ニヒリズムを超えて

 

はらぴょん

(講演日2003年8月15日)

 

(1)極私的三島論 

 

 三島が『潮騒』で試みたことは、肉体美と精神の均衡のとれたヘレニズムの世界を、日本の風景に移植することであり、ギリシア神話の世界の再現であった。
三島がポディビルや剣道で、肉体を改造しようとしたのも、肉体美と精神の均衡をめざしたからである。
しかし、その過剰な情熱は、おそらく彼の内部にひ弱で、脆弱な部分があったからではないだろうか。三島は太宰治が嫌いだったということで、あのようなひ弱さは乾布摩擦で直ると豪語していたということだが、三島の鉄のような筋肉の下には、太宰的な弱さが隠蔽されていると推察される。つまり、三島が太宰を嫌ったのは自己嫌悪ではなかったか、ということである。自分がひた隠しにしている部分を、太宰は恥ずかしげもなく、開けっぴろげにしている。それを思うと三島は、太宰的なものに顔を背けたくなったのではないか。三島の仮面の下には、男色趣味やデカダンス、そして何ものも信じられない極端なニヒリズムが隠されていたのではないか、と思われるのである。
三島は『憂国』で見るように、生と死の極みに、エロティシズムを見出している。「模造人間」(島田雅彦)である三島には、自分が「そのために生き、死ぬことのできるイデー」(キルケゴール)は不在であった。ニ・ニ六の将校たちは、自分にない「自分がそのために生き、死ぬことのできるイデー」を所有しているのではないか、と三島は考える。そして、三島はニ・ニ六の将校たちにモノクロームのエロティシズムの世界を垣間見るのである。三島のクーデター未遂事件は、彼なりの絶対の探求であった。
三島は、その晩年、東大全共闘と対論を行い、君たちが天皇を認めるならば、君たちに同意してもいい、という。つまり、三島にとって、右か左かの選択は、どっちでもよく、天皇という三島にとって唯一の<絶対>の有無だけが問題であった。
三島の文化的天皇論は、明治以来の富国強兵のイデオロギーと一体化した絶対的専制君主としての天皇とは関係なく、むしろ日本文化を形作る「歌」を基軸にした天皇を支持するというものであった。
おそらくは、核心の部分では、その絶対すら信じていたわけではなく、生命を賭すことで、かろうじて自分に絶対とは何かを言い聞かせようとしたのではないか、と考えられる。
で、その試みがうまくいったかといえば、あのどこかグループサウンズを思わせるようなミリタリールックが象徴しているように、自決行為すらまがいものであった。
ただし、注意すべき点は、時空を超えて、絶対に至ろうとする松枝の試み(『豊饒の海』連作)さえも、最後の『天人五衰』の末尾に至って、唯識の名の下に、すべて幻のように消え去ることを描いているように、自分のまがいもの性をどこか醒めた眼で見ている三島がいるわけで、そこが三島の偉大さが存在する。

         

 

(2)ハイデッガーVSニーチェ

 

