ショーペンハウアーとの対話

(講演日・2007年4月12日)

 

 

 

  新潮文庫のショウペンハウアー『幸福について』のカバーがついにボロボロになって取れた。
 ハダカ本になったこの本はますます薄汚れてゆくのだろう。 しかしボロボロになればなるほど、その本への愛着は深まってゆく。『幸福について』とはそういう本だ。

 この『幸福について』はわたしが学生時代の頃から何度も読み返している。もちろん最初は意味がよくわからなかったが、最近になってようやくしっくりくるようになってきた。「理解力」というものは歳を重ねる度に深まってゆく、と良く言われるがわたしも最近、若い時分にわからなかった本がぞくぞくわかるようになってきた。喜ばしいことだ。

 「人生の目的は快楽を追求することではなく苦痛を軽減すること。」

 ニーチェに心酔していた学生時代のわたしはなんとまあ辛気臭いことをいうオッサンであろうか、とショーペンハウアーをバカにしたが、しかし人生の曲がり角に差し掛かったわたしには、このショーペンハウアーのテーゼのほうがしっくり来る。

 人間の快楽を求めるラットレースは果てしもない。快楽のために血を流し、苦痛さえいとわない、それが人間というものだ。

 しかしわたしはもう世知辛い社会からドロップアウトして「隠れて生きる」ことに専念したい。「隠れて生きよ」とはショーペンハウアーではなく古代の快楽主義者・エピクロスの金言だ。世の騒々しい雑音から逃れて平安な気分で田舎暮らし、それがわたしの理想だ。そういう生活にはショーペンハウアーのエッセイが一番しっくりくる。

 岩波文庫の『自殺について』『読書について』『知性について』も良いがわたしはショーペンハウアー入門者の若い諸君にはこの『幸福について』を一番推薦したい。読めば心が楽になる。寺山修司は「身体に効く薬があるなら心に効く薬があっても良いではないか。」と主張し『ポケットに名言を』というアフォリズム集を編纂した。寺山修司の主張と同様にわたしにとってのショウペンハウアーもまた「読む薬」である。特に不安な時に読むと不安が薄らぐ。活字の効用というものはバカにできないものだ。

 無理をしてあの分厚い『意志と表象としての世界』を読む必要はないと思う。もっとも理論派の方々でチャレンジしてみたい諸君にはぜひ読んでほしい。一般的にはカントの哲学の焼き直しと言われるショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』であるが、この書の真骨頂は理論的な「前半」にあるのではなく、人生論的な「後半」にある。特に音楽の効用を述べた部分は眼からウロコが落ちるだろう。

 わたしにとってのショウペンハウアーの書は人生の伴侶ともいうべき座右の書である。
 ショーペンハウアーでなくてもよい。閲覧者の若い諸君でまだ自分にしっくりする本に出合えていない方は早めに見つけられることをお勧めする。

 人生の伴侶ともいうべき座右の書はつらい時、厳しい時、淋しい時、その人を慰め励ましてくれる、素晴らしい友人である。

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)