哀想になってきた。
 これ以上責めるのは止めよう。・・・

 わたし「ところで貴方は何処から来たの?」
 男「川崎っス。」
 わたし「ああ~、、、川崎ならわたしも住んだことあるよ。小田急線のほうだけどもね。」
 男「ウッス。俺は東横線のほうっス。」
 わたし「東横線なんていい場所に住んでるじゃない?」
 男「ウッス。スミマセンです。」

 などなど雑談を交わしているうちに、わたしはまだ若いこの男に親近感が湧いてきた。
 わたし「貴方、ミクシィやってる?」
 男「ミクシィはやってないっす。ツイッターはやってルッス。」
 わたし「ツイッターならわたしもやってるよ。」

 というわけで、わたしと男はツイッター上のハンドルネームを教えあった。
 「ネットの世界で再会しよう!」というわけだ。

 このとき、「記念に」とわたしはこの男とツーショットの写真も撮ったのだが、この写真はとてもではないがネット上にアップできない。わたしと直接会うことのできる人にはこの時の写真を見せてあげることができる。

 男「ウッス、それじゃ。。。」
 男が去ってゆく。わたしは人ごみの中に去ってゆく男の哀愁漂う後ろ姿を見ながら、改めてデパートメントHの凄さを感じていた。
 全く相手を知らない人間同士がたった一晩で友だちになる。
 
 なんというすばらしいことではないか!

 時間はAM2時。
 まだイベントは始まったばかりである。まさにシェリル・ノームではないが『射手座午前2時Don't be late』というわけである。
 わたしは新たな冒険を求めて二階にあがることにした。

 二階でわたしを待ち受けるものとはいったい。。。・・・?





 
 (5)SMエリアへの侵入


 わたしは二階へあがる階段に足をかけた。
 みしッ!みしッ!一段一段上へ上ってゆく。だんだん空気が濃厚になってゆく。

 一階とは明らかに異質な空気を感じながらわたしは二階へ到着した。
 一階よりも凄い人である。わたしは人にもみくちゃにされながらも二階エリアの奥へと進んでゆく。

 すると、物凄い人だかりができている。
 「うひょー!!」根がやじうまであるわたしは人だかりを押しのけて一番前に躍り出た。

 すると。

 黒いビキニパンツ一枚の男(童顔&20代ぐらい)が四つんばいで上を向いている。その男をボンデージの小柄な女がビンタをしたり男の背中をハイヒールで踏みつけたりして苛めている。

 わたしは「はは~」と思った。
 ここはSMマニアが集まるエリアなのだ。そして今、まさに公開SMプレイが行われている最中なのである。

 苛められている男の顔は苦痛に歪んでいる。
 しかし嫌そうな雰囲気はない。男の表情はどこか恍惚としており、眼がトロンとしている。
 
 「Mだ。まさに根っからのえむ男なのだ。こうやって衆人の目の前で苛められることに酔っているのだ。この変態男は(←褒め言葉)。。。」

 わたしが食い入るようにこの俗悪なショー(←これも褒め言葉)を喰い入るように見つめていると「ポン」と背中に手をかけられた。
 わたしはひょいと振り向く。
 すると後ろに、ハイヒール&網タイツ&黒ビキニ&コルセット&首輪&ヴェネチアンマスクで華麗に装ったお兄さんがスラリと立っている。

 わたしはこのお兄さんに声をかけてみた。
 わたし「凄いですね~。。。驚きました。」
 お兄さん「まだまだ。こんなのは序の口です。」
 わたし「するともっと凄いことが起こると?」
 お兄さん「成り行きしだいではね。」
 わたし「ところで貴方もSMマニア?」
 お兄さん「そうですね。」
 わたし「S、それともM?」
 お兄さん「Mです。この世界ではMのほうが本物が多いんですよ。」
 わたし「SMクラブにも行かれるのですか?」
 お兄さん「クラブのほうは滅多に行きません。料金が高いものでね。」
 わたし「するとSMをされるのは?」
 お兄さん「もっぱらこのデパートメントHでです。」