ニヒリズムは、ニヒリンに語源を持ち、通常「虚無主義」と翻訳されるが、厳密に言えば「撥無主義」というべきであるというのが、川原栄峰氏の説である。ニヒリンとは「最も不気味な客」(ニーチェ)あり、人間の精神を酸のように腐食してゆくものなのである。
ニヒリズムに関しては、主として実存主義系の思想家が論及しているが、ここで注意すべきことは「実存主義」とは、ジャーナリズムが作り出したレッテルであるという点である。
例えば、カール・ヤスパースは、自身の哲学を「実存哲学」と呼び、「実存主義」として自身の哲学を用具のように使うことを拒否している。また、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』は、「基礎的存在論の試み」であって、現存在(ダーザイン)の分析は、存在に至る足がかりに過ぎないといっている。ハイデッガーにとって、問題なのは存在(ある)であって、存在者(あるもの)ではない。人間存在(=現存在)は、存在についておぼろげながら了解している存在者であるがゆえに、分析の対象になったに過ぎない。ただし、ハイデッガーの現存在分析から、ビンスワンガーの心理学やサルトルの「実存主義」が生まれてきたことは確かである。
ジャン=ポール・サルトルの場合、まずジャーナリズムが彼の哲学・文学を「実存主義」と呼んだのがはじまりである。それを受けて、彼は「実存主義はヒューマニズムであるか」という講演を行い、その内容を『実存主義はヒューマニズムである』として刊行したのである。このときから、彼は自身を「無神論的実存主義者」として規定してゆくことになる。彼の主著『存在と無』は、他者のまなざしに晒された対他存在について論及しており、「実存主義」とジャーナリズムに呼ばれた時から、そのレッテルを引き受ける覚悟をしたと思われる。(なお、サルトルの『実存主義はヒューマニズムである』に対して、ハイデッガーは反発をしている。角川文庫版『ヒューマニズムについて』参照。要するに、ハイデッガーは人間中心主義者ではなく、存在中心主義者なのである。また、サルトルによって「無神論的実存主義者」に分類されたが、ハイデッガーは<神>の位置に<存在>があるわけだから、この分類も杜撰すぎるといえよう。)
ところで、ハイデッガーによると、人間存在は、日頃「〜はある」というふうに、存在について、あいまいな気配として把握しているのだが、良くはわかっていないという。だが、死や不安によって、現存在としての有限性を自覚すると、日頃、おしゃべりや空論で覆い隠された真実が露呈されてくるという。「死は最も高次の法廷である」というわけである。
ハイデッカーのこの部分は、キルケゴールの『不安の概念』や『死に至る病』に影響されたもので、興味深いのだが、ハイデッガーの政治的位置を考えると、恐ろしい意味を持ってくる。ハイデッガーは国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)に、1933年5月1日に入党しており、党員番号が3125894(バーデン地区)で、1945年まで党員だったのであるが、彼の入党は単なる時代の流れのせいだけではなく、彼自身の哲学が反映していたということである。つまり、彼の哲学は、死を覚悟したSSといわれるナチスの突撃隊の姿とオーバーラップしてくるのである。死の覚悟が、<存在>に至るスプリング・ボードなのであるから。
戦後、彼はナチスへの関与を、一時的な気の迷いのせいにしようしたが、彼の哲学にナチズムに積極的に関与する部分があったことは否定できないのである。
ところで、ここで取り上げたいのは、ハイデッガーの大著『ニーチェ』についてである。フリードリヒ・ニーチェの著作を、ヒットラーがムッソリーニに贈呈したというエピソードが示しているように、ニーチェ(特に彼の死後、反ユダヤ主義者の妹エリザベートが編集した『権力への意志』)は、全体主義者にもてはやされた。ハイデッガーは、このニーチェに自身の罪を、すべてなすりつける。以下は、その卑劣なロジツクの要旨。
ハイデッガーは、ニヒリズムを存在喪失=故郷喪失として捉える。そして、ニヒリストの代表格して、ニーチェをとりあげる。ニーチェは、キリスト教に、弱者が強者に抱くルサンチマンを見出し、ありもしない背後世界に価値を置く「弱さのニヒリズム」と呼んだ。「弱さのニヒリズム」は、キリスト教だけでなく、キリスト教に影響を受けた民主主義などの姿で西欧全体を覆っており、その克服のために「強さのニヒリズム」(ニヒリズムを徹底すること)が必要であると説く。このニーチェに、ハイデッガーはナチズムの温床を見出すのである。
中公バックス版のハイデッガー(『存在と時間』収録)の解説ページによると、戦後、アメリカナイズされてゆく西ドイツの光景について、ハイデッガーが故郷喪失であると苛立っていたと伝えている。一体、故郷喪失とは、ハイデッガーにとって何を意味するのか?

 

(3)ハイデッガーVSニーチェ その2

 

実存主義系の心理学者ヴィクトール・フランクルは、血と土ということを言っていて、遺伝と環境で人間はすべて決まってしまうと思う本質主義的思い込みが、ナチスのユダヤ人虐殺の原因と指摘している。フランクルは、ゲーテの『ファウスト』に出てくる人造人間ホムンクルスをとりあげ、このようないびつな人間理解を人造人間合成術(ホムンクリスムス)といっている。
ハイデッガーの故郷喪失には、血と土への固着があることが確かで、戦後、なおもナチスに通じる心性を持っていたのではないか、と考えられる。
全体主義者にバイブルにされたニーチェについては、妹のエリザベートの意図的な編集のせいであることを、先に述べたが、フランスの抗独地下運動(レジスタンス)のさなかに、ジョルジュ・バタイユ、ピエール・クロソウスキー、ロジェ・カイヨワらによる「アセファル(無頭人)」誌が、全体主義者たちに簒奪されたニーチェの奪還を行おうとしていた。(現代思潮新社刊『無頭人』参照)この試みから、後にジル・ドゥルーズの『ニーチェと哲学』(国文社)や、クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』(哲学書房)が生み出されることになる。
これらの試みは、反ユダヤ主義的なドイツの国民性を嫌っていたニーチェ像や、病弱なニーチェ像を提出するとともに、SS的に理解された<超人>に代わって、ウィルスに晒され、身体の内と外がなくなったような全く新しい<超人>像を打ち出したのである。
こうして、エリザベート版ニーチェも、それを前提にしたハイデッガーのニーチェ論も、その虚構性が、明らかになってきたのである。

 

(4)戦後フランス思想の再検討 その1

 

ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』は、ハイデッガーの『存在と時間』の影響下で書かれた。しかし、サルトルの世界には、<存在者>の根拠づけとしての<存在>がない。人間存在は、無からの存在者であり、理由もなしに、人間は世界に投げ込まれてある(存在の被投性)。人間存在は、偶然性に支配されており、存在することに根拠付けはない。存在することの根拠付けは、はじめからないのであり、もともとあるはずなのに、奪われたというわけではない。つまり、サルトルの哲学は、根無し草の哲学であり、故郷へのノスタルジーはない。
この態度は、無神論をめぐる態度にも現れている。サルトルは、『反抗的人間』をめぐる論争の中で、アルベール・カミュを無神論ではなく、反有神論であり、ありもしない神に反抗しているという言葉を投げつける。しかし、サルトルの無神論の証明は、いたってクールである。神は、対自にして即自である。しかし、対自にして即自という存在はありえない。ゆえに、神は無益な受難である。神は無益に己を失う。というわけだ。
根無し草で、故郷がないということは、何を意味するのか。実存は本質に先立つ、というのがサルトルのテーゼである。先天的に、人間はかくあるべし、ということをサルトルは拒否する。そんなものはない、と言い放つ。サルトルにとって、政治選択も、生き方の選択も、究極的には根拠はない。個人の勝手であり、自由なのである。ただし、その選択が正しいかどうかの基準すら存在しない恐るべき自由なのである。
ハイデッガーにとって、ナチスへのコミットは、人間の本来性からいって、なされるべきものであった。しかし、サルトルにとって、選択の根拠なるものは存在しない。人間はかくあるべしという思想から、完全に手を切っているのだ。
サルトルの存在論の基礎は、意識の志向性ということである。意識は常になにものかについての意識である。だから、彼はつねに、現実と格闘し続けた。意識をつねになにものかに向けているということから、彼の行動主義は生まれてくる。
彼は、徹底した無神論者で、価値破壊者だったが、不思議とニヒリズムの影はない。ニヒリズムは、故郷を喪失したという後ろ向きのノスタルジーから生まれてくるのではないだろうか。ニヒリズムによる精神の腐食と闘ったのは、むしろカミュのほうであった。

 

(5)戦後フランス思想の再検討 その2

 

アルベール・カミュの手帖(カルネ)(『カミュの手帖[全]』新潮社参照)を見ると、彼は作品をいくつかの系列に分けていることがわかる。
まず、第一に不条理の系列である。これには小説『異邦人』、哲学的エッセイ『ジジフォスの神話』(現在刊行されている新潮文庫版は『シーシュポスの神話』となっているが、かつて矢内原伊作訳の新潮文庫が出ており、これは『シジフォスの神話』となっていた。)、戯曲『カリギュラ』と『誤解』が該当する。また、『異邦人』を書くための習作『幸福な死』も、この範疇に入る。(カミュの主要作品は新潮文庫で入手可能。また、生前刊行された作品は、新潮社版カミュ全集に収録されている。また、死後刊行された作品は<カイエ・アルベール・カミュ>として、新潮社から邦訳が出ている。)
第二に反抗の系列がある。これには、小説『ペスト』(当初のプランでは「囚人たち」となっていた。)、哲学的エッセイ『反抗的人間』、戯曲『戒厳令』と『正義の人々』が入る。不条理がシジフォスの神話になぞられていたように、カミュはこの系列をプロメテウスの神話に当てはめている。
第三の系列は、傲慢を裁くことがテーマとなっており、ネメシスの神話になぞられている。(第三の系列以降は、カミュの人生が自動車事故という不条理な死によって断ち切られたがゆえに、十全にコンセプトを具現化しえていない。)小説『転落』(当初のプランでは「審判」となっていた。)と『追放と王国』が該当する。
第四の系列には、愛と嫉妬の神ディアネイラが登場する。これに、『最初の人間』が該当するかどうかは、はっきりしない。
第五の系列には、「改められた創造」という作品名が挙げられているが、これは、まったく具現化できていない。プランだけで終わっている。
カミュが、このうち完全にコンセプトを具現化しえているのは、第二の系列までである。
ところで、カミュの『シジフォスの神話』は、自殺の否定であり、『反抗的人間』は、殺人の否定である。前者は個人の問題であり、後者は連帯性の問題である。前者は個人的美徳(キリスト教の神)の否定であり、後者は神にとって代わって登場した集団的美徳(マルクス主義の歴史主義)の否定である。
カミュは、正確にいうと、実存主義者ではない。『異邦人』がサルトルに評価された(『異邦人』解説)がゆえに、彼ら実存主義者と同一視されたにすぎない。カミュは、実存主義について、不条理を見つめていながら、ぎりぎりのところで飛躍してしまう思考として批判し、最後まで不条理を見つめ、ぎりぎりの緊張関係のなかに、不思議な気分の高揚を感じる自分の思考と対比させている。不条理とは、生の無意味さのことである。
カミュは、自分の思考を劇的なものとして捉えていた。フランスの批評家たちは、評価の際に作品中の観念しか見ない点を嘆いていた。
カミュこそ、サルトル以上に、精神のニヒリズムとの緊張感のある闘いを持続したひとであると思う。カミュの書斎を訪れた人は、彼が無口で深刻な表情をしていた人と、多弁で飲みに出かけようと誘われた人と両極端に分かれる。これこそ、ニヒリズムに腐食された人間の特質なのである。
初期の習作『幸福な死』は、なぜ人は世界を望む家で、幸福に過ごすことができないのか、という疑問が書かれている。カミュの初期の作品には『結婚』や『夏』などの幸福感に満ちたエッセイがあるが、やがてカミュの心に結核や戦争の影が深く落とすことになる。世界は、理解しがたい不条理な死に満ちている。この不条理への抵抗が、終生変わらぬカミュのテーマとなる。

