「ガンで死ぬのが一番良い」か?

(講演日=2013年1月23日)

 

 

 

 

 

 先日、母の機嫌が突然良くなった。
 なんだかウキウキしている。いったい何が起こったのであろうか?

 わたしは母に聞いてみた。
 「オッカー、なにはしゃいでるんだ?」
 すると母はその日行ってきたという講演会のことを話し出した。
 なんでも講演のタイトルは「ガンで死ぬのが一番良い」であり、それを聞いたうちの母がもうガンが怖くなくなった、というのだ。(うちの母は10年前に乳ガンを経験している)

 それにしても「ガンで死ぬのが一番良い」とは人を喰ったタイトルである。
 誰だってガンでは死にたくない。
 ガンの苦痛は相当なものだとみな思っている。
 「ガン」という言葉を聞いただけで身震いしてしまう。

 しかし最近の情勢はどうもそうではないらしい。

 まず「ガン」という病気は「即死」しない。これが重要であるらしい。
 脳梗塞や心筋梗塞なら即死は必至である。しかしガンの場合は運がよければガンを抱えながら10年以上の生存が可能であるというのだ。

 つまりその間に身辺整理ができる。お世話になった方に挨拶できる。自分の財産をどうするか決定できる。確かにこれは「ガンならでは」の利点であるだろう。

 しかしそんなことは瑣末な問題だ。真に問題なのはそんなことではない。
 真に問題なことはガンの「苦痛」だ。これがあまりにも恐ろしい。
 この点を母に問いただしたら、母はケロリとした顔でこう言った。

 「ガンは苦しくない」

 本当かいな!?とびっくりしてしまう珍説のようであるが、どうもこれは本当らしい。
 初期〜中期のガンは苦痛はほとんどないし、末期ガンでもモルヒネを使えば苦痛はほとんどないというのだ。しかしモルヒネの投与がそんなに簡単に行われるのだろうか?

 この点についても「昔と違ってモルヒネに関する規制は昔に比べて相当ゆるくなっている。」と母は言う。なるほど〜、、、それなら確かにガンは苦しくないかもしれない。

 しかしガンの恐怖はガンの痛みだけではない。ガンそのもの以上に「抗ガン剤」の恐怖も大きい。
 読者の諸君も闘病記の映画で見たことがあるだろう。黄色い抗ガン剤を投与されたことが原因で髪が抜け落ち、口から嘔吐物を噴水のように吐き出し、全身を痙攣させて苦しむあまりにショッキングな患者の姿を。

 しかしこの点も「その気になれば抗ガン剤の投与は拒否できる」らしい。
 これまたびっくりする話であるが、近年のガン治療では「患者の意思」を尊重する方向で進んでいるのでそういうことが可能になったというのだ。

 これらがもし100%誇張のない事実であるなら「ガンで死ぬのが一番良い」という結論が出るのかもしれない。闘病記の映画でお馴染みの「ベットに磔にされて、のた打ち回って死ぬガン患者」はもはや現代では都市伝説と同様の根拠のない風評であるのかもしれない。

 いずれにせよわたしは現代のガン治療についてもっと良く調べるつもりである。
 「本当にガンで死ぬのが一番良いのであろうか?」
 今回の講演を行ったのは医師であるという。医師の言ったことなら信用できる、という人が多いかも知れない。しかし医師は「医学」の専門家であっても「医療」の専門家ではない。
 上から指示するだけで、肝心の医療現場の様子については全く無知な医師もいるだろう。
 そういう意味でわたしは母のようにこの講演を無邪気に喜ぶ気にはなれない。
 
 疑ってかかる必要がある。特にこういうデリケートな問題に関しては。


 さて、どんな人間であっても「死」から逃れることのできる人間はいない。
 故に「安らかで尊厳に満ちた死」を獲得するにはそれなりの努力が必要だ。
 「生きること」はもちろん人生においては重要な作業であるが、「死ぬこと」もまた人生の最期を締めくくる意味で重要な意味を持つ。

 そういう意味で「一番自分に合った死」を選択しなくてはならないが、現代の高度テクノロジー社会の要請であるのかもしれない。

 読者の諸君も「自分の死」についてはなるべく早くから考えておいたほうが良い。
 いざという「その時」にそなえて。



 (了)

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)