SEEDを蒔く者

 

 

 

 久しぶりにガンダムを堪能した。
 
 さてわたしが最後までキチンと観たガンダムと言ったら 、『ファーストガンダム三部作』(「機動戦士ガンダム」「哀・戦士」「めぐりあい宇宙」)(1979年) ぐらいである。観たと言ってもほとんど意味がわからなかったことだけを覚えている。それ以来、 『Zガンダム』(1986)のあまりの鬱展開にウンザリして80年代・90年代のガンダムはほとんど観ていない。
 
 最近、機会があって「Gガンダム」「ガンダムW」を観たが、これらのガンダムは80年代の宇宙世紀ガンダムよりよほど面白かった。

 さて今回わたしがじっくりと腰をすえて観たガンダムは『機動戦士ガンダムSEED』(2002)である。

 この作品によって、わたしは10年ぶり以上の年月にわたって忘れていた「アニメを観て感動する」ということを体験させてもらった。

 とこのようなことを書くと「イイ歳してガンダム観て感動とは。ハーハッハッハ。」などという声が聞こえてきそうである。
 しかし嘲いたい者は嘲うがよい。いくら嘲われてもわたしは痛くもかゆくもない。

 わたしにとってアニメ・特撮・漫画などのサブカルチャーは精神の糧であるのだ。中学生時代に「宇宙刑事シリーズ」(ギャバン・シャリバン・シャイダー)から「勧善懲悪の精神」を学ばなかったら、いまごろわたしはどんなバカ者に成り下がっていたかわからない。





 「平成の教養人」と謳われる谷沢栄一氏もこう言っている。

   「豊かな語彙を駆使し、歴史の動態を通じて人間世界の常
    識を培うのに貢献しているのは劇画作家である。」
 
                            谷沢栄一『人間通』(新潮選書)




 わたしも谷沢氏の意見に賛成である。現代の若者はサブカルチャーから人間世界の常識を学んでいるのだ。

 さてやや話がズレた。ガンダムに話を戻す。

 『SEED』の主人公、キラ・ヤマトは番組中盤でかっての親友であったアスラン・ザラの部下の二コルを殺してしまう。失意のキラを救ったのはザフトの歌姫、ラクス・クラインであった。
ラクスの手当てを受けたキラはこう呟くのだ。

 「僕たちは何と戦わなくてはならないのか少し解かった気がするから」

 そのように呟くとキラは新モビルスーツ「フリーダムガンダム」に搭乗して新たな戦地へ向かう。
 さて一体キラは「何と戦う」べきであると思ったのであろうか。
 それが『SEED』というテレヴィ・ムーヴィーの「テーマ」であるように思われる。

 わたしが思うにキラが戦うべきものと思ったものは「自分自身」であったのではあるまいか。ザフトでも地球連邦でもブルーコスモスでもない、自分自身。自分の中にいる自分の行動を臆病をもってひっぱる「もうひとりの自分」そのようなものと戦いつつ自分が信じる道を行く。
 これがキラが思った戦うべきものの正体である気がする。

 さてわたしが日本で最も尊敬する芸術家のひとりである岡本太郎はこのように言っている。




      「人生を真に貫こうと思えば、必ず、条件に挑まなくてはならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。
       そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また敵なのである。」

                                                岡本太郎『自分の中に毒を持て』 (青春出版社)より引用。





 この引用部分で「運命」という言葉が出ていることに注意していただきたい。『SEED』の続編『DESTINY』という英単語は「運命」と同義語である。

 最後に「SEED」とは一体なんなのであろうか。噂によると詳細な裏設定があるらしいが、ここはわたしなりの解釈をこころみる。「SEED」とは種である。ではなんの種か。それは「希望」の種ではないのか。
 種は長い期間、暗く湿った土のなかでやがてくるべき日を待たねばならぬ。
 大輪の花を咲かせ、豊かな作物を実らせ、そしてまた無数の「種」を大地に蒔いてゆく、そのような日を。
 「SEEDを持つ者」とはつまりそのような「希望」を決して忘れぬ者ではないのか。




 さて『ガンダムSEED』のような良質な作品が地上波のテレヴィ・プログラムで毎週放映され、そしてそれを観て、熱中し、涙を流し、感動し、自己の精神の糧として大人へと成長してゆく、そのような若者たちがたくさんいるならば、まだ、この世界は十分に大丈夫だ、そのようにわたしは全話鑑賞後にしっかりと確信している。

 

 

 

 

 

(この講演は2003年のTV番組「機動戦士ガンダムSEED」の全話観賞後に執筆された。
 今回の講演は稿を新たにして再び2008年現在に「SEED」の持つ意義を問うものである。

またこの講演は「SEED」を通じて出会う事の出来た大親友・彩華さんにささげられるものである。)

(2008年7月17日)
(黒猫館&黒猫館館長)