美しき祖母よ

 

 

 (2007年9月18日深夜、祖母倒れる。
 救急車で病院に搬送される。
 四時間にも及ぶ大手術の上、奇跡的に生還。
 しかし今後の歩行ならびに常人としての生活は困難である、と医師に宣告される。)

 

 

エレベーターが大病院の四階で止まる。
スー、音もなくエレベーターのドアが開く。

ツン!と鼻につく消毒液の臭い。
白衣の看護婦たちが行き来する。
そこは救急病棟、しかも重篤患者のエリアである。

まるでSF映画のロボットのように身体のあちこちにチューブを差し込まれた男。
呆けたような顔で寝そべっている寝たきり老人。
どの顔もどの顔も根底にあるのは絶望だ。
生きる気力を失い、ただ苦痛に怯えて死を待つだけの生き物。

見ろ!神よ!
これが「 に ん げ ん 」だ!
おまえの造った万物の霊長のなれのはてがこれだ!
さあ!良く眼を開けて、みておけよ。



やがてわたしは祖母の病室に入る。
もはや祖母であるとはいえないような痩せこけた小動物がそこにいた。
彼女の生命を保つために四箇所もの細い管がしなびた身体に差し込まれていた。

わたしは祖母の側の椅子に座る。
ただそっと祖母を見る。
言葉などもう出ない。
こんなになった彼女の前でわたしは何を言えば良いというのか!

わたしは涙を飲み込んだ。
意識はあるのか。
眼は見えているのか。

しかしその眼はひどくおだやかな、優しい小動物のようであった。
この黒々とした眼は一体何を見てきたのだろうか。
晩年の祖母は厳として語らなかったが、わたしは知っている。

祖母は戦前の旧制女学校で、当時、物理学の教師をしていた祖父と熱烈な大恋愛の末に結婚していること。
戦時中は満州にわたって、侵攻してくるソ連軍から逃げまとって死線の中を這いずりまわったこと。
そして戦後は物資の不足している極貧のなかで女手ひとつで母とその兄弟3人を見事に育て上げたこと。

こんなにも美しい女性を神よ。
神よ。
おまえは奪い去ろうとしているのか。

はっきり言おう。
神とやら。
おまえは「残酷」だ。

わたしがもの思いに耽っているその時、奇跡が起こった。
祖母が片手を伸ばし始めたのだ。
もうなにも言えない口をパクパクと開かせながら。
わたしはただ涙を流した。
そしてただ祖母の手を握った。
いつまでも。
いつまでも。

祖母はもう長くないだろう。
しかしわたしは信じている。

祖母は人間として生まれ、人間として生き、人間として死ぬだろう。
祖母は最後の最後まで人間の尊厳を失わなかったと。
絶望という陥穽に決して落ち込まずに最後まで希望を失わずに生きたことを。



これは、家族の誰もが信じなくても、祖母とわたしだけが知っている美しい黙契なのだ。

さらば、わが祖母。





・・・・・病院から自宅へ帰る途中に見た、夕日に向かって自転車をこぐ女子高校生がなぜかやたらにまぶしく見えた。

 

 

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)