自分銀行へようこそ

(講演日=2012年12月6日)

 

 

 

 1 読書する日常


 わたしは一日30分、必ず読書を自分に課している。
 もちろん一時間読書するもあれば、30分ピッタリと終わる日もある。つまり「最低30分、これだけは譲れない」というわけだ。
 大抵、深夜に読む場合が多いのだが、モスバーガーで読んだり買い物がてらに「いとく」というスーパーの待合室で読んだりすることもある。

 なぜそのようなことをするのか?と問う人がいることであろう。
 そう問われたならばわたしはこう答える。「自分銀行への貯蓄のため。」

 それでは「自分銀行」とは何か?
 これが第一の問題である。



2 「自分」を作るもの


 さて唐突な問いのようであるが「無から有」を作り出すことはできるのだろうか?
 答は「否」である。怪しげな魔術師でもないかぎり「無から有」を作り出すことはできない。

 貴方という存在(肉体面における)が今ここに存在しているのは毎日の「食事&排泄」という地道な作業を毎日繰り返してきたから、現在の貴方の肉体が形成されたのである。
 貴方の肉体は「突然」この世に生まれたものではない。
 毎日の食事によって摂取されたたんぱく質、炭水化物、ビタミン&ミネラルがうまい具合に分解&再構築されて貴方の肉体を作っているのだ。

 このことは貴方の精神面にもいえる。
 これが第二の問題である。


3 「自分」の精神とは何か?

 さて前節では、貴方の「肉体」の話をした。
 であるからこの節では貴方の「精神」の話をする。

 貴方の精神も生まれたときには「なにもなかった」と考えられる。(もちろん「精神の器」としての脳髄は存在していた。)
 その証拠に貴方には「生まれた時の記憶」があるだろうか?ほとんどの人が「ない」と答えるに違いない。三島由紀夫は自分の生まれたときに産湯の 桶のヘリを見た、と言っているが胡散臭い話である。これは三島の幻影か後から形成された「偽の記憶」であるとわたしは考えている。

 さて「貴方の精神」もまた日々の「経験」や学校での学習(広義の経験)で形成されていったと考えられる。
 今の貴方の精神は莫大な「経験」の産物である。


4 「自分銀行」とは何か


 そういうわけであるから、貴方がなにかを表現するときに起きることは、貴方が「過去に味わった経験」が分解&再構築されて、貴方の外部へ飛び出したものである、と考えられる。

 例えば貴方がなにかを「話す」、これは学校における膨大な語学教育という「経験」というインプットがあるからこそ可能になるアウトプットであろう。

 人間の精神は「インプット&アウトプット」から為る。換言すれば「預金&引き出し」からなると言っても良い。つまり人間とは銀行のようなものだ。「預金」がなかったら「引き出し」をすることはできない。

 わたしが「自分銀行」と言っているのはこういうことである。


5 「表現者」を目指して


 さて現在何かを表現しようとしている諸君。それは「小説」でも「詩」でも「学術論文」でも「絵」でも「音楽」でも良い。
そのような諸君には「蓄えたほうがいいよ。」とわたしは勧めることにしている。
 そういう自分銀行への蓄え(わたしの場合は日々の読書)が分解&再構築されて「作品」を表出為さしめる。

 「作品」を作り上げようと志す者には、普通の人間の何倍もの膨大な「預金」が必要となる。だから読書でも映画でもアニメを観ることでも旅行に行くことでもよいのだ。膨大な「経験」という自分銀行への「預金」を為さしめよ。
 
 もちろんその「預金」は「定期預金」である場合も多い。
 一定の時期を経なければ引き出すことはできない。そういう作品(引き出し)もありうる。
 それは貴方の自分銀行の内部で入念な「経験」の分解&再構築が行われて「作品」にしたてられている期間である。人生、焦ることはなにもないのだ。


 「蓄えよ!!」それだけが貴方を表現者へと導いてゆく方法である。小手先のテクニックなど後から覚えればそれでよい。真に骨太な作品を創造するためには莫大な素材(預金)が必要だ。

 「自分こそ銀行である。」貴方の「肉体&精神(心身一如)」は優秀な銀行家である。この考えを忘れないならば、貴方は日々の「貯蓄」も怠らないことであろう。

 貴方の表現者としての成功を祈る。



 了。(合掌)

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)