 話がはずむ、はずむ。
 わたしとこのお兄さんは一気に意気投合してしまった。
 そして一緒に写真を撮ろうということになり、一枚写真を撮った。




 眼の前ではさっきのえむ男がぼろぼろ泣き出している。
 それを無機質な表情で見つめるギャラリーたち。
 まさにアンダーグラウンド・エンターティメント・イベントの名に恥じない雰囲気になってきたな。。。とわたしは思った。

 時間はAM2時30分。
 まさに草木も眠るうしみつ時、デパートメントHは最大の盛り上がりを見せて参加者たちの興奮で唸りをあげているのだった。


 

  (6)SMの世界の帝王への謁見


 童顔&20代のえむ男を苛めていたボン◎ージ姿の女が、その男を奥の方へ蹴り飛ばしてこう叫んだ。

 「次!」

 要するに次に苛められたい人間は出て来い、という意味なのであろう。場面が一瞬、凍りつく。
 わたしが「せっかくこの機会だから苛めてもらおうかな~、、、でもちょっと。。。やっぱりな~」などと悩んでいると、太った中年の男が人ごみの中から躍り出てきて四つんばいになった。

 他の客たちはみなくやしそうな顔をしている。
 そりゃそーだ。SMククブでこれをやってもらったら20000円だもんな。当然わたしもくやしい。しかし即断しなかったわたしが悪い。あとの祭りである。

 中年の男は女にパンツを下ろされて、尻をむき出しにされた。
 そして女がバドル(スパンキングに使うための卓球用の板のような道具)をカバンから取り出した。

 ギャラリーたちのごくり・・・とツバを飲み込む音が聴こえてくる。

 女はバドルを振りかざすと、一気にバシイイィ!!と男の尻を打った。
 「ひひ~~~!!・・・」まるで馬のいななきのような声で男が啼(な)く。
 ・・・二発、三発、みるみるうちに男の尻が赤くなってゆく。

 二階フロアが興奮のルツボと化しているとき、わたしは右側に悠々と座っている男性を発見した。この男性は他の平凡な変態男とは一味違ったオーラをかもし出している。
 さらにその悠々とした雰囲気から見るからに「大物感」をかもし出していた。
 この男性がこのSMフロアを仕切っているボスに違いない。
 男性は左で行われている陳腐なSMショーなど見向きもせずに悠々とジュースを飲んでいる。

 「大物だ。この方は大物だ。・・・SMの世界の帝王、それがこの方なのだ。」わたしはそのように推測すると、一礼してからこの男性に接近した。

 わたし「失礼します。」
 男性「うん。」
 わたし「失礼ですがお写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか。」
 男性「うん。」

 これしか会話ができなかった。男性のあまりに巨大なオーラにわたしのような小物はたちまち呑み込まれてしまったのである。



 わたしは写真を撮らせていただくと「ウッス、失礼します。」とまるで徳川家康に謁見させていただいた足軽のようにその場を離れた。

 「バシッ!バシッ!!」
 スパンキングはまだ続いている。打たれている中年男の眼から泪(ナミダ)がほとばしる。

 わたしは「そろそろ行くか。」とつぶやくとSMエリアから離れて、一階へ向かって階段を降り始めた。時間はAM3時、イベントは客たちの咆哮を呑み込みながら、クライマックスへ向かって雪崩(なだ)れこんでゆく。

 

 

  (7)宴、クライマックスへ


 二階フロアからわたしは一階へ降りて行く。すると。・・・

 なんだかさっきより人が増えた感じがする。いや、確実に増えている。
 こんな深夜にいったいどこから人が集まってくるのだろうか。

 人間でぎょうぎょう詰めの一階フロアに降りると、わたしは比較的空いていそうなステージ右側に向かって移動し始めた。

 いや~、それにしても凄い。壮観である。
 ドーラーの数が増えたのはもちろんであるが、ゼンタイフェチ(全身タイツを愛好する方々)やゴムフェチ、さらに生まれたままの姿の男女たちは確実に増えている。

