エックスに夢中だったあの頃

(2011年10月18日)

 

 

(エックスのメジャーデヴューアルバム『BLUOO BLOOD』)

 

 1988年。

 神奈川県に存在する某大学に在籍していたわたしは、小田急線の駅前のレコード店でCDを漁っていた。もちろんお目当てはアニソンCDである。
 中学生の頃からわたしは「音楽はアニソンしか聴かない主義」であった。しかもそのことに誇りさえ持っていた。今から思えばどうしてそんなことが誇りに思えるのかよくわからない。
 しかしその当時のわたしは今よりもっともっと頑固な若者であった。
 アニソン以外の音楽などクズだと決め付けていたのである。

 わたしはその当時公開された劇場用映画「うる星やつら 完結編」のCDに手を取ろうとしたそのとき・・・

 「それ」は突然レコード屋のスピーカーから聞こえてきた。

 「♪嵐吹く〜その街が〜おまえを抱く・・・吹きぬける風にさえ身をよぎる・・・お前〜は走り出す・・・」

 わたしはハンマーで頭をガーンと殴られた気がした。その次にぶるぶる震えが来た。

 「なんなんだ・・・この音楽は!?」わたしはまさに音楽に魂をゆすぶられたのである。こんなことはアニソンだけ聞いている時代には一回も無かった。しかしわたしはかたくななまでに頑固であった。
 「こんな音楽はアニソンではない!!だからダメだッ!!」と決め付けるとわたしは「うる星やつら 完結編」のサントラをレジで会計すると外に出てしまった。

 まさかこの瞬間がわたしの音楽観を根底からくつがえす運命的な出会いになるとは、わたしは夢にも思わなかった。

 次の機会は自宅アパートの近くにあるコンビニであった。
 今夜のお夜食、カップヤキソバ「UFO」を漁っていたわたしの耳に再びあのメロディが飛び込んできたのだ。「♪オレが見えないのか〜すぐソバにいるのに〜♪」
 わたしはまたガクガク身体が震えだした。
 心でなにかを感じているのではない。肉体を狙撃されたような感覚である。

 「な・・・なんなんだ!?これは!!」わたしはなぜか怒り出すと耳を押さえながら「UFO」を買うとすかさず外に出た。

 そして三度目の正直。今度は美容院であった。
 女性の美容師さんに耳カキしてもらっていたわたしの耳にまたあの音楽が。「♪紅に染まった〜この俺を〜なぐさめるヤツはもういない〜♪」

 とうとうわたしはかんねんした。
 そして小声で美容師さんに聞いてみた。「あの〜この曲、なんて曲なんですか・・・?」

 美容師さんはすかさず答えた。
 「これ、今売り出し中のバンド、『エックス』の「紅(くれない)」ですよ〜」その美容院からの帰りにわたしが「紅」のシングルCDを買って帰ったことは言うまでもない。

 わたしはひとりでこっそり毎日毎日「紅」ばかり聞いていた。朝起きて、「紅」、夜寝る前に「紅」、そして次の朝「紅」・・・そしてなぜか「恥ずかしい・・・」とひたすら考えていた。アニソン以外の曲に夢中になってしまった自分が許せなかったのだ。
 わたしはヲタクとしてのアイデンティティをぶち壊しかねない「紅」に恐怖さえ感じていた。

 「エンドレスレイン」「エックス」「ウイークエンド」・・・バンド『エックス』のシングルCDはどんどん発売されてゆく。そしてついにアルバム「ブルーブラッド」の発売。
 これらの『エックス』の音楽に夢中になっているある時、わたしは大学で同級生にこっそりと聞いてみた。

 わたし「あの・・・『エックス』っていうバンドどう思う?」
 同級生「ああ、あの厨二病バンド。」

 当時は「厨二病」という言葉はまだ存在していなかったと思う。しかしその同級生は現在の「厨二病」に限りなく近いと思われる用語を使って『エックス』を揶揄したのだ。

 まず怒りより先に悲しみが来た。それから「限りなく恥ずかしい」という感触がじわじわわたしの中で増していった。
 同級生たちはみな洋楽の話をしている。『エックス』に夢中になっている自分は厨房なのだ。・・・と思うとのたうちまわりたくなるほど恥ずかしかった。

