根暗本

この部屋では読んでいるだけで気の滅入るような「クラ〜イ」本を紹介します。

  

 

『小さな柩〜子捨て・子殺しの系譜〜』

南川泰三著。片山健装丁・挿画。

 

 昭和48年12月10日初版発行。ブロンズ社刊。カバ帯完本。さて「根暗本」とはなにか?これは難しい質問である。しかし「根暗本」の紹介を始めるにあたって、まずこの点をキチンと定義しておかなくてはならないだろう。わかりやすいように消去法でいこう。
 まず「怪奇」的な本は除外する。「怪奇小説」「怪奇漫画」これらの本も確かに「暗い」かもしれないが、主眼は「暗さ」ではなく「恐怖・驚愕」なのである。換言すれば「暗い」が「根暗」ではないのである。ゆえに除外する。
 次に「幻想文学」を除外する。わが国では「幻想文学」といえば「澁澤・種村」が「定番」だが、これらの人の本も「根暗」とはいえない。「幻想」的なもの・・・例えば「黒魔術」、「毒薬」、「秘密結社」等等。これらの題材は確かに「暗い」といえるかもしれないが、書き手の側にあまり暗さが感じられないのだ。むしろそういった非日常的なものを楽しんでいるように私には見える。故に「根暗本」から除外する。
 さて、それではいよいよ「根暗本」とはなにか?それは端的に言えば「作者が本気で『暗い題材』を扱い、しかもその『暗い題材』に「問題意識」を持って接している。」ということだ。要するに「暗い題材」を「楽しんではならない」のだ。根暗本の作者は「暗い題材」といっしょに「苦悩」していなければならないということだ。これがまず「根暗本」の第一の定義である。
 さて本題である『小さな柩』に入る。この本の作者の南川氏の詳細は不明。まず目次を見てみよう。
   ・死児を抱いて唄う女
   ・ロッカーは赤子たちの納骨堂
   ・おまえ売られてどこへ行く
   ・大地に戻されし子等
   ・賽の河原幻想
   ・児童暗黒史年表
     ・・・等など。
 いかがであろうか?目次をみただけで「暗さ」のオーラが立ち上ってくるようではないか?しかも作者の南川氏は興味本位でこういったことを書いているのではない。「序文」から引用しよう。

  「死児たちは寄り集まって、じりじりと崩れ落ちてゆく時代の論理の、道徳の、ありとあらゆるものの晩鐘を
  打ち鳴らす。親たちの不安と苛立ちは死児達のあの世からの贈りもの。いまこそ、私たちは殺されていっ
  た子供たちの復権をまともに受けて、子捨て、子殺しの時代に終止符を打つか、あるいは時代とともに自
  滅してゆくかの瀬戸際に立たされているのだ。」(22p)

 おわかりであろうか?俗な言い方でいえば南川氏は「マジ」なのである。本気なのである。本気で「子捨て・子殺し」の問題を自分の問題として捉え、苦悩しているのだ。ゆえにこの本を最近流行の「トンデモ本」などと扱うものは、それこそ死児の思念で呪殺されることであろう。

 もう一つ、この本の「根暗度」のボルテージをあげているのが、片山健の挿画である。カバー・見返し・扉・本文中四枚の片山健の挿画が挿入されているが、これがまた全て「根暗」を極めた陰惨なイラストとなっている。これは『美しい日々』(片山健第一作品集)の時代から序序に陰惨さを増していったピークの作品群といえよう。時代的には『迷子の独楽』(北宋社・第三作品集)の時代の絵であるが、『迷子の独楽』のどの絵よりもこの『小さな柩』の絵の暗さは深い。
まさに南川泰三と片山健の根暗パワーがあたかもジャズのセッションのごとく共鳴し、どす黒い暗さの渦が立ち上っているのだ。
 総じて暗い気分になってみたい方はぜひ読んでください。ただしあくまでこの本は「苦悩」しながら読まなくてはならないのだ。それが作者の南川氏に対する礼儀というものであろう。

 最後に古書的なデータを示す。この本は片山フリークの連中が競って買うため、マニアの世界では非常に人気が高い。しかもめったに古書店に並ぶこともない。一説では「回収・焼却」処分になったからでないのだ・・・という説もある。
これも死児たちの呪いが齎したものであろうか?
 奇跡的にでれば、この種の本の専門店では15000〜25000円程度は出さないと買えない。運良くブック・オフ的古書店で拾う場合もあるだろうが、こんどは「帯」が難しい。この本の帯付き完本は本当に入手困難なのだ。
 しかし古書などという本来「暗い」ものを好むマニアならやはり入手しておきたい一冊であろう。10年かかるかもしれないが、マニアの方は探してください。