中野クイーンのおもいで

 

(講演日・2012年4月7日)

  

 (↑現在でも活動活発な元中野クイーン在籍の女王様・花真衣のSMショーの光景(大宮))

 

 1992年4月陽春。

 当時、大学を出たてだったわたしは春の陽気に浮かれて、友人AとJR中野駅から中野ブロードウェイとは反対方向へフラフラと歩を進めていた。
 その目的はその当時有名だったSMクラブ「中野クイーン」へと向かうためである。

 その当時、「中野クイーン」といえばSMファンなら誰もが知る存在であった。アダルトビデオ「ファミーホームビデオ」から出たSMビデオ『クイーン オブ クイーン』の発行元は「中野クイーン」であったし、縄師・明智伝鬼が毎夜のようにハードSMショーを開催していたのも、この中野クイーンであった。さらに後年、直木賞を受賞した作家・山田詠美や花真衣、森美貴といった現在でも有名な女王が多数在籍していたのも、この中野クイーンであった。

 はてはロックミュージシャンの大槻ケンヂまでもが自身のエッセイ集でこう語っていた。「中野クイーンに行ってSMやってきたぞ。ロック界広しと言えどもSMクラブに行ってきたなんてことを堂々と言えるのはこの俺ぐらいのものだろう!ワーッハッハッハ!!」

 テレビの深夜番組では「SM特集」が組まれ、山の手線の吊り広告には「クリエーターはM、おバカさんはS」などという広告が刷られていた。
 狂乱のバブル期の残り香漂う華やかな時代であった。


 そんな時、友人Aが「中野クイーンに行ってみたい」、と言い出した。「ならば」ということでわたしもAについていくことになったわけである。
 
 お目当ての看板はすぐに発見できた。
 「スタジオ クイーン」と書いた看板が路上に置かれている。この当時は風俗営業法の改正前夜であったため、SMクラブは堂々と専用のプレイルームを持つことができたのだ。
 現在のSMファンから見れば垂涎の時代であっただろう。
 プレイルームには吊り用チェーンブロック、鉄製檻、拷問用椅子、三角木馬、十字架などSM用具はほとんど揃っていたという。
 これらの用具がいったい何千人のM男の血と汗と涙と精液とカウパー氏腺液を吸ったことであろうか!嗚呼!!
 これから自分も「中野クイーン」の餌食にされるのだ、と思うとわたしは冗談ではなくゾクゾクと冷たい震えが来た。

 一階から二階へあがる。
 二階には床屋がある。さらに三階へあがる階段がある。
 三階へあがる階段が若干細くなっているのが、恐怖をさらに煽る。
 
 「ぎしッ!ぎしッ!・・・」と細い階段を登ってゆく。階段はなぜか途中かららせん状にカーブしてさらに上につながっている。

 友人Aが小刻みに震えているのがわかる。当時はAもわたしも20代前半の若者であった。そんな若造にとって「SMクラブに行く」ことがどれほどのプレッシャーであったか察していただきたい。

 「あった!」友人Aが叫んだ。
 重厚な金属製の扉がらせん状の階段を登りきったところに存在している。
 まさに地獄の門!この門のムコウ側には文字通りの阿鼻叫喚の地獄が待ち受けているのだ。
 緊張が極度に高まる。
 友人Aもわたしも無言である。
 やがてゆっくりとAがドアのブザーを押した・・・

 そのとき・・・

 「なんか俺、腹具合良くないから。」
 とわたしは言い残すと、友人Aをドアの前に残すと階段を二段飛びで逃げ出してしまったのだ。
 なんという腰抜け、腑抜け、小心者であったのであろうか!この当時のわたしは!!しかも中野クイーンの恐ろしい女王様たちが追いかけてこないか、何度も後ろを振り返りながら。

 その後、Aが中野クイーンでどんな体験をしたのか、わたしは知らない。そのことについて聞いてみてもAはニヤニヤ笑うだけであった。


  ※             ※


 やがて時代は過ぎた。1999年、東京から秋田へ帰っていたわたしは雑誌「S&Mスナイパー」で信じられない記事を見た。なんと中野クイーンが閉店したというのだ。
 閉店の理由は「黒鬼」ことオーナーの本田富朗氏の心筋梗塞による急死、わたしはついに永遠に中野クイーンに行くことのできるチャンスを逃したのだ。わたしは悔いた。そして1992年のあの春の日のことを思い出していた。
 「わたしにもう少し『勇気』があったら!『SM界の伝説』の目撃者になることができたであろうに!!」

 しかし中野クイーンの内部へ通じる「地獄の門」を見ただけでも、「伝説」の一端に触れることができたのだ。現在のわたしはそのように考えることにしている。


 さて21世紀、SMクラブから昭和時代の淫靡で血の臭いが漂うようなアンダーグラウンドな「ハードSM」が一掃されて、ほとんどの店が遊び感覚で行くような「ソフトSM」が主流になってしまった現代では、過去の中野クイーンのような「本物のSM」を行う店はほとんど無いか、仮にあっても地下に潜ってしまったことであろう。ハードSMはとても一般人ができる遊びではなくなってしまったのだ。

 それだからこそ、2011年の今でもわたしは思い出している。あの1992年の春の日の出来事を。・・・



 さて、事はSMクラブに限らない。
 ソープランドでもヘルスであっても女装クラブでもホストクラブでもよい、どんな店でも良いのだ。
 わたしは若い諸君に声を出して言っておきたい。「なるべく若いうちに行っておけ!!」

 20代で行けなかったら、30代で行くのは2倍困難になるだろう。さらに30代でも行けないで40代に入ってしまったら、20代の時分の4倍の勇気を必要とするだろう。

 「若さ」とは特権階級の持ち物である。
 現在、10代、20代の諸君、くれぐれも悔いのないように「若さ」を堪能していただきたい。このわたしのような後悔に苛まれないためにも。

 それでは最後に。

 「さらば、伝説のSMクラブ、中野クイーン!わが青春の記念碑よ!!」

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)