蒼の部屋

(文化)

 

 

2006年3月14日 残心
2006年4月30日 芝居を観る
2006年6月1日 書く
2006年6月12日 私が吉野家を止めた理由
2006年8月11日 ネックレスは金が善い
2006年9月27日 色ざんげ
2006年10月4日 絵を描く

 

 

 

 

 残心

 

 ある蒸し暑い七月の午後のことであった。
 蝉の声がみんみんと響き渡る剣道道場で、わたしとクラスメートたちは剣道の練習をし
ていた。時は1980年代前半、この時代の高校生男子には「剣道・柔道」のどちら
かが必修科目として課されていたのである。

 友との打ち合いを終えて、正座し、冥想する。これは剣道の心得のある方なら誰で
も知ることであろうが、静かに眼を瞑り、その日の練習を反復反省するということは
剣道の世界では非常な重みを持つ大切な修練の一環なのである。

 「止めッ!」

 剣道の教科担任の声が鋭く道場に響く。 するとその担任はなぜか水をなみなみと注
いだコップを持っているのであった。

 「全員、これを見よ。」

 担任はいきなりコップの水を床にこぼした。一瞬、生徒全員が息を呑んだ。沈黙が
続くなか担任は重々しく口を開いた。

 「コップの中を見よ。水滴が残っている
だろう。これを残心という。」

 生徒全員ポカンとしていた。もちろんわたしにもなんのことなのかわからなかった。
その日の授業はそれで終わりであった。しかし初夏の午後、剣道の教師から聞いた「
残心」という謎めいた言葉、そしてその道場の清明な風景は今でもわたしの頭脳に鮮
明に残っている。


 さて茶道の世界では「余情残心」という言葉がよく使用される。これは「器物をと
る時は軽く、置くときは深い思いいれあれ」という茶道の根本精神の四文字化したもの
である。すなわち美味い茶を飲んだ感触に対する感謝の念を碗を置いたあとも持続せ
よ、ということである。転じて、茶の湯の主人が客人をもてなしたあともその客人に
対する感謝の念を明日もその次も持続せよ、ということである。もっと簡単に言えば、
「余情を残す」、このことを残心といったら適切であろうか。

 具体的には客人をもてなした後、客人を玄関から見送る際にピシャリと戸を閉めて
追い出してしまったら台無しである。客人が家から出たあともいつまでも戸を開けて
感謝の意を持続せよということである。

 このことは現代人の生活にもあてはまる。 高級なレストランで食事をした後、その美
味を感謝しつつ食後ゆっくりと茶を啜る。これは「残心」である。食事代を払う際に
お金に感謝の意を込めることも「残心」である。つまりお金を感謝と愛情の表現とし
て使うのだ。そうすればお金は世界中を旅して沢山の仲間たちを連れて自分のもとに
帰ってくるであろう。そしてレストランを出る時もそのレストランに敬意を表しつつ
場所と名称と美味しいメニューをしっかり覚えておく。これも「残心」である。しっ
かりと覚えておけば自然にまた行こうという意欲がでてくる。そして美味しい味を堪
能させてもらったうえ、レストランの主人と顔なじみになり人脈の輪が広がってゆく。

 このように「残心」とは日常生活における潤滑油の役割を果たしているといってよ
かろう。「残心」の心のない生活はぎすぎすして面白みがなく次第に荒廃してゆく。

 あの剣道の道場でわたしが教わった「残心」はその後20年以上かけてようやく役
にたつ智恵として実をむすび始めたようだ。 しかし「残心」の心はまだまだ奥が深いも
のと思われる。わたしは今後も「残心」のこころの探求をさらに続けてゆく。このよ
うに既知を既知として終了させるのではなくさらに奥深く探求するこころ、これも実
は「残心」なのではないか。最近のわたしにはそのように思われる。

   

 

 芝居を観る

 

 都会の夜は一見華やかである。
 しかし華やかであればあるほど、孤独な人間にはその孤独が身に沁みる。薄暗いアパートのくらがりで「カップヤキソバ」をひとりで啜るみじめな夜。そんな孤独な夜から逃れるためにわたしは都会の片隅の芝居小屋に何度も逃げ込んだものである。

