指 環 時 計
By 東 冬 彦
時計は実に正確な機械であるが、歴史的な尺度で計らなければならないほど長い時間をかけて、今日に在る姿に落ち着いている。
大昔、時計が大地に固定されていた時代があった。人ひとりでは到底運びきれないような巨石を並べて、太陽の動きから時間の
目安を読み取ったのだ。
人類とは、何と賢い生物ではないか。
ドラやホルンが夕刻を告げ、1日の仕事に区切りをつけた頃もあった。寺や教会の鐘が正午を報せた時代もあった。人々はかつ
て、何と長閑に暮らしていたことだろう。
時計が精密機械の代名詞みたいな呼ばれ方で20世紀半ばを謳歌した頃は、“ゼンマイ”なるバネ仕掛けが大いに幅を利かせた
ものだった。それが、20世紀も終りに近くなるとディジタルだのクォーツだのと様変わりが甚だしく、機械なのか電子装置なの
か、判別に戸惑うような事態にまで進んでしまった。
だが、まだ驚くには当たらない。21世紀の初頭、ついに時計は一つの壮大な掲時システムになったのだ。寺院の鐘を耳で受け、
時を知る。これも掲時システムの一種と言えなくもないが、いかにも長閑に過ぎはしまいか。
21世紀の掲時システムとは、刻々と送られてくる時報電波を、指環時計で受けるのだ。
電波掲時システムを大々的に実現させたのは、アメリカ人の技師たちだった。西暦2010年のことである。
合衆国は何しろ広い国なので、人々は時差の違いに悩まされていた。同じ国内だというのに4つの標準時が使い分けられていて、
東から西へ1時間ずつ時刻が早められて行き、今この一瞬の時刻が国の両端できっかり3時間もずれるのだ。東のニューヨークで
朝7時に目覚めた人が、西海岸カリフォルニアの友人へ電話しようものなら、熟睡中を午前4時にたたき起こすことになり、友人
は受話器に向かって叫ぶだろう。「絶交だ!」
アイダホを正午に発って、車で西のオレゴンへ向かったとしよう。1時間は走ったというのに、着いた街の時計はまだ正午を指
している。「そんな馬鹿な」
自分の時計では確かに午後1時だ。
航空機関の極度の発達が時差の不便に拍車をかけて、ビジネスマンや旅行者たちは、久しい間なげいたものだ。空軍の飛行士た
ちも任務のたびに行く先々で1時間差し引いたり2時間をプラスしたりして、地元の時刻に従った。
《必要は発明の母である》
21世紀になっても、たえなる古諺は生きていた。時差の不如意をなんとか解決してやろうと、そしてついでに一儲けしてやろ
うと思いつく人間がいてもおかしくはない。今や世界中の国々が採用している、壮大で、便利で、故障がなくて、何よりも、分単
位ならともかく秒単位では個々の時計が皆違うなどということもない掲時システム。
この掲時システムを誰が初めに考え出したかはあまり知られていないが、今や掲時システムは別名マジソン・システムとも呼ば
れている。いずれにしろ指環時計が今日ほど改良が進んでいなかったならば、掲時システムもこれほど普及しなかったに違いない。
テキサス州ダラス市にあるマジソン・クロック・カンパニーは2012年の頃には、指環時計の製造販売を独占する勢いにまで
なった。
去年は寅年 ―写真と本文内容とは関係ありません。―
ルーブル美術館 : ドラクロアの「サルダナパールの死」
アラバマ州の空軍応用技術研究所に居たころジョン・S・マジソン青年は、掲時システム構想を仲間の技術者たちと練り合った。
「テレビやラジオの放送局のような施設から1日24時間、1秒も休むことなく時刻だけを報せる電波を送り出す。人工衛星を
使ってもいいだろう。20世紀の1960年代に海軍が開発した、人口衛星航法システムの例があるではないか。潜水艦や船舶や
航空機に正確な位置と時間を与えるための、あのシステムのようなものだ。全米4つの異なった標準時帯では、それぞれの地域で、
それぞれの時刻を発信することにする。その電波を受けて作動する時計を普及させれば、国内どこに移動してもその地の時刻が知
