五十九歳の号泣

 

 

 という題名だけを見て「はは〜、これは駄洒落だな・・・」と推測した諸君、ご愁傷様である。
 確かに音韻的に「五十九」=「号泣」とかけてはある。
 しかしこの文句の含意する意味はそれに留まるものではない。

 さて、秋田県出身の大小説家・石川達三の晩年の著作に『四十八歳の抵抗』という本がある。この「四十八歳の抵抗」とは「あと2年で50、そろそろ不惑に達した、しかしまだまだ丸く収まりたくはない。」という意味を含んでいるようである。

 しかし現代の超高齢化社会では寿命の伸びと同様に「青年期」は20代〜50代まで引き伸ばされたと観るべきであろう。
 「中年期」は60・70代であり、「老年期」は80歳以上と見ればピンと来る。
 もはや従来型の年齢観は通用しないのだ。

 さて還暦までを青年期だと思うと、俄然、われわれも将来に対してヤルキが出てくる。
 もちろん不安もある。
 ホームレスになってしまう人は50代が一番多いそうである。あな恐ろしや。わたしはホームレスになりたくないから、なるべく若いうちに頑張ろうと思っているくらいだ。それこそ59歳で上野のテントの中で号泣しないためにも。



 さて話がやや逸れるが、わたしはこの『五十九歳の号泣』を小説にしたいと思っている。
 四十歳を過ぎた男に立ちはだかる不安・葛藤、まさにこれこそが現代の青春小説となるであろう。
 五十九歳で号泣しないために社会にぶつかってゆく男の生き様を疾風怒涛のビルディングス・ロマンにしたてあげたいのだ。
 もちろん書いたからには芥川賞を取る予定である。諸君、ぜひ読んでくれたまえ。

 さて諸君、「もう二十代も終わり」だとか「もう三十代も終わり」だとかでブルーになっているヒマがあったら、とにかくがむしゃらに仕事に打ち込むなり、資格を取るなり、やりたいことをやっておくなりしたほうが良い。

 それこそ「本当の青年期の終わり」=「五十九歳」で号泣しないためにも。

 

 

 (黒猫館&黒猫館館長)