1000の手の救済

(講演日・2002年5月19日)

  

 その日、JR京都駅に降り立った私は、さてどこに行こうかと迷うた。雲一つ無い青天、そして5月の陽気が鬱持ちの私の心をめずらしく明るくしていた。
 その日は私の関西旅行の最終日であり、あまり遠出はできないのであった。私はJR京都駅から一番近いと思われる名所・名跡を駅前地図で物色した。すると京都駅をでて右手に曲がったところに「鴨川」という河があり、その河を渡った地点に「三十三間堂」という仏閣があるのを発見した。この仏閣が京都駅から一番近い「観光名所」らしい。即座に私は「三十三間堂」に行くことに決めた。

 しかし、どこまで歩いても「三十三間堂」は現れない。不安になった私は近くの「コンビニエンス・ストア」に入り、年頃の娘さんに尋ねた。「『三十三間堂』はどこですか・・・?」と。
 娘さんは私に微笑んでこう言うた。「この道をあと10分ぐらい歩けば着きますさかい。」そしてにっこりと笑った。心細い旅で疲れきっていた私はこの娘さんの微笑みに救われる気がした。この娘さんの親切が私の骨身に沁みた。そしてこう思うた。
 「まことまこと、人の慈悲だけはどんな遠い異国の地にあっても絶えることはないのだ。」・・・と。

 娘さんの指示に従い10分ほどあるくと、いかめしいがどこかしめやかな造りの建物が見えてきた。これが「三十三間堂」であった。「入場券大人800円」という札が掛かっていた。私はこの金額を正直なところ「高い」と思うた。しかし私は自分を叱った。浄財と思って800円払え。そう自分に言い聞かせると無言で1000円札を受け付けのおばちゃんにさしだした。おばちゃんは無表情な顔をして200円を私に投げつけた。

 堂内に入るとむせ返るような香がかぐわってきた。私は香の匂いは嫌いではない。香の匂いを楽しみながら私は靴を靴箱に入れると、スリッパに履き替え本堂へと歩を進めた。

 本堂に入った瞬間、私は圧倒された。先が見えないほどの細長く続く堂の右手側面にびっしりと千手観音が立ち並んでいる。その数は真ん中の千手観音坐像の左右にそれぞれ10段50列500体、全部で1001体の観音さまが、まるでひしめきあうように並んでいるのだ。その様は私に華麗な群舞を思わせた。千の手を持つ観音様が楽しげに踊り戯れておられる・・・。そう思うた。
 
 しかし次の瞬間、私は圧倒的な悲しみに打ちのめされたのだ。「人間の苦しみはこれほどの手をもってしても救いきれるものではないのか・・・!」と。

 三十三間堂の観音様の手は正確には一体につき40本しかはえていない。しかしその40本の手の1本1本が25の世界で人間を救済するという。つまり40×25で1000の救いを人間に齎すというわけだ。
 しかしこの全地球での人間の苦しみはとても千や二千で救いきれるものではない。1万や2万の手をもってしても無理であろう。絶望が私を襲った。「千手観音」などこけおどしにすぎぬ・・・。さよう、それは確かに諧謔に充ちた絶望であり、この仏閣を嘲笑する諦観であった。

 しかしこの絶望と諦観に押しつぶされそうになった私を救ったのは私の目の前に立てかけてある看板であった。
 「この三十三間堂を構築するにはおよそ千人の僧が駆り出され、その作業は完成まで30年を経た。」・・・
 私は愕然とした。そして私は先ほどの自分の思慮の浅はかさを自分のなかで罰した。そして哭いた。「30年に及ぶ仕事といえばおよそ一人の人間のライフ・ワークであり、そのために1000人の人間が駆り出されたのだ。その苦労、心痛、労力はいかばかりのものであったのであろうか・・・!?。だが彼らは成し遂げたのだ。この偉大な仏閣、1001体の観音様の群舞する三十三間堂の構築を!」
 
 それは端的にいって「意志」であった。運命という絶望に敢然と立ち向かう「意志」であった。千人の僧たちの強靭な「意志」が1000体の観音様からオーラとなってたちのぼっておられるのであった。
 「ひとは・・・ひとは・・・これほどまでのことを成し遂げるのか!」私はいつのまにか涙を流していた。そして静かに合掌し頭を垂れた。そして思うた。

 1000の手の救済とは実は1000人にも及ぶ人間の祈りだったのだ、と。

 三十三間堂をあとにした私はJR京都駅から大阪伊丹空港行きのバスに乗った。京都をあとにしながら私は思うた。世界人類がすべて救われることは絶対に夢ではない。と。そして私自身が「生まれてきて良かった」と本当に本当に心底思える日もまたきっとくる。そのことを私は1000体の観音様から教えられたのだ。


 「旅はひとを変える。」・・・かの大ゲエテもそういっている。私もまた今回の関西旅行でなにか大きなものをつかんだのだ。そのことを、まず第一に堂へと案内してくれた娘さんに心底感謝しながらここらで筆を置きたい。

 希望とはそこに漠然と舞い降りてくるものではない。自分で血と汗と涙を流してつくり上げるものだ。旅から帰った現在の私はしっかりとそう認識している。