ゲイたちの聖地・新宿二丁目へ

(講演日・2010年7月1日)

 

 

 

(↑新宿二丁目の夜景↑)

 

 

 その日は6月の東京滞在最後の日であった。
 
 時間は午後7時30分。
 まだホテルに帰るには早すぎる。
 わたしは新宿駅で中央線各駅停車の電車を降りるとふらふらとした疲れた足取りで新宿駅東口から出た。

 目の前に新宿アルタが見える。わたしはアルタ前から右へ曲がった。さていったいわたしはどこへ向かおうとしているのであろうか。
 この新宿という東京で最もデンジャラスな街を夜に一人歩きするなど尋常ではない。
 わたしが危険を侵して目指しているのは、男たちの聖地、換言すれば日本一のゲイ・タウン、通称「新宿二丁目」であるのだった。

 実はわたしが新宿二丁目へ足を運ぶのはこれが最初ではない。学生時代にはゲイの友人に連れられて何度も二丁目へ足を運んだ。そして始まるゲイ・バーでの華やかなひと時、まさしくわたしの学生時代は祭りであった。

 といってもわたしはゲイではない。
 わたしが二丁目を愛好するのはフランスの構造主義者レヴィ・ストロース的観点からだ。いわば文化人類学のサンプルとしてゲイを観察しているのである。わたしは詩を書く人間である。ゲイを知らなくて詩なんて書けるものか。

 さてふらふらと酔ったように歩き続けるわたし。正直言って歩きすぎで足が痛いのだ。それでもわたしは二丁目に向かいたい。暖かいゲイの街に抱(いだ)かれたいのだ。
 歌舞伎町と違って二丁目にはヤクザがいない。
 ゲイたちの固い結束がヤクザを二丁目からはじき出しているのだ。
 二丁目をゲイたちにとってのパラダイスにしようという二丁目住人たちの侠気が感じられるエピソードではないか。こういう理由からもわたしは二丁目を愛好するのだ。

 わたしはさらに歩く。歩く。
 靖国通りにぶつかったらわたしは左へ左折した。
 さらにそこから「三番街」という通りへ入る。

 わたしは二丁目の正確な位置を知らない。であるから今回も無事に二丁目にたどり着けるか自信が無かった。街がどんどんさびしくなっていく気がする。これはもしかしたら道を間違えたか・・・?と思って路上の地図も見るとそこはなんと新宿五丁目!完全に違う方向へ向かっていた。

 わたしはこれはヤバイと思って靖国通りまで引き返すことにした。
 すごすごと道を引き返す。
 もしかしてわたしは男たちにとっての未知なる大地(テラ・インコグニタ)に達することができないのではないか?
 ゲイの神はわたしを見放したのではないか・・・
 などと悩んでいる瞬間、突然道が明るく開けた。

 「ここは・・・どこだ?」

 わたしはまたも路上の地図を見た。
 するとまさに新宿二丁目!
 男たちの聖地へわたしは到達した。

 わたしはまずゲイ・ショップに入ってみた。案の定、中は男だらけである。しかし意外だったのは「いかにもゲイ」といったゲイはひとりもいなかった。
 大学生風、サラリーマン風の男たちが主体である。
 あの「ハードゲイ・レイザーラモン」のような風体のゲイはひとりもいない。つまりゲイといえども基本は人間、それほどストレートと違っている筈はないのだ。

 しかしゲイ・ショップの商品は過激である。
 ゲイSMもののDVDの多さには好事家であるわたしでさえウンザリした。いくらゲイがSM好きであるからといってこれは多すぎる。

 本を見るとあるわ、あるわ「サムソン」「バディ」「SM−Z」と言ったゲイ雑誌の山である。こういうものをいちいち買っていたらキリがないのでわたしは店の奥へ足を踏み入れた。すると・・・

 トレヴィルのメイル・ヌード写真集『花冠』がある。これなどはちょとしたプレミア本である。しかも定価から値段が引かれている。
 もっと驚いたのは少年愛詩人武田肇の第三詩集『ヒヤシンスの王』(昭和56年初版・銅林社)があったことだ。この『ヒヤシンスの王』は復刻版が出ているほどの隠れた名詩集である。H氏賞受賞詩人である一色真理が解説を書いている。

 他にも薔薇族編集長の伊藤文学の句集『靴下と女』やら神保町でも簡単には入手できない本が並んでいる。ゲイの聖地・新宿二丁目は実は古本の聖地でもあったのだ。

 最後になんと絵本があった。ゲイ・ショップで絵本とはこれまた妙なる組み合わせである。その絵本の題名は『タンタンタンゴはパパふたり』(ポット出版)。二匹のオスペンギンが力を合わせてペンギンの卵をかえすというなんともほほえましい絵本である。

 このとき、ちょっと驚くべきことが起こった。
 カップルがゲイ・ショップに入ろうとしたのだ。
 この時店員が大声で叫んだ。
 「女性は入らないでください!!」なるほど・・・女人禁制というわけか。さすがゲイの街・二丁目、女性には少々手厳しい。

 あとは褌やら競パンやらゲイ御用達のグッズを冷やかしてからわたしはゲイ・ショップを出た。
 次はゲイ・バァに入ろうと思ったのだが、ゲイ・バァというものは一見さんお断りの店が多い。さらにゲイの嗅覚というものは恐ろしく鋭い。わたしのようなゲイではない人間が店に入ったらどんなイヤミを言われるかわかったものではない。ご存知の諸君も多いと思うがゲイの毒舌というものは相手の本質を突くほど鋭い。わたしは嫌な思いをしないためにゲイ・バァに入ることをあきらめた。

 あとはハッテン場(男性同士でセックスをする場所)であるが、男にヤられてしまったらさすがのわたしも立ち直られないだろう、という理由で見送り、結局もう帰路につくことにした。

 立ちん坊の売り専ボーイ(男性売春婦のこと)たちがうろうろしている。彼らには彼らの事情があって身体を売っているのだろう。だからわたしは売り専といえど決して軽蔑しない。

 さて約10年ぶりの新宿二丁目行きはわたしの元気を蘇らせてくれた気がする。ゲイたちの屈託のない素直な生き方がわたしにも伝染したようだ。
 これからもわたしは新宿二丁目に足を運び続けるだろう。二丁目愛好家の端くれとして。

 ゲイとは決して「特殊な人間」ではない。性的な嗜好がマイノリティの領域に属するだけだ。わたしは今後ともわが隣人・ゲイを暖かい目で見守り続けるだろう。

 さらば新宿二丁目、いつかまた会おう。
 そう誓うとわたしは新宿駅へ向かって帰路に着いた。

 学生時代以来遠ざかっていた新宿二丁目行き、このことは今回の東京滞在の大きな収穫となった。わたしは今後とも新宿二丁目を魂の故郷としとして愛し続けることにする。

 

(黒猫館&黒猫館館長)