 さよう、その当時、わたしの周りの大学生はみな洋楽の話をしていた。時折「筋少、イイねぇ・・・」などという者もいた。しかし「筋少(筋肉少女帯)」はある種の「ネタ」として扱われていることはなんとなく直観でわかった。当時の大槻ケンヂの自分への自嘲的態度は邦楽ロックそのものへの自嘲も含んでいたのであろう。ひたすらガチな態度を崩さない『エックス』を同級生たちはこう考えていたに違いない。・・・「ダサい」。

 それでもわたしのエックス熱は収まらなかった。わたしは「刺激!」というVHSビデオを買うと何度も何度も繰り返して観た。そして呆然とした。「YOSHIKI、美しい。・・・」事実、当時のYOSHIKI(おそらく20代前半)はわたしの眼に限りなく美しく映った。上半身ハダカでドラムを叩きまくるYOSHIKIの姿にわたしは、ゲイではないが同性愛的な感情さえ感じていた。

 この当時の神奈川県での大学生活を反芻するといつもそのBGMにはエックスの音楽が聞こえてくる。まことわたしの20歳前後の日々はエックスの音楽と共にあったのだ。ある時は「紅」のように激しく、またある時は「エンドレスレイン」のように切なく。

 やがて時は過ぎた。
 わたしは大学を卒業した。しかしそれでもわたしのエックス熱は収まらない。「サイレント・ジェラシー」、「アート・オブ・ライフ」などをこそこそ買いながら、ひたすらわたしはエックスの音楽世界に没入していた。とても恥ずかしくて誰にも「エックスが好きだ」などと言えたものではなかったのであるが。

 それではなぜエックスの音楽は当時(80年代後半〜90年代前半)の若者たちに「なんとなく気恥ずかしい」ものと考えられていたのであろうか。わたしなりにその答えを出すと、「耽美な世界への恥じらい」という意識があったと思う。ジャパンがつかない時代のエックスというとまず想起するのは「クラシックピアノ」であり、「蒼い薔薇」であり、さらには「痛みを伴う愛」と言った過剰なエキセントリズムであった。こういうややキワモノよりの耽美なイメージが「なんとなく気恥ずかしい」イメージとしてエックスに付きまとっていたのは確かである。
 
 そうこうしているうちにエックス(ジャパンがついた時代)が「ダリア」というアルバムを出した。さすがにこの頃になると、わたしはエックスになんとなくワンパターンなものを感じて叙叙にエックスから離れていった。





   ※              ※



 そして時は過ぎた。
 もうわたしの脳裏からエックスの記憶がほとんど消去された2010年、わたしは秋田のカラオケの会で「サウンドホライズン」というグループの音楽を知った。
 「サウンドホライズン」は激しさではエックスに一歩引けを取るものの、音楽に対する凝り様ではエックスを凌駕する音楽に思われた。

 わたしは「サウンドホライズンこそエックスの後継者だッッ!!」とばかりに今度はサウンドホライズンの音楽に夢中になりはじめた。人間というものは何歳になっても根は変わらないのであろうか。

 「サウンドホライズン」もまた「エックス」と同じく厨二病扱いされやすい音楽グループである。しかしわたしは声を大にして言いたい。
 「いつの時代もカルト的な人気を得る音楽は厨二病扱いされるのだ。それはかってのエックスもサウンドホライズンも同じことだ。現在サンホラーの諸君には堂々とカラオケでサウンドホライズンを歌ってほしい。」

 さて2011年4月末にはヤフーオークションでYOSHIKIのクリスタルピアノが11001000円という超高値で落札された。もう四十の坂をとっくに超えたと思われるYOSHIKIにもまだまだ衰えはみられない。

 わたしはもうエックスの音楽を聴くことはないだろう。しかし「サウンドホライズン」に限らず「アリ・プロジェクト」であろうが、「妖精帝國」であろうが、ひたすら熱く、カッコよく、夢中で、必死で、切なく、耽美で、そしてクサい音楽を愛し続けるであろう。

 最後に一言。
 今のわたしなら、なんの恥じらいもなしに堂々とこう言い切れる。
 
 「さらばエックス!!わが青春の永遠のテーマソングよ!!!」


(黒猫館&黒猫館館長)