れるのだ。それで時差の悩みともおさらばだ」
ただ1個の時計で、ワシントンに居るときはワシントン時間を、ロスに居るときはロスの時刻を正確に受け取れる掲時システム
を、空軍研究所の仲間たちは数週間というもの毎日のように集まって、ありったけの知恵を出し合った。
「腕時計ばかりでなく、壁掛け時計も目覚ましも、すべての時計を電波時計に替えることは至極簡単なことだ」
「電波を受けて作動する時計ならば、ディジタル式に決まりだ。針を使ったアナログ型では不可能だ」
「腕時計ならばそうだろう。だが、壁掛けみたいな大型の時計では、アナログ式も造作ない」
「発信電波は、1秒間隔まで読み取れればいいだろう」
「午前と午後の区別に慣れてしまっているが、ディジタルならば24時掲示にせざるを得まい」
「そんなこともないさ。昼の1時と真夜中の1時を間違えるやつはいないだろう」
仲間のうちでいつの間にかマジソンが、リーダーシップをとるようになっていた。
最大の難関は、それぞれの標準時帯で異なる時刻を発信する電波ステーションの建設問題だったが、仲間の1人が、これ以上の
方策はないというアイディアを提供した。ICBM(大陸間弾道ミサイル)や、原子力潜水艦が発射する核弾頭ミサイルの奇襲攻
撃を察知するため全米に網羅されていた、既存の防空システム網を活用する案だった。
《渡りに舟とはこのことだ》
アメリカ全土に碁盤の目のように張りめぐらされているミサイル防空システム網を少し手直しして時刻発信設備を付加してやれ
ば、難なく4つの標準時帯でそれぞれ異なった時報電波を発信できる。マジソン技師を中心に練られた掲時システムは、まず空軍
に採用され、ついで全米に効果が及び、やがて欧州各国にまで広まった。空軍飛行士の腕時計、州政府の建物や市庁舎の壁掛け時
計などは、みんな電波時計が主流となった。しかし、まだ指環時計の普及速度は緩慢だった。
20世紀前半の紳士たちはステッキを小脇にかかえ直してから、おもむろにチョッキのポケットに納まった懐中時計を取り出し
た。優雅な仕ぐさであるには違いないのだが、落とさないように紐で結んでいるあたりは何んとなく野暮ったい。やがて人々は利
き腕でないほうの手首に時計を巻いた。初めは革製の、後に金属の鎖を用いた。
それにしても、まだまだ不便この上もない。激しく体を動かすスポーツはだめだし、シャワーを浴びたりバスを使うときには外
さなくてはならない。プールではコンクリートのふちにぶつけて、ガラスを壊しかねない。防水機能は万全だとメーカーは言うも
のの、しょっちゅう水浸しでは寿命が縮むことは明らかだ。ましてや、温泉の薬効成分や海水浴場の塩分は金属を極端にだめにす
る。腕時計より小さくて、四六時中身体に着けておきたいとすれば、指にはめる以外に方法はない。マジソンは指環時計の将来性
を確信した。
時刻の数字を表示する発光素子は20世紀にすでに製品化されていたし、防水防食のための措置材も20世紀の産物である。そ
して何よりも、時計を指輪に組み込んだアイディアは20世紀の合理的傑作の一つでもあった。いずれにしろマジソンの企業化精
神と先見性は、天与のものとも言えるだろう。
マジソン青年がアラバマの空軍研究所を辞したのは、掲時システムが欧州でも採用されてから間もなくのことだった。公的機関
や民間企業体が特許を取った場合、特許料の20パーセントは発案者個人の収入としてよい時代だったので、マジソンは電波時計
掲時システムの特許料を仲間と分け合い、それを元手に故郷のダラスで会社を創った。
仲間の全部に参画を呼びかけたが、1人は冒険をしぶり、1人はダラスの方角は鬼門だと言って断ったので、結局、マジソンを
含め3人でスタートした。電子素子に詳しいロバート・ハミルトンが加わってくれたのでマジソンはほっとした。ロバートがいな