 わたしが日本で最も尊敬するわけではないが好きな歌人の一人である林あまりもこう詠っている。

 「どしゃぶりに芝居の切符買いに行くせめて一夜の居場所予約に」

 それなら別に芝居ではなく映画でも良いではないか。という声が聞こえてきそうである。 しかしわたしは断然、芝居派である。
 役者がイキイキと目の前で躍動するライヴ感覚、これがわたしにとっての芝居の最大の魅力である。


 1988年の劇団四季「オペラ座の怪人」 初演、ここからわたしの芝居見物は始まった。
 開演と共に天井から落下するシャンデリア、そして荘厳に鳴り響くアンドリュー・ロイド・ウェーバーの音楽、それは「オペラ座の怪人」の開演のみでなくわたしの芝居人生の開
演であった。
 劇団四季では他に「キャッツ」、「夢から覚めた夢」などを鑑賞した。四季の座長の浅利慶太の「お金を払ってもらったらその値のものはキッチリと見せる」という言葉に嘘はなかった。四季の芝居に外れというものはない。

 さて四季などの大劇場を芝居の表だとするならば小劇場は裏の面である。唐十郎の状況劇場を一番初めに観た時はショックを受けたものだ。とにかくなにがなんだかよくわからない。しかし観れば観るほどその異様な世界に引き込まれてゆく。これは山崎哲の「転位
21」でも同じである。「転位21」から分派し現在では堂々たる劇団に成長した坂手洋二の「燐光群」の岸田国士戯曲賞受賞作「ブレスレス」を初演で観ることのできたわたしは幸いである。唐十郎らの「アングラ」から脱却し、しかも完全に娯楽作品に傾斜することもないその独特の作風はまさに「新世代」 の小劇場のあり方であるだろう。

 新世代といえば丸尾末広や嶋田久作を抱えた東京グランギニョル劇場主宰の飴屋法水が
1989年にパルコ劇場で「劇団MMM」という名義で打った「SKIN」、この芝居は再演不可能と今日では謳われるほど非常に尖端的・現代的な芝居であった。「SKIN」はビデオでも発売されているので興味のある方は御一見をお勧めする。

 さて最近、わたしは芝居を観ていない。その理由は東京から遥かに離れた土地に在住していることが大きいだろう。しかしわたしはまた善い芝居を観るためだったら新幹線に飛び乗って芝居見物に東京に直行しようと思っている。芝居に再入門したいのだ。

 この日記を読んでいる方々で芝居というと学校の退屈な「演劇教室」を思いだしてウンザリするという方々がいたら、一度身銭を切 って本格的な芝居を鑑賞されることをお勧めする。諸君の目の前全く新しい世界が広がることは間違いない。

 芝居とはわたしにとって華麗な歌と踊り、そして劇的で叙情的、あるときは耽美で豪奢、退廃的、またあるときは政治的で現実的、とほうもない悲劇、時にはSF的、さらには異様なエロチシズム、そして人間の持つ深いかなしみやよろこびまでまざまざと見せくれる人生の学校なのである。

 

 

  

書く

 

 わたしが黒猫館で日記を書き始めてから約一年が経過した。その間によくもまあと自分でもあきれるほどな題材の日記を書いたものだと自分でも驚いている。

 もちろん、勢いに任せて書き散らした日記もある。しかしわたしがこの日記を書くのは単に勢いだけからではない。

 さてHPというものは「半公共」の場所であると思っている。いくら自分がプロバイダーにお金を払って開設しているのだから好きなことを書き散らしてよいとは限らない。無料で閲覧できるウェヴ・スペースとはいえ書いてよいことと書いてはいけないことがある。

 そこで下手なことを書いたら腐される、けなされる、批判されることは当然のこととして起こってくる。それでわたしも黒猫館平成日記を書くのはもう止めようとこの一年で何度も思ったものである。わざわざ努力して書いて原稿料も出ず、他人からどんな眼でみられているかわからない。

