お風呂の勧め

(2013年1月18日)

 

 

 

 1 深夜の入浴。


 寒い。
 冬一月睦月。
 まるで身体の中まで吹雪が入り込んでくるようだ。
 わたしの居住地区である東北・秋田県では冬は氷点下を切る日が多い。東京暮らしの長かったわたしとしてはまことに辛い季節である。

 寒さが骨身に沁みる。

 そこで登場するのがお風呂である。
 洗浄剤でキレイに磨いたお風呂(これは重要)にしっぽりと湯を入れる。場合によってはバスクリンを入れる。そして深夜、ザー、、、と音を立てて風呂に浸かる。

 キモチが善い。
 身体が温まる。
 ココロまで洗い流され、温まってゆく。

 一旦湯船から出て、石鹸で身体を洗い、シャンプーで髪を洗う。
 そしてもう一度風呂に浸かる。
 そして浴室から上がる。もうそのころにはわたしはすっかり「できあがって」いる。

 気分はさっぱり、身体はポカポカ、まさに心身共にリフレッシュされたのだ。
 こんな偉大な「お風呂」というものを考案した先人に感謝し、入浴が盛んな国である日本という国に生まれたシアワセをかみ締める。

 この後わたしはベットにについて、一日は終わる。


 
 2 白浜温泉への学生旅行。


 わたしは学生時代の夏休みに大阪から和歌山県の白浜温泉まで巡る旅行に出たことがある。

 白浜温泉といえば日本三大温泉地の1つとして知られる温泉地である。
 飛鳥の時代から「牟婁の温湯」「紀の温湯」の名で知られ、斉明、天智、持統、文武天皇をはじめ多くの宮人たちが来泉した由緒ある温泉観光地である。
 
 大阪駅まで新幹線で直行し、さらに大阪駅から在来線で和歌山県を目指す。
 どうしてわたしが突然に和歌山県に行こうと思ったのか動機はもう忘れてしまったが、「どこか知らない土地に行ってみよう」という若者特有の冒険心に突き動かされたためであろうと推測できる。

 和歌山県の白浜温泉駅で降りて、白浜ビーチで海につかる。
 その時の強烈な日差しは忘れられない。
 文字通り真っ白い砂浜。青い海。透き通るような晴天。

 一通り海で遊んだわたしは白浜海岸近くの旅館に足を運んだ。
 今夜一晩の宿を得るためである。
 手続きを済ませて宿に入ると学生たちのグループが食事をしている。わたしは学生たちと重ならないように温泉へ急いだ。

 衣服を脱いで温泉に浸かる。
 身体に付着していた海の砂が流される。
 温泉特有の軽い刺激を感じながら、わたしはひょいと後ろを振り向いた。
 何かが額に入れて飾ってある。
 それは偈文(げぶん&仏を褒め称える短い文句)であった。
 たった12文字であるがこう記されている。

 「沐浴身体 当願衆生 内外無垢 心身清浄」と書かれていた。

 さてこれはどういう意味なのであろうか。
 好奇心旺盛なわたしは旅行から帰ってさっそく図書館に行って調べ始めた。


 3 偈文の意味。


 さてわたしは和歌山県周遊旅行から帰ってきてから、東京のアパートの近くにある世田谷図書館に足を運んだ。
 当時はネットなどという便利なものは無かったから調べ物は図書館でするしか無かったのである。

 わたしはぶ厚い仏教辞典を引き出して「沐浴」という事項を調べてみた。すると案の定、あの偈文が載っていた。この偈文の出典は天台宗の『台門行要抄』に拠るものであるらしい。

 その意味は「体を湯につかってお風呂をいただくのは、私をふくめて大勢の人々のためである。体も心もきれいになって、内も外もさっぱり清らかになる」というのが大体の意味であった。

 さて風呂に浸かって「大勢の人」のため、とは一見奇妙な考え方である。
 しかしこれは実は非常に簡単な意味を表しているそうである。つまり風呂に入って清浄になれば他人に嫌がられなくなる、そういう意味であるらしい。
 誰だって臭い人間は嫌である。不潔な人間とは付き合いたくない。だから大勢の人のために身体を清浄にするのだ。そういう意味である。

 次、「体も心もきれいになって、内も外もさっぱり清らかになる」、これは仏教の「心身一如」の考え方に即しているものだろう。
 仏教では「身体と心」を「表と裏」のように「一体である」と考える。

 すると外面を洗浄すれば内面も洗浄される。
 これも実に簡単なことだ。
 風呂あがり、心もさっぱりとするのは諸君も知っているとおりである。
 風呂には精神安定剤としての作用もあるのだ。
 風呂は単なる身体の掃除ではない。

 
 今でも「沐浴身体 当願衆生 内外無垢 心身清浄」という偈文はわたしのモットーである。
 であるから風呂に入ることは一日も欠かさない。さらに風呂に入ったらこれ以上はないというほどキレイに身体を洗う。


 4 そしてまたお風呂へ。


 さて。
 今夜も寒い。
 なんでも月間天気予報に拠れば一月一杯は秋田では氷点下の寒さが続くそうである。
 そういう寒さに打ちのめされる日々であるからこそ風呂は必要である。風呂で身体を温める。これは寒い地方に住んでいる者には福音であるだろう。

 そしてわたしが若き日々に覚えた偈文は今でもわたしのモットーである。
 風呂は美味しい食事と共に明日へのエネルギーなのである。

 幸いわたしの住んでいる秋田県は食事が旨い。この上、温かく清潔な風呂に入ればいうことなしだ。こういうときに田舎暮らしも悪くないな、とわたしはしみじみ思う。
 若い時分にはひたすら都会暮らしにあこがれたが、今では田舎暮らしがわたしの性に合っているとしみじみ思う。

 さて夜がどんどん更けて寒くなってきた。
 そろそろゆっくりと風呂に入るとするか。
 そして温かいベットでゆっくり休むことにしよう。

 明日も早い。

 それではお先に。
 失礼。



 (了)

 

(黒猫館&黒猫館館長)