男の娘の華麗な世界

 

(講演日=2011年10月11日)

 

 

 

 

(『オトコノコ倶楽部 VOL1』)

 

 先日、ブックオフのアダルトコーナーで『オトコノコ倶楽部』なる雑誌を発見、即座に購入。こういう雑誌はたいてい付録のDVDが欠品しているものだが、わたしが購入した本にはちょんとついている。


 さてこの『オトコノコ倶楽部』という雑誌であるが、カバーを見ればわかるとおり「男の娘」の魅力を存分に堪能・解析しようとする趣旨のものである。

 さてそれでは「男の娘」とはなにか?
 これには多少説明が必要であろう。

 従来からホモとオカマが一緒にされることが多かったわが国の傾向から次のような分析を試みてみる。

 ・ホモ=男性同性愛者
 ・オカマ=「男性に愛されるため」女性になりすます男性
 ・ニューハーフ=豊乳・去勢手術など女性化手術を行っている男性
 ・女装子=服装面でだけ女性を装う男性、異性愛者多し
 ・男の娘=男性でありながら女性であろうとする擬似的な両性具有者

 とこのように分析すれば妥当であろうか。

 
 さて本書、『オトコノコ倶楽部』ではそのような「男の娘」のグラビア、しのざき嶺の漫画「遠く呼ぶ声の彼方」、「女装イベント・男の娘COSHレポート」、「女装文化の歴史」、「トランスボイストレーニング講座」など、硬軟取り混ぜた満載の内容ながら、巻末に行けば行くほど「濃い(硬派な)」内容の記事が取り上げられている。

 特にニコニコ動画などで、最近流行している「女声」の出し方を本格的に論じた「トランスボイストレーニング講座」は特筆ものであるだろう。

 まさに21世紀に突如出現した「男の娘」のバイブル、と言って良い。


 さて一部で有名な性科学者・渡辺恒夫は近代化の過程を分析し主要著書『脱男性の時代』(剄草書房)の中で、次のように述べている。







 「近代化の過程とは、かって両性に属していた「美」という性質が女性へと「専門化」してゆく過程である」(121p)とし、近代の男性の「脱エロス化」をミッシェル・フーコーの分析と絡めて分析している。

 このことは女性の側からの男装は容易いが、男性の側からの女装は難しいという現代の状況と重ねてみれば納得されやすいであろう。

 このような男性にとって生きにくい現代社会において、草の根レヴェルから「男の娘」のようなムーブメントが出現したのは割目すべき出来事であるだろう。現代の男たちがより自由なライフスタイルを求めだしたというべきか、あるいは男たちは爆発寸前まで追い詰められていたというべきか。

 本書によって現代の男性たちがより自由でしなやかな生き方を獲得することができることを筆者は切に祈るものである。もちろんそれはなにも「女装しろ」と言っているのではない。「男らしさ」という近代が男性に課した枷から自由になってほしいという意味だ。




 さてSF作家のシオドア・スタージョンの法則によるとあらゆるものの99%はゴミであるそうだが、それは裏返せば1%は宝石であるということだ。
 ブックオフのアダルトコーナーの闇の中にこのような宝石のような本が眠っていたとは特筆すべき出来事であろう。

 かって『奇譚クラブ』『風俗草紙』などのカストリ雑誌は時代の最先端をゆくアヴァンギャルドであった。そのようなかっての風俗雑誌の尖端性が現代の「エロ本」に蘇らんことを。

 ただし本書の表紙の「オトコノコ」のパンツが見えているのはいささかいただけないが(笑)

 

(黒猫館&黒猫館館長)