悪の変質

(講演日=2013年8月30日)

 

 

 

 

 

1 微妙な違和感 


 2011年9月から始まった「仮面ライダーフォーゼ」が人気を集めているらしい。わたしも第一話だけ観たが、確かに面白い。
 しかしどうもその「面白さ」がわたしの欲するものと違うのである。

 この違和感がどこから来るのか。
 さかのぼれば「仮面ライダーアギト」の後半から違和感が目立ち始めた。

 もちろんこの違和感の原因がもう散々に特撮ファンの間で議論されつくしたかに思われる「脚本家・井上敏樹」に起因するものが大きいのと思うのであるが、事はたったひとりの脚本家の資質に求められるだけの単純なものではないだろう。
 それでは一体「仮面ライダーアギト」の後半では何が起こったのか?
 


 2 悪の組織の階層秩序

 「仮面ライダーアギト」の前番組、「仮面ライダークウガ」は非常に面白く観られた。その主たる理由はやはり「悪」がキッチリ描かれていたからだろう。
 クウガの敵「グロンギ」は「ゴ集団」「メ集団」「ズ集団」という階層秩序から構成される「悪の組織」である。
 その階層秩序の中から「ズ・ゴオマ・グ」のような裏切り者、あるいは「バラのタトウの女」という大幹部、そして首領である「ン・ダグバ・ゼバ」といった特徴のある名キャラクターが生み出されていった。

 この階層秩序の骨格は昭和ライダーの「悪の組織」と本質的には同質である。
 昭和ライダーの「悪の組織」は基本的に「大首領・大幹部・怪人・戦闘員」から構成される。この絶対的な「上下関係」から様々な「悪のドラマ」が 生み出されていった。それは顕著な例を挙げるなら、絶対に姿を現さない大首領、大幹部同士の内部抗争(死神博士と地獄大使、タイタンとジェネラルシャド ウ、など)、裏切り者怪人(モグラ獣人、など)、戦闘員の粛清(ゲルショッカーによるショッカー戦闘員の粛清、魔神提督によるゼネラルモンスター配下の戦 闘員の粛清、など)などが挙げられる。
 「仮面ライダークウガ」の敵「グロンギ」のドラマも本質的にはこういった昭和ライダーの「悪の組織」のドラマと同質である。


 3 アギトの敵組織とは?


 さてここで話を「仮面ライダーアギト」に戻す。
 アギトの敵「アンノウン」は基本的で二話で一体登場していた。ここら辺は昭和ライダーの「怪人は一話で一体」と基本的に同じである。
 しかし後半から登場した「水のエル」「地のエル」「風のエル」といった大幹部が一体どれくらいの「地位」をアンノウンの組織内部で占有しているのか、非常に曖昧なのである。
 その原因は「エル」たちが通常のアンノウンたちと接する場面がほとんど描かれていないことが原因であると推測される。
 このことは「仮面ライダー555」に登場した悪の組織「スマートブレイン」登場の「ラッキークローバー」にも言える。

 要するに「アギト」以降の「平成仮面ライダー」の世界では「悪の組織の上下関係」が曖昧になってしまったのである。

 「上下関係」は「組織」というものの基本構造である。その「上下関係」がゆるくなってしまえばもう「組織」ではなく「グループ」と呼ぶべきものである。


 4 悪の変質

 さてここで「アギト」の後番組「龍騎」の世界を見てみよう。
 「龍騎」の世界では「悪の組織」は登場しない。仮面ライダー同士の抗争がこの番組のテーマである。「龍騎」の世界では「王蛇」、「オーディン」といった単体の「悪役」は登場するものの「絶対的な悪」を代弁する「悪の組織」が完全に消失してしまっている。
 このことは平成仮面ライダーの世界において非常に象徴的である。
 「悪」はもう「組織」としてヒーローの前に絶対的に君臨するものではない。「ならずもの・犯罪者」といった単体に還元されてしまったのだ。
 例えば「仮面ライダー電王」でも「悪の組織」は登場しない。後半「カイ」と三人の配下が登場したがそれはもう「組織」というより「グループ」という程度のものであった。
 
 昭和ライダーの世界はたったひとりのヒーローが悲壮な覚悟をして「悪の組織」に「挑戦」するというのが骨子であった。しかし平成仮面ライダーの 世界では上記の理由からもう「悪の組織」は姿を消した、あるいは単体の悪、あるいは「非常にゆるい『グループ』」として描かれるのである。
 ここから「ヒーローの悲壮さ」というものも姿を消したのである。


 5 「悪」はこれからどうなるのか?


 「組織」としての悪、から「単体」あるいは「グループ」としての悪への変質、このことはヒーロー番組のドラマそのものの変質につながる。もう誰も「ヒーローの悲壮さ」など望んではいないのかも知れない。
 事実「フォーゼ」を観てみればもうヒーローに「悲壮さ」の微塵もない。極めて明朗で陽気なヒーローがのびのびと活躍している。
 これは「時代の要請」というものであることはわたしも十分承知している。
 
 たった一人の孤独なヒーローVS強大な悪の組織の戦いの物語、そういうものはもう「古い」と思われているに違いない。
 しかしわたしはこの部分にあえてこだわりたい。
 
 巨大な組織から脱走して「裏切り者」の烙印を押され、たえず「組織による粛清」の恐怖に怯えながらも、たったひとりで絶望的な戦いに挑み続けるヒーロー、そういうドラマをわたしは観たいのである。
 こういうわたしを「古い」と笑う方はおられるだろう。
 しかし昭和ライダーの時代からのオールドファンであるわたしから見れば、これは非常に切実な問題なのである。

 願わくばいつの日にか、あまりに強大で、凶悪で、身内にも厳しく、厳しい上下関係に律せられた、絶望的にほの冥い「悪の組織」の復活があらんことを。

 それが「悪の組織」のファンであるわたしからの現在の特撮ヒーロー番組への要望である。


(了)

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)