ければ新型の指環時計など出来っこないのだ。おしゃべりで楽天家でがっちり屋のマイケル・ターナーは、いずれ経営面で辣腕を
奮ってくれるだろう。
ロバート・ハミルトンが持っていた斬新な電子素子技術を取り入れて新型指環時計は完成した。ロバートが指環時計の要ともい
うべき、温度25℃で起電する素子電池と、微弱な電波も増幅受信可能な素子を創り上げたのだ。そして彼らは指環時計本体を、
本体といっても全部が電子素子の小っぽけな塊だが、それをアモルファス合金で包んだのだ。数字が現われる文字盤の部分は、ダ
イヤモンドの薄膜を晶着させた。この本体を金やプラチナの台に埋め込めば、指環時計の出来上がりである。
彼らの造った指環時計は、海水浴にも、炊事にも強かった。25℃で起電する素子電池は体温で充分に稼動したし、極端に寒い
ときでもダイヤモンドの薄膜は、曇りもせずに数字をいつも現わした。
このように、いったんチャレンジすべき目標のイメージが定まると、技術者たちは未知の技術さえ神から奪うように、たちまち
のうちに新製品を仕立ててしまう。技術者とは、魔法使いみたいに何んと秘密のからくりを探りあてるのが上手い人種だろう。
かくして設立成ったマジソン・クロック・カンパニーは1年後、いよいよ指環時計を売り出した。
―写真と本文内容とは関係ありません。― 来年は辰年
ルーブル美術館 : ダヴィッド作「ナポレオンの戴冠式」
マジソン・クロック・カンパニーが指環時計を売り出して間もない頃、スティーブ・ウィルソンが雇ってくれとダラスに来た。
スティーブ・ウィルソンとは、ダラスは厭だと言ってアラバマの空軍研究所に残った仲間の1人である。仕事上の方針で所長と意
見が合わなくなって、研究所を辞めてきたというのだ。マジソンは快く受け入れた。
やがてスティーブの提案でマジソン・クロック・カンパニーは、ステンレススチールやファインセラニックスを台にした指環時
計を発売した。安価なことと、日常、金やプラチナの指環時計をはめるまでもないと考える人々が大勢を占めたので、爆発的に売
れ出した。ダラスでの生活に慣れるにしたがってスティーブは、“アラバマの方角は鬼門だ”と言い出した。皆で一杯飲むたびに、
彼らはスティーブをからかった。
「ダラスの方角は鬼門だと言ったのは誰だっけ?」
その都度、スティーブは真顔で答えるのだった。
「ダラスはいい処だ」
指環時計の生産にてんてこ舞いを始めたころ、ロイ・ネルソンが用務のついでにダラスへ寄った。ロイはアラバマに残ったもう
1人の仲間で、飛び切り上等のアイディアを携えて訪れた。ロイによれば、指環時計の発光素子とダイヤモンド薄膜との間に共振
格子素子をサンドイッチすることにより、時計の数字を空間に拡大して浮かび上がらせることが可能だというのだ。
再び彼らは未知の技術を神から奪って、直ちにそれを成し遂げた。ロイが提供してくれたアイディアのおかげで、マジソン・ク
ロック社の指環時計はまた飛躍的に売上を伸ばした。
マジソンはアラバマのロイに電話で尋ねた。
「ぼくらの会社に移ることはまだ冒険かい?」
「空軍が潰れることになったとしても、マジソン・クロック・カンパニーは生き残りそうだ」
ロイは今度は、二つ返事でダラスの仲間に加わった。
指環時計の爆発的な普及を何よりも喜んだのは、自慢するに足りる高価な指環を持った御婦人連だった。もはや彼女らはパーテ
ィの席などで大粒のダイヤやサファイアを、何気ない素振りをするだけで自慢ができた。時間を見るというふりをするだけで、近
くに居合わせる人たちの、彼女の指環に目をとめてくれる機会が増えるのだ。当然のことだが、彼女らはその指環には故意に、数
字が拡大されて浮き上がる新型の時計を使わなかった。せっかくの自慢の宝石が、浮き出される光り数字のせいで影が薄くなるか
らだ。数字が小さくて見えにくい不便さなどは、まったく気にすることはない。かえって読み取る時間が長引くので、それだけ自