 まさにキッチュ(けばけばしい)、でキャンプ(悪趣味な)で、モンド(別世界の)な異次元空間がうぐいす谷に現出していたのである。

 こういう世界観は日本ではあまり見られないように思われる。
 外国ではジョン・ウォーターズ監督の映画である『ピンク・フラミンゴ』(ドラッグクイーンであるディヴァインがウンコを食べる映画)の世界観に近い感じがするな。。。

 わたしがそんなことを考えながら歩いていると、非常に気合の入ったゴムフェチのカップルに出会った。このカップルは男性も女性も完璧なゴムスーツで全身をまとっている。
 わたしはこのカップルに感動して写真について聴いてみたら即座にOKが出た。
 ゴムカップルの勇姿にふるふると感動しながらデジカメで写真を撮るあまりにも小市民なわたし!


 


 (↑完璧なゴムスーツで全身を覆ったカップル。右が男性で左が女性。)

 そうこうしているうちにステージ右側にあるロッカーのある場所に到着した。
 ここは比較的空いている。わたしはあまりにも疲れたのでウ◎コ座りして周囲を見渡した。

 すぐ目の前ではデパートメントHの名物嬢である「かおりん」氏による「密着マッサージ」が行われている。かおりん氏は水着で客の男の顔面に座ったり、全身ですり◎りしたりしている。
 この「密着マッサージ」を写真に撮りたかったのであるが、客のほうがそれはまずいということで写真は撮れなかったのでした。残念。

 「密着マッサージ」の客の男の恍惚した表情に呆れながら、わたしはまたウンコ座りをした。
 そのとき、うしろから声がかかった。

 「ちょっと、貴方。」

 

 (8)謎のおばさん


 「ちょっと貴方。」

 後ろから声をかけられた。
 ガラガラ声に近い普通ではちょっと聞かない声である。
 この声では男なのか女なのか性別がわからない。

 わたしはひょいと振り向いた。
 すると後ろにボン◎ージ姿のおばさん(女装のおじさん?)が立っている。40代半ばぐらいの人であろうか。デパートメントHの世界でなら普通であるが、普通の感覚では非常に奇矯な格好をしている。

 おばさん「貴方、これ食べなさい。」
 おばさんはいきなりタッパーに入った肉をわたしに差し出した。
 一瞬戸惑ったわたしであるが、まあ好意で接近してくれているのだろうと思い返すと肉を一切れ取って食べた。

 わたし「もぐもぐ。。。」旨い。なかなか旨い肉だ。焼いた肉ではない。蒸した牛肉のようである。かなり上等な肉であることは食物に疎いわたしでも推測できた。

 わたし「美味しいです。はい。」
 おばさん「じゃ、これも。」今度はワインのビンを取り出した。
 わたしは今の時間(AM3時45分ごろ)に酒は飲みたくないな~。。。と思いつつ、「まあ、つきあいだからな。」と割り切って飲むことにした。本来ならばデパートメントHの世界では飲酒は奨励されない。「ナチュラルハイ!」がデパートメントHのモットーであるからだ。

 ステージ右側のロッカーの前には色々な人間がしゃがんでいる。
 わたしとこの妖精のような謎のおばさんもふたりでしゃがみこんだ。

 おばさん「ほら、もっと食べて」おばさんがタッパーをさらに差し出す。
 わたしはもう一切れ肉をつまむと自分の口に放り込んだ。

 ステージでは男なのか女なのかわからない人間が、自分の足にホッチキスを刺してそのホッチキスに風船を結びつける、といういかにも痛そうな珍芸を披露している。



 わたしとおばさんは口を利かずにこの芸に見入っていた。
 なにか祭りの終わりを察知したかのように不思議と言葉が出てこなかった。
 時間はもうAM4時。もう30分ほどでJR山の手線が走り出す時間だ。

 ワインをぐびり。。。と呑み込む。三枚目の肉を口に放り込む。
 わたし「なんだか人間が少しづつ減り始めた気がするな。。。」そんなことを思っているとおばさんが口を開いた。

 おばさん「アタシねぇ、このイベントだけが楽しみで生きてるのよ。」

 いきなり「人生」を語りだしてしまったおばさん。
 しかし不思議とふたりの間に違和感はなかった。デパートメントHの世界ではどんなことだって起こりうるのだ。真面目なことも、不真面目なことも。

