観光とは何か

(講演日・2009年5月14日)

 

 

(↑ハンガリー・ブダペスト・ドナウ川・くさり橋付近↑)

 

 わたしは先日、東欧四ヶ国巡りの「観光」に行ってきた。

 無論素晴らしい旅行であったことは言うまでもない。
 しかしわたしはふと気づいた。

 「観光」とは?・・・

 「光を観る」、つまり観光、これはどういうことなのであろうか。そしてそもそも「光」とはなにを意味するのか?

 緯度経度の異なる世界の国々によって、太陽光の可視範囲が異なるため、見える色が違うそうである。
 未知の国における新しい「色」を発見するのも、観光の楽しみの一つであるだろう。

 さらに言えば「観光」の光は光学的な意味における「光」を超出する暗喩であるだろう。
 それではなんの暗喩か?

 わたしはちょっと考えてみた。
 「光」とは太陽の光、電球の光、蛍光灯の光、など色々な種類があるが「暗い場所を明るくするもの」である。
 また暗闇では「色彩」を認識できない。
 つまり「光」とは「色彩に彩られた美しいもの」の暗喩である。

 東欧でプラハのカレル橋やブダペストのドナウ川やウィーンのシェーンブルク宮殿を観ることは「光」=「明るく美しいもの」を「観る」、つまり「観光」に間違いないだろう。

 それらの経験はまぎれもなく、冥(くら)い人生の道程を照らしてくれる「観光」であるに違いない。
 それらの「光」から「元気」をもらって帰ってくることが「観光旅行」の真髄であるのだろう。

 また映画を観る、アニメを観る、小説を読む、漫画を読む、ことも広い意味における「観光」である。アニメや漫画のキャラクターがイキイキと動く、これは間違いなく「キャラクターたちのイキイキとした動きを観る」という点で「光」と言って良い。
 
 さらにいえば自分が「光」となることができる。
 自分がニコニコとして明るく、優しく、元気よく振舞えば、わたしと会うことが他人にとって観光となる。
 そしてそういう「光属性」を持った人の周囲には自然と人が集まってくることであろう。

 「光」とは明るくし、よく見えるようにし、物事を明晰にすることである。

 そのような「聡明な」つまり「光が満ち溢れた」人になってほしい。

 

(黒猫館&黒猫館館長)