慢の宝石の人目につくチャンスが多くなるというものだ。
逆に困ったのは、スパイ小説やサスペンスドラマの作者たちである。あの古典的な打合せ場面が使えなくなってしまったのだ。
つまり、いっせいに事を起こすのに先立って決める時計合わせ、「今、○時○分だ。皆、いいか。俺の時計に時間を合わせてお
こう」というあの場面。
そして、更に困った者たちがいた。太平洋の向こうの気配り天国日本の、時計メーカーとテレビを造っている家電メーカーであ
る。
合衆国が掲時システムを初めて採用したとき日本は、
「同一国内で違った時間のあるアメリカならではの話さ。みな同じ時刻の日本には関係のないことだ」と、この段階ではまだ、
珍しく真似をしようなどと考える日本人は1人もいなかった。が、やがて全ヨーロッパにも掲時システムの普及が及ぶと、流石に
時計メーカーは慌てだした。電波時計の急速な普及は、従来型時計の海外市場をひっくり返してしまったのだ。時計メーカーは蒼
くなり、掲時システムの導入を政府に働きかけたものだった。
だが、「日本は単一時刻の国である」と、政府のお歴々は高をくくって動じない。間もなく、電波時計がテレビに組み込まれる
ようになった。日本のテレビメーカーが仰天したのはこの時である。掲時システムが無かった頃には、テレビに時計を組み込むこ
となどナンセンスだった。画面の隅に映し出される時刻と、組み込まれた時計が示す時刻は、往々にして食い違うことがあるから
だ。ラジオに組み込まれた場合ならば、部屋の時計が11時59分を示しているのに、アナウンサーが《正午をお知らせしました》
と報じてもいっこう気にならない。だが、テレビの場合は別である。まったく同時に進んでくれないことには、“放送局の時計は
狂っている”と、苦情の電話が来かねない。人間とは、何と臨機応変に気分を使い分けられる生き物ではないか。
掲時システムではテレビ局が流す時刻も、そもそも掲時システムから受け取った時刻なので、テレビに組み込んだ時計と食い違
うことは有りえなかった。当然、時計の付いたテレビはよく売れた。電波時計の付いていない日本製テレビは、危うく欧米での市
場を失うところだった。
パニックに陥ったテレビメーカーは政府に圧力をかけて、やっと掲時システムの採用に踏み切らせた。時計メーカーに比べれば
家電業界が主体のテレビメーカーは、政治献金の桁が違っていた。それだけ政府に対する力も強いことになるが、上からの強い指
示で担当省のお役人たちが、直ちに“検討”を開始したことは言うまでもない。
お役所は、事にあたっては公益性があるか公共性が高いかをまず考えるが、何よりも税収の道につながるか、自省の影響力をど
こまで行使できるかの天秤具合も決して忘れはしないものだ。だがしかし、この度は事態は急を要していたので税収と天下り先の
新設はあきらめ、結局、NHK(日本放送協会)の既存設備に掲時システムを付加してやって、管理も任せることで落ち着いた。
日本の掲時システムの完成も間近に迫ってきたある日の午後、1人のアメリカ人が成田空港に降り立った。マジソン・クロック
・カンパニーの販売営業担当副社長、マイケル・ターナーその人である。日本での販売特約店を選ぶために、単身乗り込んできた
のであった。新型指環時計に関わる全ての特許権はマジソン・クロック・カンパニーが握っている。マイケルはヨーロッパの国々
にさえも、指環時計の国内生産を認めなかったつわ者である。欧州諸国にそうしたようにマイケルは、日本に対しても特約店を通
じての自社製品の販売と、指環に時計をはめ込む技術の提携のほかは許さないことだろう。
獲物の群れを認めたライオンが、舌なめずりをしながらゆっくりと標的に近づいてゆくように、都心のホテルへ向かう車の中で
マイケルは、巨大な処女市場の急所を制する妙策を練っていた。