 それからまたしばらく沈黙が続く。
 人は確実に減ってゆく。時間はAM4時15分。

 祭りの終わりは確実にその兆候をあらわしていた。

 

  (9)イベント終了


 わたしと妖精のような謎のおばさんはワインを飲みながら黙りこんでいた。
 人がぞろぞろ帰りだしたように見える。
 舞台ではもうショータイムは終わって、他のイベントの宣伝タイムに移っていた。

 時間はまさにAM4時30分。
 JR山の手線が動き出す時間だ。
 祭りの終わりの寂しさを感じながら、今度はわたしが口を開いた。

 わたし「すばらしいイベントでした。はい。」
 おばさん「貴方、このイベントは最初なの?」
 わたし「今日が初めての参加です。」
 おばさん「そうなの、、、。」

 また一瞬の沈黙。
 沈黙に耐えられずにわたしは四枚目の肉を口に放り込んだ。

 おばさん「シンデレラみたいだなって。」
 わたし「ん?シンデレラ?」
 おばさん「魔法は12時まで。12時を過ぎたら現実に帰らなくちゃいけない。この時間が一番寂しいのよ。」

 わたしは(ん?シンデレラってそういう話だっけ??)・・・と思いながらおばさんの話に耳を傾けた。
 おばさん「このイベントにいる人ってみんな幸せな顔してるじゃない。だからトラブルも起きない。そして入場料は3000円。そしてわたしは一晩だけシンデレラになれる。凄いことだと思わない?」
 わたし「は、はい。凄いことであります。」

 おばさん「貴方、どこから来たの?」
 わたし「秋田であります。」
 おばさん「わたしは千葉から。車で来てるのよ。だからこれから千葉まで車で帰るの。」
 わたし「千葉でありますか。」

 わたしとおばさんはようやく緊張が解けて打ち解けてきた。
 しかしもうイベントは終わりである。露店の撤収作業が始まりだした。
 いよいよもう帰るころだな。。。とわたしが思っていると最後におばさんが口を開いた。

 「わたしは「レイカ」というの。覚えていてね。毎月このイベントには参加しているわ。またお会いしましょう。」



 おばさんはふらりと立ち上がる。
 そのまま肉とワインが入った袋を持ってレイカさんは歩き出した。

 わたし「あ!メールアドレスを!?」と叫んだが後の祭りであった。
 レイカさんはすでに人ごみの中へ消えていた。

 レイカ、。。。男なのか女なのかわからないが、妖精のように神秘的な人であったな。・・・
 そんなことを考えながらわたしも帰る態勢に入った。
 「まず更衣室で通常着に着替えなくては。。。」
 わたしも波のような人間に押されるように更衣室に向かって歩き出した。

 こうしてわたしの初デパートメントH参戦は終わった。
 ゲイのお兄さん、SMのお兄さん、SMの世界の帝王、そしてレイカさん。

 本当にたった一夜でいろいろな人と友だちになれた。こういう体験は通常の世界ではまずめったにないだろう。

 着替え終わったわたしはデパートメントHへの次の参戦を決意すると、しっかりとした足取りで東京キネマ倶楽部を後にした。

 わたし「さようなら、そしてまた会おう、、、!デパートメントHよ!!」


 

 (10)出発、そしていつかまた。




 寒い。
 皮膚に風が突き刺さるようだ。

 北風が吹きつけてくる。
 まだ11月とはいえ、季節は容赦なく冬に向かっているのだ。

 そんなことを考えながらわたしはとぼとぼとJRうぐいす谷駅へ向かっていた。
 
 ・・・思えばわたしの人生ももう盛りを過ぎた。
 わたしの人生もまた冬に向かっているのだろう。

 生来の厭世癖がわたしの中でまた頭をもたげだした。
 「歳を経るごとに、帰りたい場所がまたひとつ消えてゆく。・・・」そんな唄を歌ったのは中島みゆきであっただろうか。
 しかし、だからこそだ。
 わたしはこれから虚無の闇へ消えてゆく前に「良かったこと」をひとつでも多く増やていきたい。

