宇宙刑事青春記

(2012年11月14日講演)

 

(↑新世紀に新たに蘇った『宇宙刑事ギャバン』)

 

 

 

 

 1 30年目の復活。


 2012年10月。
 わたしは秋田市御所野ニュータウンにあるイオン秋田TOHOシネタウンのロビーに座っていた。
 
 子どもたちがわーッ!とざわめきながら映画館内に入ってくる。
 子どものひとりが父親に尋ねた。
 子ども「ねえ、お父さん、ギャバンって新しい仮面ライダー?」
 父親「イヤ、ギャバンは仮面ライダーぢゃない。全然違うヒーローさ。」

 子どものいないわたしはそんな微笑ましい光景を横目で見ながら、PM4時ちょうどに始まる映画『宇宙刑事ギャバン ザ・ムービー』が始まるのをこころまちにしていた。


 「あれからもう30年か。。。」
 わたしの記憶が過去に向かって遡行を始める。
 大学、高校、そして中学校。不思議なことに宇宙刑事シリーズ三部作が放映された時期とわたしの中学時代はピッタリと時期が一致するのであった。
 
 「あの頃は本当につらかった。しかし「希望」、それだけはあったな。・・・」

 わたしの記憶の遡行が中学時代で停止する。
 そして蘇ってくる中学時代。

 まさにわたしの中学三年間は宇宙刑事シリーズと共にあった。もし宇宙刑事シリーズが存在していなかったら、現在のわたしも全くちがった人間になっていただろう。



 2 秋田市立山王中学校。


 わたしの出身中学校は秋田市立山王中学校という。秋田県庁&市役所などの官庁街に位置する中学校である。
 時は折りしも1980年代。
 あの時期、学校現場、特に中学校は地獄のように荒れ狂っていた。
 校内暴力、イジメが校内に横行し、1クラスに45人も詰め込まれ、教師による体罰は日常茶飯事、受験勉強の強制的な押し付けにすべての中学生が悲鳴をあげていた。

 「薔薇色の80年代」。・・・そんなことを言うオトナがたまにいるが、それは違う。実際に80年代を生きたわたしが言うのだから間違いない。
 経済は成長期であったかもしれないが、80年代の暗黒面を知る者はみなこういうだろう。

 「本当に自殺しないで済んでよかった。」

 それほどまでに1980年代の日本の教育現場は荒廃を極めていた。特に中学校は酷(ひど)いものであった。

 当然のごとくわたしもイジメられた。

 廊下を歩いていると、なんの理由もなくうしろから強烈なパンチが飛んできた。
 椅子に座ろうとすると画鋲が必ず置いてあった。
 給食には砂が入れられた。
 体育着がカッターでズタズタに引き裂かれた。

 そんな不条理で残酷な中学生生活の中でわたしはどうして生きてこられたのであろうか。今でも不思議な気がする。なぜわたしは自殺しなかったのか・・・?



 3 宇宙刑事との日々。


 その当時、確か金曜日の夕、5時からABSでの放送だったと思う。
 『宇宙刑事ギャバン』という番組が突然始まった。
 わたしはそれ以前から観ていた『スーパー戦隊シリーズ』と同じようなものであろうと思って、この『宇宙刑事ギャバン』を観始めた。
 学校で、精神的&肉体的にボロボロにされた後のこのテレビ鑑賞の時間はわたしにとって至福の時間であったのだ。

 すると不思議なことに『宇宙刑事ギャバン』とわたし自身が奇妙なシンクロを始めたのだ。まるでギャバンになったわたしが宇宙犯罪組織マクーと闘っているがごとくに。

 マクーはなんの脈絡もなく、まったく突然にギャバンに向かって襲い掛かってくることが多い。これは『スーパー戦隊シリーズ』には無かった『宇宙刑事シリーズ』の異色性である。

 この『宇宙刑事ギャバン』の作劇の特殊性がギャバンの世界と秋田市立山王中学校の不条理なイジメの世界とオーバーラップしたのであろう。

 わたしはまるでじぶんをギャバンと重ね合わせるようにして秋田市立山王中学校の暴虐に向かってたったひとりの反逆を始めた。
 あたかもわたし自身が強大な宇宙犯罪組織マクーにたったひとりで立ち向かっていったギャバンであるかのように。

 もしギャバンの闘いを観ることがなかったら、わたしは自殺していただろうと思う。
 それほどまでにわたしは手の指を折りながら「あと何日で金曜日」と秋田市立山王中学校の地獄をひたすら耐えた。



 『宇宙刑事シリーズ』は『ギャバン』『シャリバン』『シャイダー』と三部作で構成される。
 この三部作のドラマの中で「父との再会」(ギャバン)、「イガ星の再興」(シャリバン)、「超古代文明」(シャイダー)とシリーズの縦糸となる大河ドラマを織り交ぜつつ、悠々と物語を進める構成は見事としか言うことができない。
 これはメインライターである上原正三氏の功績によるところが大きいと思うが、ギャバンのパイロットヴァージョンを手がけた小林義明監督、そして 三部作の音楽を手がけた渡辺宙明氏、そして東映の敏腕プロデューサーである吉川進氏、この四氏の非凡な連携プレイがなかったら、宇宙刑事シリーズはあれほ どまでの高みに上(のぼ)ることはできなかったであろう。

 3人の宇宙刑事たちがわたしの命の恩人であるのはもちろんのことだが、これら非凡なスタッフたちにもわたしはこころからの敬意を表したい。ありがとう。



 4 そして未来へ。


 秋田TOHOシネマズロビーにアナウンスが流れる。

 「PM4時からの『宇宙刑事ギャバン』をご覧になられるお客様は4番のスクリーンにお入りください。」
 わたしは切符を買うと切符切りのお兄ちゃんに切符を渡す。
 お兄ちゃんはオマケとして「蓄光型レイザーブレイド」という玩具をわたしにわたしてくれた。この玩具は夜や暗所で光るそうである。

 わたしは4番のスクリーンに入ると真ん中の席に腰を下ろす。
 
 ・・・そういえば予告編でギャバンに変身する一条寺烈が言っていたな。

 「あきらめるな!なぜ逃げるんだ!!そのくやしさがあればまだ闘える!!」

 烈よ。わたしは逃げ回ってばかりいるダメなオトナになってしまった。しかしダメはダメなりにこれからも生き延びていかなくてはならない。そのためにもう一度「気合」を入れてくれ!!あの地獄のような中学時代を共に闘った戦友として。

 「ビー!!」ブザーが鳴る。館内が暗くなる。
 新しい宇宙刑事伝説は今始まるのだ。

 三人の宇宙刑事たちよ。これからも共に闘ってゆこう。

 なぜなら宇宙刑事の精神とは「若さとは振り向かないことなのだから。」

 『宇宙刑事ギャバン ザ・ムービー』は今始まった。そしてわたしのとっての新たな闘いも今またはじまったようだ。ギャバン&シャリバン&シャイダー、これからも頼むぞ。

 そして「未来」へ向かって━━━。

 

 (了)合掌。

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)