 

(6)戦後フランス思想の再検討 その3

 

カミュの『反抗的人間』(新潮社版カミュ全集参照)は、サルトルおよびフランシス・ジャンソンとの間に、激烈な論争を引き起こした。(『革命か、反抗か』新潮文庫参照)
この『反抗的人間』の位置づけを見るために、サルトルの政治的変遷の歴史を振り返ってみることにする。
まず、『実存主義はヒューマニズムである』の頃のサルトルは、アクション誌などでマルクス主義に叩かれ、サルトルのマルクス主義の評価も否定的であった。また、マルクス主義陣営の方も、ルカーチが『實存主義か、マルクス主義か』(岩波書店)を刊行して、実存主義を衰退しゆく資本主義の没落を象徴するイデオロギーで、その危機意識の現れとするなど、最悪の評価であった。サルトルの「唯物論と革命」も、現代のマルクス主義が機械論的唯物論と化しているとした辛らつな評価であった。
サルトルの転機は、モーリス・メルロ=ポンティが、『ヒューマニズムとテロル』(現代思潮社)を刊行して、モスクワ裁判をめぐって、精錬されたスターリン主義護教論をみせ、さらにデュクロ事件が起き、警察による不当な共産主義者の弾圧が起きてからである。これにより、サルトルは急激に左傾化し、中道的な第三の道をさぐる革命的民主連合の道を捨て、「共産主義者と平和」を発表する。これは、ソ連側は平和勢力なのだが、資本主義による攻撃から防衛するために、仕方なしに軍事拡張をせざるをえないという論旨のものだった。(現在の観点からすると、全く間違った見解である。)
この後に刊行されたのがカミュの『反抗的人間』であり、これは、革命ではなく、反抗を選ぶというもので、未来の幸福のために、今日の何千、何万の人の命を奪ってもいいとする理論的殺人を拒否するというものであった。マルクス主義者は、歴史を神格化しており、歴史のために殺人を肯定するが、それは人間の道(正午の思想、中庸の思想)に反するのであり、仮にひとりを殺したならば、自死するようなロシアの(マルクス主義以前の)心優しきテロリストの方が倫理的だというのである。
この『反抗的人間』は、「現代(ル・タン・モデルヌ)」を主催するサルトル陣営の怒りを買い、まず、フランシス・ジャンソンがカミュを酷評し、それに応戦したカミュを、それは歴史を否定する態度であるとサルトルとジャンソンで追い落とすという論戦となった。
この論争後、メルロ=ポンティは『弁証法の冒険』(みすず書房)を刊行し、サルトルとスターリン体制下のソ連をともに弁証法を喪ったウルトラ・ボルシェヴィズムとして批判し、自身は非共産主義左翼に転向するという事件が起きる。
サルトルが『方法の問題』と『弁証法的理性批判』(ともに人文書院版サルトル全集)を書いたのは、メルロ=ポンティの批判があったからである。ここで、サルトルは彼なりの仕方で弁証法を展開する。諸個人のプラクシス(実践作用)で作り出した状況が、実践的惰性態という疎外態となるとき、再び諸個人のプラクシスで、状況を改変できると。
だが、ここでストップがかかる。クロード・レヴィ=ストロースが「メルロ=ポンティに捧ぐ」として『野生の思考(パンセ・ソヴァージュ)』(みすず書房、なお、パンセ・ソヴァージュには野生の三色すみれの意味もある。)を書き、サルトルのコギトの地域的限界と、彼の進歩史観の自民族中心主義を暴露し、西欧とは違う意味での高度な野生の思考をみせる民族の存在を明らかにしたのだ。(例えば複雑な婚姻システムや、トーテミズム、植物の分類の体系など。)ここで、実存主義の凋落と構造主義の勃興が起きる。サルトルは完全に過去の人となったのだ。
サルトルは、その後五月革命の頃、マオ派(毛沢東派)のピエール・ヴィクトールという青年に出会う。(『反逆は正しい[造反有理]』人文書院参照)そして、「赤色救援」とか、共産党のさらに左の運動にコミットし、彼らの出す機関紙の編集責任者として名前を貸す。こうして、逮捕と、有名人ゆえの釈放の繰り返しになる。これには、カストール(ボーヴォワール)(『別れの儀式』人文書院参照)や、かつての友人レイモン・アロンも、サルトルらしい思考は見失われたと嘆く。これがサルトルの晩年である。

 

(7)英国新実存主義の洞察

 

