男性ヌードの現在

(講演日=2000年6月15日)

 

 

  始めに結論をズバリと申し上げてしまえばわたしは男性のヌードが見たいのである。

 とこのようなことを言うと「はは〜、館長のやつはゲイだったんだな。。。なるほど〜」と思う方がいるかも知れないがそれは違う。
 あいにくであるがわたしには女装の趣味はあるが、男色の趣味はない。
 わたしが男性のヌードを観たがるのは純粋美学的な観点からである。逆三角形の全身像、広く盛り上がった両肩、キュ!と引き締まったお尻、これらを総合してわたしは男性の裸体に幾何学的な美しさを感じる。
 男性の裸体=ゲイ、と結びつけてしまう連想はあまりに底が浅い。


 さて1990年代初頭にはトレヴィルから外国人男性のヌード写真アンソロジー集『ONE』や『THE MALE NUDE』や郷司基晴の男性ヌード写真集『カルサイト(方解石)』がやつぎばやに発行されちょっとした男性ヌードブームであった記憶がある。(ポルノ写真集を除く)
 しかし2000年代に入ってからは細江英公撮影の三島由紀夫の個人写真集『薔薇刑』(ナディフ)が復刻されたぐらいで、目立った男性ヌード写真集が発行されていないことに男性ヌード愛好者として、わたしは非常に残念な気分を味わっている。

 なぜ女性ヌード写真集は巷に溢れているのに男性ヌード写真集はほとんどないのかわたしは不思議でならない。女性のヌードはもちろん美しい。ならば男性のヌードも女性のヌードと同様に美しい、というのがわたしの持論である。

 西洋では古代ギリシアの時代から「Nakid Man&Clothed Woman (男性裸体&女性着衣)」の伝統がある。
 この伝統は古代において主流であり、中世において一時衰退したがルネッサンス期において大いなる復活を遂げ、その伝統は近世までちゃくちゃくと続いた。
 その証拠にイタリアの代表的な藝術の都・フィレンツェの彫刻群を見てみたまえ。85%が男性裸体像である。

 わたしはこの古き良き伝統を現在に復活させようと思っている。現代では男性=観る者、女性=観られる者という役割が固定してしまっており、もっぱら「美」は女性の占有物になってしまった感がある。このことが現代の男性の「自信喪失」につながっている。

 現代の男性が再び「観られるもの」として「美」を再び自らのものとした時、第二のルネッサンスが世界的に復活することであろう。

 そのための第一歩として現在のエディション・トレヴィルには『ONE』と『THE MALE NUDE』を復刻してもらいたい。あとはかっての三島由紀夫のような新世紀のカリスマ的男性のヌード写真集の発刊を待つばかりである。




 男性諸君。
 貴方は十分に美しいのだ。
 そのことに自信を持ってもらいたい。
 そして自分のヌードは隠すものではなくさらすものである。いったい美しいものをさらしてなにが悪いのであろうか。

 21世紀初頭、新たな男性ヌード藝術が復活することをわたしは切に願うものである。

 

(黒猫館&黒猫館館長)