 うぐいす谷駅が見えてくる。
 デパートメントHの帰りらしいお兄ちゃん&お姉ちゃんの嬌声(きょうせい)が聴こえてくる。

 「・・・まるで夢のような一夜であったな。参加して本当に良かった。」

 わたしは改めて今回のデパートメントHについて振り返った。
 わたしは今後もデパートメントHに定期的に参加してゆくことだろう。それはまた新しい物語の始まり。そして今回の初参加でわたしにとっての「帰りたい場所」がひとつ増えたのだ。わたしは中島みゆきに勝った想いを抱(いだ)きながらうぐいす谷駅の切符売り場に立った。

 うぐいす谷から東京駅までの切符を買う。160円。
 東京駅から秋田駅まで約4時間。
 秋田駅についてしまえば、また平凡な日常が戻ってくる。
 しかし平凡な日常をしっかりと地道に歩いてゆくこと、そうすればまたいつか昨日の夜のような夢のような一夜が訪れることだろう。

 季節は冬へ。・・・しかし自分の中に希望の光を抱いていれば寒くはない。
 わたしはデパートメントHから希望をもらった。参加者たちの幸福な笑顔、それはわたしにとって希望そのものであった。あんな笑顔が出来るならば、この世界もまだ捨てたものではない。


     ※                       ※

 わたしはうぐいす谷駅構内に入る。
 うぐいす谷駅構内は昨日の喧騒が全く想像できないほどに静まり帰っている。
 わたしは昨日、人身事故のあった京浜東北線のホームに立った。
 そして静かに合掌した。
 
 「・・・生きていればまだまだ楽しいことがあったかも知れないのに。しかし今は安らかに眠ってくれ。朋(とも)よ。」
 「そして昨日の夜、君の死体を見て嘲笑した女子学生3人組にもいつか本当の笑顔が訪れますように。」

 山の手線東京駅行きが到着する。
 さあ!出発だ。故郷&秋田へ向かって。

 「良かったこと」、それは受身でいる限りは絶対に訪れてこない。むしろ貪欲に自分から世間へ飛び出して行かなければ「良かったこと」を得ることはできないのだ。

 「死ぬまでにひとつでも多く『良かったこと』を経験すること。」それが今後のわたしの課題になったようだ。

 今、電車のドアが開く。

 さらば一夜の夢よ。そして必ずここでまた会おう。それまで一期のお別れだ。

 わたしはしっかりとした足取りで電車に踏み込んだ。
 電車のドアが音もなく閉まる。わたしはうぐいす谷駅に向いていた顔を東京駅に向かって反転させた。今、電車が出発する。

 「ありがとう!!デパートメントHよ、そしていつかまた会おう、デパートメントHよ!!!」




 【デパートメントH潜入記全10話完結。2015年2月11日。合掌。】




 【おぼえがき】
 
 10年以上の歴史を誇るアンダーグラウンド・エンターティメント・イベント「デパートメントH」への潜入記全10話をここにお届けする。当初は(上)(中)(下)の3話で完結する予定だったものが、また悪い癖が出て、全10話に膨れ上がってしまった。
 しかしそのぶん、たっぷりと長く読み応えのある潜入記が書けたのではないか、と自負している。

 さて「デパートメントH」であるが毎月第一週の土~日曜日の夜にかけて開催されている。
 入場料はコスプレしていれば3000円とお得なものである。
 東京の諸君はもちろん、地方在住、とりわけ秋田の諸君にもぜひこの「デパートメントH」の世界の凄さを味わってほしいと思っている。このイベントはそれほど「濃い」。新幹線に乗って駆けつけるだけの価値はある。

 さて最後に「デパートメントH」というイベントの存在をわたしに教えてくださった友達A氏、そしてイベント中お世話になったすべての方々、そしてこの潜入記の読者の方々に重ねて御礼を言いたい。ありがとう。
 それでは次回作にご期待ください。

 センキュー!!シー・ユー・アゲイン!!!


 【完】

 

 (黒猫館&黒猫館館長)