 しかしわたしは現在でもこうして書き続けている。なぜか。

 さて米国の学会では「発表か、死か。」という諺があるそうである。つまり発表せず頭で考えているだけだったらなにもないのも同じである、という意味だ。 なにか考えたら出来るだけ多くの人に見られる場所で発表する、このことがその「アタマの中のモヤモヤ」を「考え」に昇華させる方法である、ということであ る。このような考えに乗っ取ってわたしは日記を書き続けている。

 また「見た」「聞いた」「読んだ」だけでは単なる知識である。これを役に立つ「智恵」に昇華させるに
はやはり具体的な文章にして書かなくてはならない。「知識」を「智恵」として生かしていかなければなんの役にもたたぬ。こんなことは当然のことである。

 とこのような理由でわたしは今日も日記を書いているのである。いつまで続けられるかはわからないが、とにかく「アタマの中のモヤモヤ」を文章にしてみたい、これがわたしがこの日記を書く最大の理由である。

 それでは。

 「読んでくれてありがとう。今後ともよろしく」

 

 

 

 

わたしが吉野家を止めた理由

 

 わたしは最近、吉野家に行くことを止めた。
 もう20年ちかくも吉野家にお世話になっていたのだから感慨もひとしおである。

 さてわたしが吉野家行くことを止めた理由は別に吉野家がダメだと思ったからではない。吉野家が好きなヒトはおおいに吉野家に行ってほしいと思う。

 わたしが吉野家を止めた理由はもっと色々な種類の食べ物を食べてみたいと思ったからである。たとえば寿司、中華料理、焼肉、印度カリー、エスニック料理、等等。世間には320円の豚丼の世界からは思いもよらない豊穣な食の世界が広がっている。そういう世界に足を踏み入れてみたくなったのだ。

 しかしそういう食べ物は値段が高い。当然のことであるがそうなのである。
 しかし一ヶ月に使える趣味的な買い物の代金を少量でも食べ物に回せば簡単に以前より色々なものを食べられることがわかった 。要はやりくりしだいなのである。

 さて食は五感のうちのひとつ、味覚をつかさどるものである。人間の五感は味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚の五つである。この五感をバランス良く楽しませることが全人格的成長に繋がる。
 視覚なら映画 ・絵画、聴覚なら音楽、嗅覚ならば香水・アロマテラビー、触覚ならば日々の活動によって刺激して楽しませることが肝要だ。味覚は食べ物によって刺激され成長してゆく。いわば「食育」というものである。
 味覚を肥やすことも立派な文化活動なのだ。

 さて「食」には「食べる」側面と「作る」側面がある。今後は作る側面にもわたしはチャレンジしたいと思っている。女性が「作るヒト」、男性が「食べるヒト」という考えはもう時代遅れである。世の 男性諸氏よ、おおいに文化としての食事作りを楽しんでみようではないか。

 重ねて言うが五感をバランス良く刺激すること、これがその人間の「感受性」の向上に繋がるのである。

 

 

 

  

ネックレスは金が善い

 

 

 わたしは最近、金のネックレスをしている。
 最近の若い方々はネックレスといえば「クロムハーツのシルバー!」であるそうだが、わたしは断然、ゴールド派である。
 わたしのようなもう四十路が近い人間には銀は地味すぎる。やはり金でゴージャスに決めたいのである。もちろんゴールドと言ってもイミテーションではない。「ピエールカルダン」の本金である。
 やはり本物は輝きが違う。まさに王者の風格である。

 また風水的にも金は善い。金は金運的には「最強」の色である。金持ちを目指す人間に金は必須である。銀の金運パワーは金の何十分に一にすぎないそうである。

 さてそれほど善い効果のある金のネックレスであるが若い方々に人気のないのはなぜであろうか。それは端的に言ってコーディネイトが難しいからだ。カジュアルショップで1980円で売っている白いTシャツに金のネックレスをかけても滑稽になるだけである。やはり金にふさわしいトップスを選ばなくてはならない。
 わたしの場合は金色のファスナーのついた黒のカットソーを愛用している。これならネックレスの金が浮かないし、黒地に金が映えて大変善い。

