さらば幸福の手乗りタイガー伝説 

 

(講演日・2010年5月25日)

 

 

 

 
 「まさかこれほどの作品とは思わなかった。」

 これがわたしが先日全話鑑賞完了したテレビアニメシリーズ「とらドラ!」に対する感想である。

 もはやこの作品はアニメにおけるラブコメというジャンルの金字塔と呼ばれている「めぞん一刻」を超えている。そのように言い切ってしまいたい衝動に襲われてしまう。
 しかし「めぞん一刻」と「とらドラ!」では作品の質が違いすぎるのでそのように断言するのはひとまず保留することにしよう。

 
 わたしが「とらドラ!」という作品を観て眼を見張ったのは主要キャラクター(高須・北村・大河・亜美・実乃梨)のすべてがあまりにも「純」だということである。それはもうちょっと触れば血が出るくらいのナマナマしさで。

 ゆえにこれを「青春ドラマ」と呼ぶ人もいるだろう。
 しかしわたしは「青春」という言葉をそう軽々しく使いたくない。なぜなら「青春」という言葉は今まであまりにも色々な人間が色々な使い方をしたおかげで手垢がついてしまったからだ。

 しかし「とらドラ!」に関してだけはわたしはまぎれもなく「青春ドラマ」であったとわたしは言い切りたい。
 「とらドラ!」の作品世界には「青春」の特質である「怒り」「痛み」「くやしさ」「やるせなさ」「闘争」「ユーモア」「甘さ」すべてが盛り込まれている。

 アニメ「とらドラ!」の作品構成は前半は面白おかしい学園ドラマとして進行してゆくが、文化祭編を区切りとして除除にシリアスな展開に発展してゆきクリスマスの回でギリシャ悲劇的で厳粛な崩壊を迎える。
 ネタバレ防止のため詳述しないが、凡庸なドラマならクリスマスの回で終了していただろう。
 しかし「とらドラ!」の凄い所は一旦崩壊したキャラクターの関係を最終回に向かって再構成しなおした点にある。
 要するに「とらドラ!」とは非凡なドラマなのだ。

 それだけではない。
 終始、少年少女のみのラブコメで終始しがちなこの手の類型作品と違ってキャラクターの背後にある「家族」というものまでキッチリ描き出した構成は見事である。

 

 このようにして「とらドラ!」は21世紀初頭を飾るにふさわしい記念碑的なラブコメ作品となったとわたしは痛感している。
 これでもまだわたしが「とらドラ!」が「めぞん一刻」を超えた、と断言しない理由は「めぞん一刻」は2年間98話の大河ドラマであり、一方「とらドラ!」は半年25話の短編作品と呼んでもよろしい作品の性質の違いに寄る。
 
 しかしそれでもまだ「とらドラ!」が「めぞん一刻」に肉薄しているように思えるのが「とらドラ!」の凄さであろう。
 とらドラのキャラクターたちはたった25話を全速で駆け抜けていったのだ。さわやかな一陣の春の風と共に。







 最後にわたしから「とらドラ!」へエールを送ろう。

 高須、北村、大河、亜美、実乃梨、おまえら最高だよ。
 最高。

 文字通りの「幸福の手乗りタイガー伝説」としてこれからも視聴者に笑いと感動と涙を与え続けてくれ。

 さらば幸福の手乗りタイガー伝説。
 そしてようこそ幸福の手乗りタイガー伝説。

 活字の世界で再会しよう。

 

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)