幼年幻祷館(決定稿)

 

 【おぼえがき】
(この原稿の初稿は黒猫館平成日記において2005年に発表された。今回の決定稿は昨年の祖母急逝一周忌を契機として再び稿を新たにして全面的に書き直したものである。2008年9月30日)

 

 

 

 

   

 人間の一生を通じてみればしばしば信じがたいことが起きるものだ。その信じがたいことが、人間の幼少年期に集中しているのはなぜだろう。

 わたしは幼少年期に現在では信じられない数々の体験をした。本日はそのひとつを話すことにしようか。

 

     ※          ※


 

 わたしには小学校での記憶というものがほとんどない。

 その当時、わたしの両親は共稼ぎで家には居なかった。わたしは祖母(故人)と共に暗い大きな屋敷で暮らしていたのだった。実にわたしは10歳、祖母は70歳の時代であった。


 わたしの祖父は物理学の教師であった。しかし本棚に ある本はなぜかみな医学書であった。わたしは夢中で医学書を読み陶然とした。

 

 極彩色に濡れ光る妖しい内臓解剖図。
 人間の内部とはこんなに極彩色の妖しい物体が詰め込まれているのかとわたしは吐き気を催しながら驚嘆し畏怖した。人間の内臓に。

そして目次に並ぶ妖しい病名の数々。


 日本脳炎。
 破傷風。
 イレウス。
 膠原病
 クローン病
 象皮症
 潰瘍性大腸炎。
 全身性エリテマトーデス。

 
葡萄状鬼胎

 幼年時代のわたしにとってこれらの病名は詩であった。
 わたしはなんどもなんどもこれらの病名をぶつぶつと暗誦していた。

 またこれらの病気の中で一番わたしが恐怖した
のは「イレウス」である。

 この病気は日本語で腸閉塞という。それゆえわたしは自分の腸がもし詰まったら、
と恐怖した。

 そして本気で大便が口から噴き出すさまをいつもまぼろしのように視ていたのだった。

    ※       ※

 
 そんなある日の午後。
 どこがどうつながっているのか良くわからない広大な屋敷の一室で、わたしはオバQのビニール製の風船を見た。恐らくこれは祖父の息子(わたしのおじさん)のおもちゃであろう。わたしはそのオバQの風船に近づいた。

 その瞬間信じられないことが起こった。
 オバQがむくッと立ち上がったのだ。
 わたしは全身が硬直した。
 次の瞬間、オバQは歩き始めた。

 のっし・・・のっし・・・

 わたしはなおも金縛りにあったように動けない。

 のっし・・・のっし・・・

 あと一メートルでオバQがわたしに達しようとした瞬間、金縛りが解けた。どこをどう走っていったのであろうか。わたしは泣きながら長い長い廊下を走って居間に入ると祖母に抱きついてオンオンと泣き出した。

 「よしよし、本当にこわかったんだべぇ・・・」祖母だけはわたしの話を聞いてくれた。しっかりと力強くわたしを抱きしめながら。
 午後5時ごろ、迎えにきたわたしの両親は頑としてこの話を信じてはくれなかった。


    ※           ※


 祖母は昨年(2007年11月)に100歳近くで他界した。死因は腰の骨折。高齢者にとっては骨折が直接の死因になることもあるのだ。

 葬儀場で棺に収められ、火葬場に運ばれていく祖母を見ながらわたしはボンヤリとあの歩くオバQのことを思い出していた。

 もう歩くオバQのことを信じてくれるヒトがひとりもいない。そう考えるとわたしはナミダが止まらなかった。

 今、火葬場で火が点燈する。
 燃え上がる祖母の棺を横の窓から見ながらわたしは歩くオバQの記憶を反芻した。そしてあのオバQもまた祖母の棺と共に燃え上がるのを感じていた。

 落胆。そして不思議な安心。
 歩くオバQの記憶はその瞬間、過去の記憶となって風化した。

 しかしわたしは信じている。
 あの日、あの時、オバQは確かに歩いたのだ。

 それはあの日のわたしと祖母の妖しくも美しい黙契であるのだ。
 永遠に。 
 

 さようなら。

 祖母、石岡益子、享年99歳。

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)