 さて大人には大人のお洒落があることは以前にも述べた。それゆえ若者がシルバーのネックレスで無機質な攻撃性を演出しようというのなら、大人の諸君は銀のナイフをも吸収してしまうような華麗なゴールドで上質さを演出しようではないか。

 「上質で落ち着いた華麗さ」、これは若者には手が届かない大人の特権である。

  

 

 

 

色ざんげ

 

 われながら黄色が大好きである。わたしは自宅を改装するならば、黄色く壁を塗りたいと思っている し、黄色い財布も欲しいし、黄色いパジャマで寝てもいいと思っているくらいだ。

 なぜそこまでして黄色が好きなのか。

 その理由は「黄色は楽しい雰囲気」であるとしかいいようがない。黄色いものはピカチューにしろなんにせよ見ているだけで踊りたくなる。
 要するに「陽気」なものがわたしは大好きなのである。わたしは根っからの陽気人間と自称しているが、色にその好みが出たのであろう。


 反対に苦手な色は「赤」である。なぜ「赤」が苦手なのかよくわからないが、とにかく赤いものは見 ているだけで落ち着かない。もしかしたら「血の色」を連想してしまうから、赤が苦手であるのかもし れない。

 「青」「黒」「白」は普通である。

 佛教では「色界」は六道を輪転する「欲界」より上位の世界であるという。これはもしかしたら「色」というものが神聖なものとして捉えられているかもしれぬ。

 もし色がなかったら世の中はなんと退屈であるここだろうか!
 色のある世界に住めて幸せであると考えるこの頃である。

 

 

 

絵を描く

  

 絵を描く。 ぐぐッと力をこめて描く。

 とこんなことは小学生の頃だれでも「図画工作」の時間にやっていたことである。しかし子供が大人になと変である。描くヒトはプロか同人誌を作っているヒトぐらいでほとんどが描かなくなってしまう。

 なぜ絵を描くことを大人になると止めてしまうヒトが多いのであろうか。
 例としてわたしの場合はこうである。わたしは幼年期に非常にお絵かきが好きな子供であった。ヒマさえあれば怪獣の絵を新聞に挟まってくるチラシの裏に書いていたものだ。中学生までわたしのおかきは続いた。しかし中学三年の美術の時間、その出来事は起こった。

 「おまえの絵は下手だ。」

 いつもブスッとしていて愛想のない美術教師がわたしの絵を見てこう言い放ったのだ。わたしは意味もわからず愕然とした。そうしてそれっきり描くことを止めてしまった。
 恐らくわたしは美術教師の心ない一言で「絵とは上手い人間が描くもの、下手な人間が描いてはダメ」という妙な思い込みを抱いてしまったのではないか。

 さて絵を描くことは人間の自然な欲求である。誰でも美しいもの、楽しいもの、好きなものを見ればついつい描きたくなってしまうのが自然というものである。そういう自然な欲求を「上手いヒトだけ」という風潮で圧迫してしまうのは「趣味」の領域まで「権威」が入り込んでいる、とみるべきであろう。
 つまり上手いヒト=偉い、下手なヒト=偉くない、ゆえに描くな、という風潮である。このようないやったらしい風潮は 断固として打破すべきである。

 さて最近わたしがお絵かきに興味を持って次々と「美術館」にお絵かきをアップしているのは、洋画家・岡本太郎の『今日の芸術』『黒い太陽』(講談社版岡本太郎著作集収録)などを読みふけっていたせいでもある。太郎はこれらに著作のなかでこう言っている。

 「人間的に生きることに「専門家」がないと同じように、すべのヒトが創造者として、芸術革命に参加するのです。」『今日の芸術』より引用。

 わたしも太郎の意見に賛成である。絵を描くことが人間の自然な欲求ならばすべての人間が絵を描くべきである、と思う。

 さて理屈はこのくらいにして、諸君もまず鉛筆とノートを用意してお絵かきしてみることだ。創作の喜びほど人間にとってすばらしい美酒はない。上手いも下手も関係ない。とにかく描いてみようではないか。全くあたらしい素晴らしい世界が諸君の目の前に広がるに違いない。

 レッツ、チャレンジ!だ。