 アルベール・カミュが『反抗的人間』で非難したのは、理論的殺人であり、通常の情熱的殺人が怨恨などの理由で数人しか殺傷しないのに対し、政治的イデオロギーや宗教的イデオロギーによって殺人が肯定されることによって、何千、何万の死が生れるということである。通常、殺人は悪であるが、殺人を肯定するイデオロギーにどっぷりと浸かると、殺人こそが善であり、選ばれたものの英雄的行為に変貌するのである。戦争は、その最たるものであり、各自身勝手な正義を振りかざし、殺戮を繰り広げるのである。
今日の観点からみると、アルベール・カミュの発言は、東西の冷戦下での発言であったといえる。しかし、そこには殺人が正義となり、正義の遂行が快楽となる事実を言い当てていたといえるだろう。
ところが、ソ連の崩壊、東欧の自由化とともに、<大きな物語>が終焉し、世界は<小さな物語>の係争となった。(ジャン=フランソワ・リオタールの認識)
カミュの非難した理論的殺人が問題となるのは、一部のテロ国家を除けば、政治的もしくは宗教的カルトにおいてとなった。相対的に理論的殺人よりも、脱イデオロギー化された無差別快楽殺人の方が深刻さを増してきたといえる。
実存主義のペシミズムを批判し、フッサールの現象学、ホワイトヘッドの知覚論、マスローの心理学(絶頂体験論)を取り入れ、オプティミスティックな新実存主義を構築した英国のコリン・ウィルソンは、初期の頃から膨大な量の殺人の事例を整理し、現代の殺人の傾向を見極めようとしていた。
コリン・ウィルソンによれば、かつて殺人はジンを摂取し、痴話げんかに発展し、殺傷騒ぎを起こすといった事例が多かったが、現代では怨恨や金銭のためではなく、無動機の無差別殺人が増えているという。彼は、これを純粋殺人と呼び、その特徴として快楽殺人での特徴があり、必然的に連続殺人(シリアル・キラー)に発展してゆく要素があるという。
コリン・ウイルソンは、これら純粋殺人者をアウトサイダーとして位置づけ、彼らは生命エネルギーを発散する場所を持たず、実存的フラストレーションがたまっていると説く。純粋殺人者は、その殺意を爆発させることで、かなり曲がったやり方で、そのフラストレーションを解放する。(コリン・ウィルソンはそうとは言ってないが)その瞬間には、A10神経をドーパミンが走っているに違いない。
マルクス主義のような<大きな物語>が破綻し、モラルの破壊がなされた後で、新たな問題として浮上するのは、解離性人格障害と純粋殺人の問題なのである。
この問題の影にも、ニヒリンの底冷えする風が吹き抜けているのは言うまでもない。

 

(8)ポストモダンとニーチェ

 

サルトルの実存主義に代わって、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロース、哲学者・歴史学者のミッシェル・フーコー、精神分析学のジャック・ラカン、マルクス主義者のルイ・アルチュセール、新批評のロラン・バルトらの構造主義が、フランス思想界の主流思想となる。
しかし、レヴィ=ストロースは、冷たい社会(未開社会)の構造分析は明晰に打ち出しても、熱い社会(資本主義社会)の分析はブラックボックスのままであった。フーコーにしても、エピステーメーの変動に関して不明な部分が多く、個人の行動は全く無意味なのかという問題があった。ラカンは、パリ・フロイト派の総帥として、派閥闘争に明け暮れ、そのファルス中心主義およびロゴス中心主義への異議申し立てをする批判層が生れることとなる。アルチュセールは、理論偏重を自己批判し、独自のイデオロギー装置論の構築に向かったが、精神的に行き詰まり、妻を殺害するにいたってしまう。
構造主義の問題は、理論と実践が断絶していることであり、構造の変動が説明されないことである。それゆえ、リュシアン・セバーグのように、マルクス主義と構造主義を統一しようとして、自殺する人も現れたのである。逆からいえば、構造主義の支持者のなかには、サルトルのアンガージュマン(政治参加)の思想に賛同できない保守層が含まれていたといえる。
後期(ポスト)構造主義の課題は、構造変動論、生成論の構築にあり、スタティックな構造概念に代わり、動的な機械や装置のモデルを導入することに特色があり、それによって理論と実践が再び手を取り合うことができるわけである。
ポスト構造主義のさきがけとして、アルチュセールの『国家とイデオロギー』におけるイデオロギー装置論、フーコーの『監獄の誕生』におけるパノプティコン(一望監視方式)と権力装置論があり、その理論的営戯を継承し、ジャック・デリダの『グラマトロジーについて』と『エクリチュールと差異』のロゴス中心主義のディコンストラクション(脱構築)、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリによる『アンチ・オイディプス』と『ミル・プラトー』の資本主義とスキゾフレニー論とノマドロジー(遊牧論)、ジャン=フランソワ・リオタールの『エコノミー・リビディナル』の欲望論が生れることとなる。
ここで注目したいのは、これらポスト構造主義の哲学へのニーチェの影である。

 

(9)ポストモダンとニーチェ その2

 

