さらばわが友

(講演日2002年4月15日)

 

 私は人をナイフで刺した友を持っている。それは私が高校生だった時にことだ。
当時、私はクラス内で「がり勉」として有名な存在だった。なぜそんなに「がり勉」してまで勉強しなくてはならなかったか、というと私には「受験勉強」以外なにもできることはなかったからだ。スーポツも芸術活動も私には全く才能がなかった。それ故、私が唯一、クラスメートを見返してやる方法は「テストでいい点をとる」ことだけだったのだ。
 当然、私はクラスメートからつまはじきにされた。クラスの誰も私と口をきいてくれる者はいなかった。私はクラス内でますます孤立を深めていった。
 そんなある日、いままで全くこちらから気にも留めていなかったクラスメートから話しかけられた。彼は青山君(仮名)といった。青山君は微笑みながら一言こういった。「一緒に昼ご飯食べようよ。」当時、教室の一番前で弁当を一人で隠し食いをしている私のようなつまはじき者に、どうして青山君のような美少年(事実、当時の彼は美しかった。)が声をかけてくれたのか?私には解らなかった。
 その後、私と青山君は友人となった。勉強を教えあったり、下校途中に遊園地に一緒に遊びにいった。その頃の私は、確かに「幸せ」だった、と思う。なぜなら中学校ではいじめられ、高校では無視されていた私にはじめて「友達」ができた、と思ったからだ。
 そんなある日のことだ。私が朝クラスに入ると、クラス中が騒然としている。いったいなにがあったのか?と思い、私はクラスメートの話に耳を傾けた。
 あるクラスメートが大声で叫んでいた。「青山のヤローがチュウ坊刺したってさ!」・・・
 私は愕然とした。青山君が「刺身包丁」で「中学生」を刺した。・・・私には全く信じられなかった。なぜ?と自問自答した。それでもなにもわからなかった。・・・

 その日の夕刊でこの事件の詳細が載った。どうやら青山君は日頃からかばんに「刺身包丁」を隠しており、通りすがりの中学生が、自分を笑った、ということに腹を立てその中学生を背中から刺した。・・・これがこの「事件」の詳細だった。幸い、刺された中学生は一命を取り留めたもののかなりの重傷を負ったようだった。
 その後、青山君は「少年院」に送致された。その時、私は泣きながらおもった。「さようなら、私の初めての友よ・・・いつの日か再会するその日まで・・・」。

 その後クラスメートたちの噂を隠れながら聞いてどうやら青山君は中学時代、いじめられていたらしいという事実を知った。そこから私は青山君の「犯罪」の「動機」を探った。恐らく青山君は通りすがりの中学生が「自分を笑った」と錯覚したのではないか?と推理した。なぜなら全く見ず知らずの人間をいきなり「笑う」などということは考えられないからだ。そして「笑われた」と錯覚した青山君は恐らく自分の思い出したくない過去がむりやりこじ開けられるのを感じたのだろう。それは彼が中学生時代にうけた数々の嘲笑であったのだろう。そんな忌まわしい思い出を呼び覚まされた青山君にとってその中学生はかっての「いじめっ子」に見えたにちがいない。そして青山君は刺した。・・・過去の亡霊を調伏するために・・・。

 人間はだれでも心に闇をもっている。その闇には他人は絶対触れてはならないのだ。これが私が青山君の「事件」から学んだ「教訓」である。

 あれから20年近く、青山君とは会っていない。恐らくこれからも会うことはないだろう。だからせめてここで私は言おう。

 さらば・・・さらば!私の初めての友よ。永遠に。・・・