ミッシェル・フーコーの歴史観が、フリードリヒ・ニーチェの考えにインスパイアされていることは、周知の事実である。『言葉と物』では、エピステーメーと呼ばれる人間の思考の座標軸は、過去から未来に通時的につながっているのではなく、共時態として地層のように積みあがっており、<いま・ここ>のエピステーメーと、<過去>のエピステーメーの間には明白な断絶があるとされる。このことをアナール学派に通じるような博物学的データ量で、彼は証明しようとしたのである。歴史とは、現在から過去を見通し、その断絶をつじつまあわせの理論に従って隠蔽することで捏造される観念に過ぎない。これは、ニーチェに影響された考えでなくて何であろう。ニーチェによる「神の死」の予言に続き、フーコーは「人間の死」を宣告する。「人間」とは、たかだか100年ほどの間に、人文科学の世界に誕生した"観念"に過ぎず、言語学・文化人類学・精神分析学等の探求が進めば、波打ち際の砂の城のようにかき消されるというのがフーコーの見立てであった。フーコーの予告した「人間の死」は、サイバーテクノロジーの発展で、遥かにはやく実現してしまう。
続いて、ジャック・デリダを見てみよう。デリダのニーチェ論は『尖筆とエクリチュール』(朝日出版社、原題『エプロン』)として知られる。エプロンとは、敵の軍艦の船横に穴を開けるためにつけられた尖った船首のことである。この論文のもとになったのは、共同討議『ニーチェは、今日?』(ちくま学芸文庫)で行われた基調講演『尖鋭筆鋒の問題』である。ここでは、「真理は女である」というニーチェの言葉を手がかりにして、ロゴス中心主義の脱構築が企てられる。ロラン・バルトは、哲学とミステリーとストリップの共通点を指摘していて、いずれも「隠蔽と開示の物語」であるという。しかしながら、ニーチェは、女の方は自身が非真理であることを知っているのだという。ここから、デリダは、意味をズラし、情報系を錯乱に陥れようとする。西欧の形而上学の重圧から逃れるための戦略として。
最後に、哲学者ジル・ドゥルーズと、精神分析学者で活動家のフェリックス・ガタリについて語ろう。彼らは、世界を欲望する諸機械として捉え、異種配合によって形而上学からの逃走線を引こうとする。社会システムを、アントナン・アルトーの『ヘリオガバルス、または戴冠せるアナーキスト』でのヘリオガバルスの生涯をなぞりながら、原始土地機械(コード化)・野蛮な専制君主機械(超コード化)・公理系の支配する資本主義機械(制限された脱コード化)に分類し、欲望のスキゾフレニックな脱属領化プロセスの果てに、リゾーム(根茎)という極限の脱コード化を置く。資本主義は、質的な差異を発見しつつも、それを貨幣という量的な差異に変換して、システムの中にエクスプロイット(開発=利用=搾取)する。それは、システムを解体すること自体をシステムしているが、資本主義機械の中の自由とは、制限された回帰の中に限定されている。端的にいえば、利潤を生み出さない方向へ走り出すことはできない。エディプス化の機能を果たす家族なり、社会の再生産の機能を果たす学校は、欲望の流れを一定方向にするレギュレーターなのである。彼らの制限された回帰という観念に、ニーチェの永劫回帰のエコーを聴くのは容易い。
ドゥルーズはいう。マルクスとフロイトは、我々の文明の曙であったが、ニーチェは反文明の曙であったと。マルクスは我々の国家は病んでいる。だから、別の国家を用意しようといった。フロイトは、我々の家族は病んでいる。だから、別の家族を用意しようといった。こうして、彼らは欲望を再コード化しようとするが、ニーチェは逆に、コード化できないものを通過させようとするという。なにものにも許されないものを通過させること、その果てにリゾーム(根茎)がある。
リゾームとは、トゥリー(樹木)状のシステムに対抗するアンチ・システムなのである。それは、ラディセル(側根)システムとも、異なる。ウィリアム・S・バロウズのカット・アップですら、ラディセルに過ぎない。元のテクストを切りつないでも、依然、元のテクストは短冊状に生きている。リゾームとは、ありとあらゆる方向に、コンセントを繋ぐことであり、それによって情報を混戦させ、スパークさせることなのである。

 

(10)黒い水脈の方へ その1

 

ニヒリズムとの格闘を行った日本文学として、椎名麟三の『永遠なる序章』・『自由の彼方で』・『懲役人の告発』、埴谷雄高の『死霊』、三島由紀夫の『豊饒の海』、安部公房の『砂の女』・『箱男』・『密会』、大江健三郎の『われらの時代』、倉橋由美子の『聖少女』……が挙げられるが、ここでは埴谷雄高が<黒い水脈>と呼んだ異端的な幻想文学、中でも中井英夫が<アンチ・ミステリー>の系譜として呼んだ四大ミステリーについて考えてみたい。
まず、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』であるが、降矢木家の館は閉鎖空間であり、俗なる外部と隔絶した聖なる空間であり、名探偵法水麟太郎は、聖なる空間にちりばめられた世界という暗号(シーニュ)を読み解く解読者として現れる。この暗号は、多義多様な意味(シニフィエ)を持ち、法水(ホームズ)の解読(デコデ)によって、殺人事件は収束するどころか、紛糾するに至るのである。
例えばロラン・バルトは『テクストの快楽』において、一義的な意味しか与えない作品に対して、多様な意味を産出するテクストという概念を取り上げる。これは、かつてサルトルが『文学とは何か』で、アンガージュマンのための文学という主張をし、文学を一義的な意味を伝達するルポタージュに近いものにしてしまったことへの反措定であり、スターリン主義的な文学観に対するアナーキーな否定であったが、『黒死館殺人事件』はすでにバルトによるテクスト概念を凌駕し、解読の解読というトランステクステュアリテに淫して行く傾向を持っていたといえる。
この<館もの>という本格ミステリーのジャンルは、その後松本清張らの社会派によって絶滅の危機に陥るが、その後綾辻行人の『十角館の殺人』によって新本格派(もしくはミステリーの第三の波)として復興を遂げることになる。その際、新本格派に対して投げかけられた最大の批判が「<人間>が描けていない」というものであった。問題は、「<人間>が描けていない」という時、その<人間>が何を意味するのかということである。単にディテールを描く描写力の問題だけでなく、<人間>の定義に問題があるのではないのか、ということである。
この批判の主な発生源は、冒険小説・ハードボイルド支持者、元社会派ミステリー支持者、元社会主義リアリズム支持者にある。彼らは、殺人の動機が、痴情のもつれや金銭、劣等感といったものであれば、リアリティーがあると感じ、人間が描けていると判断する。逆からいえば、彼らには人間の超越的なものへの希求など理解しないし、そういった動機などリアリティーがないと判断するだろう。また、ストレートに一義的な主張が伝わってくれば、力作であると評価する。つまり、多義的な意味を持つ<詩>は、彼らは理解しない。だが、彼らの<人間>概念など、すでに絶滅し、全く新しい<人間>が胎動しつつあるのではないか。
続いてアンチ・ミステリー第二の高峰、夢野久作の『ドグラ・マグラ』に移る。『ドグラ・マグラ』は、狂気とは何かについて、深い反省を強いる。この小説の中で、精神病患者を治療しようとしている精神医学者こそ、狂気に満ちたマッド・サイエンティストであり、精神病院という権力装置をつかって、人間の心の中まで管理を張り巡らせようとしているのではないかと思えてくる。しかも、夢野は、精神病の解放療法という最も革新的で、患者にとって自由を与えるかにみえる世界において、一層の管理が進むことを予見している。ブルトンの『ナジャ』や、フーコーの『狂気の誕生』に先駆けて、夢野は精神病院の壁の外にこそ解法療法中で、自分を「正気」と錯誤するほど重症な患者がいることを告発しているのだ。
フーコーは、『狂気の誕生』のなかで、解法療法を始めたピネルについて書き、ビネル以降「正常」と「狂気」の識別がさらに進み、「狂気」の排除が内面化されたと説く。本当は「正常」に定義はなく、なにものかに「狂気」のレッテルを貼り、これを排除することで、「正常」の内実が後から決まるのだが。
フーコーが精神病院や監獄など社会の矯正装置に関心を示したことは、重要であり、ドゥルーズ=ガタリが家族の中で、人間がエディプス化され、主体化され、<奇妙な経験的ニ重体>(フーコー)と化していく過程を示したこととともに、国家のイデオロギー装置(AIE)を明らかにした権力批判論として理解されなければならない。エディプスとは何か。それは、父親を殺すことであり、自らが父親(として母親を独占する存在)となることである。現代における父親とは何か。それは、子供にとって資本主義型人間のモデル・タイプである。奇妙な経験的ニ重体とはなにか。それはやましさに追われる人間である。立ち止まると、追い抜かれるという資本主義の掟を内面化した人間である。

 

(11)黒い水脈の方へ その2

 

 ここで、柄谷行人の『倫理21』から、構造主義批判と、ポスト構造主義評価について触れた部分をピックアップしてみよう。
柄谷によると、戦争責任をめぐって、サルトルは「自らを被害者としてでなく加害者として見る思想家」であったために、戦前・戦中世代には「面白くない存在」であり、ハイデッガーの存在論や、レヴィ=ストロースの人類学、ラカン的精神分析のような「人間は主体ではない、責任などとれない存在」という思想が好ましかったという。(ハイデッガーは、ヴィクトル・ファリアスの『ハイデガーとナチズム』が明らかにしているように、戦争当時、ナチス党員として、大学総長を務めながら、ドイツ国民の世界史的使命を語り、学生に国家のための勤労奉仕を呼びかけていた。また、フッサールから現象学を学んだにも関わらず、ユダヤ系ということで、フッサールを冷たくあしらった。このあたりの行いは、戦争中もリベラリズムを徹底したヤスパースと対照的である。ハイデッガーの支持者は、右派である。)
一方、若い世代について、サルトルにみる「共産党あるいはマルクス=レーニン主義の呪縛」を解体しようとして「人間は主体ではない、主体は想像物」といったが、それは「真の主体たらんとすことを志向する」ものであった。こちらは、左派である。
柄谷は、この右派と左派が合流してサルトル批判を展開したというのである。
こうして「フランス人の過去を問う態度は消滅し、フランスこそヨーロッパの理性と自由を代表する国」という言説が支配的になる。(柄谷は述べていないが、このような言説を振りまいたのは、ベルナール・アンリ=レヴィのようなヌーヴォー・フィロゾフ=新哲学派を指していると思われる。)
これに異議を唱えたのが、デリダやドゥルーズであり、彼らは「サルトルが果たした役割を自ら果たそうとした」と柄谷は言うのである。したがって、構造主義にみる「理論」と「実践」の乖離や、人間主体の不在といった問題点を、ポスト構造主義にそのまま投げかけるのは誤解である。
ポスト構造主義は、「リゾーム」や「脱中心化」という言葉で、権力システムの外に出ることを示唆し、誘惑するものであり、そこには「襞」といった言葉で人間主体が再び捉えられているのである。そこには構造主義からの批判をかわすための主体の捉えなおしが見られる。
ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」が具体的な指標を与えないという批判に対しては、「Follow me」といった瞬間に、新たなスターリン主義的な抑圧と統合が始まるからだと言っておこう。「リゾーム」という指標は、あらゆる権力構造から遠く離れた場所に連れ出そうとしている。そこでは、「Don't follow me」、すなわち「勝手に逃げろ」ということしか言えない。権力からの逃走線は、各自が見出すべきものだ。統率された支持のもとでなく、形式とマンネリズムにとらわれた反逆のスタイルでもなく、もっと自由に、アナーキーに。彼らが予定調和のヴィジョンを突き崩すために、ノマド(遊牧民)的生き方を提唱したとき、そこには生成変化するアナーキーな思考があったのである。

 

(12)黒い水脈の方へ その3

 

アンチ・ミステリー第三の高峰、中井英夫の『虚無への供物』は、どうなのか。この小説は、二重橋圧死事件、第五福竜丸<死の灰>事件、黄変米、洞爺丸転覆事件といった暗い世相を背景に、物語が進行する。ただし、このミステリーは社会派ミステリーではない。極めて技巧的(人工的)な粉飾された殺人や、倒錯者の世界が描かれ、なにゆえにこの世界とは別な反世界を創造せずにいられなかったかが語られる。現実の不条理性は、世界を<反転>させずにおかないのである。
ここでは、ニーチェのルサンチマン批判の残響を聴く事も可能である。ニーチェは、キリスト教徒を批判した際に、その弱者のルサンチマン(恨み)を批判し、彼らは自身の弱さを隠蔽するために、善悪といったモラルや、背後世界への信仰を捏造したと説く。
また、『虚無への供物』は、先行するミステリー作品への言及といった点でも、顕著な特徴を持つ。もともとミステリーには、奇抜なトリックを重んずることから、以前扱われたトリックよりも新種のトリックを、ということで、過去の事例を重んずる傾向があった。『虚無への供物』は、その水準を超え、登場人物による推理合戦が描かれ、ミステリージャンルでの<自己言及>が進行し、メタ・ミステリー化してゆくことになる。
アンチ・ミステリーの第四の高峰、竹本健治の『匣の中の失楽』は、先行する『黒死館殺人事件』のペダントリーと暗号解読、『ドグラ・マグラ』の狂気の問題、『虚無への供物』の反世界としてのミステリーの成果を総合し、さらには埴谷雄高の深淵の世界を取り入れた快作である。
ここでは、「いかにして密室はつくられたか」という作中作が現れ、章を追うごとに、現実と虚構が入り組み、リアリティーの基盤が消失するということが起きる。
以前、これについて伊藤高志というメディア・アーティストの「SPACY」というビデオ・アートを比喩につかって説明したことがある。伊藤の「SPACY」では、体育館の中をビデオ・カメラが疾走し、ホワイトボードにぶつかる瞬間に、ホワイトボードの中の体育館の世界にジャンプし、さらにその中のホワイトボードにぶつかり……次第に加速度を増して、光と闇が点滅するフリッカー空間に変貌する。
それと同様に、『匣の中の失楽』でも、章が変わった瞬間に、前の章で殺害された人物が作中作を読んでいるシーンに移り、さらに次の章では、やはり殺害されていて……とめまぐるしくリアリティーの基盤が変わり、世界がぐにゅぐにゅに溶けて見えるようになる。そこから立ち現れてくるものは、あたかもカエサルやディオニュソスや十字架に架けられたキリストに次々と変貌し、千の仮面を持ったニーチェの如き、黒い哄笑なのである。あるいは、現代絵画の巨匠F・B(フランシス・ベーコン)が「頭部VI」で描いたような素晴らしく強度に満ちた笑い。
(ニヒリズムを超えて  完)