諸 家 好 吟

 

東 京 を 詠 む

 

 

 

どこの国の人々も一度は自国の首都にあこがれ、故郷を出て行っては「こんなはずでは?」

 

と、時々に幻滅を抱く。

 

だが首都は朝な夕なに、さまざまな期待の貌をのぞかせ続ける。

 

東京は日本の首都。東京の歴史は長くなった。江戸時代も含めて、首都機能の堅持は奈良

 

や京都よりも長くなった。そして今、およそ10人に1人は東京に集まっているという。そんなわけで、

 

地方の人々は何らかの関わりで、東京に縁を持つ。そしてまた、東京の新陳代謝は激しい。

 

俳人はいろいろな角度から、その東京を賛美してきた。

 

 

 

東京にくつさめ一つ到着す          山田みづえ

 

灯の鋲や東京タワー年の暮           鷹羽狩行

 

梅雨あけし簾透く灯よ東京よ       久保田万太郎

 

東京をふるさととして菊膾           鈴木真砂女

 

ほつと月がある東京に来てゐる       種田山頭火

 

東京に屋根石置ける露の屋根        水原秋桜子

 

木がらしや東京の日のありどころ       芥川龍之介

 

炎昼いま東京中の一時うつ           加藤楸邨

 

東京がじつとしてゐる初景色           黛まどか

 

吉良殿のうたれぬ江戸は雪の中        夏目漱石

 

鐘一つ売れぬ日はなし江戸の春        宝井基角

 

 

「東京」という語は漠然としていて、得体の知れない大きな器のようなもの。だが、誰もがすぐに

 

「東京」の語に共振できる。誰の胸の中にも、自分の東京が生きているから。

 

 

辛口の東京に居る小暑かな           渡辺純枝

 

東京は人種の坩堝風邪もらふ         桜庭えいじ

 

東京に空のある日の彼岸花          中村やす子

 

東京の小さき四角の麦の秋            梶 倶認

 

東京の人を見送る名残雪               後藤栖子

 

小鳥湧く大東京の中に覚め           大槻右城

 

東京の転校生だよ稲雀              伊藤昌子

 

東京に山見ゆる日の障子貼る          東野礼子

 

サーカスを出て東京の鰯雲            福嶋卓爾

 

玉蜀黍かじり東京に未練なし          青野れい子

 

七夕の東京駅の時計かな            鳥居三朗

 

鉛のごとき東京の屋根巴里祭           高島 茂

 

花明り東京タワーのふもとより           堤亜由美

 

葉桜や十で東京招魂社              勝又富美子

 

東京を離れ難くて青き踏む            柴野はづき

 

東京の空細長く梅雨ぐもり              八木泰子

 

東京も外れの町や星祭る             井上京子

 

東京に雪のふる日の花林糖           鳥居真里子

 

東京湾海月に色の生まれけり           永島靖子

 

東京や万太郎忌はくもり空             小林奈穂

 

東京の寺に詣づる彼岸かな            永井東門居

 

雨蛙しきりに鳴いて東京都             越智麦州

 

都庁舎の水に映りて蝶生まれ             小橋末吉

 

 

あな東京が燃えているくらがりの虫      栗林一石路

 

七・五・七の変則律で詠んだ東京である。関東大震災との前書きがある。

 

一国の都の炎上は、歴史的には自然災害よりも戦火に因ることのほうが多い。パリ、ベルリンの陥落、

 

東京大空襲、モスコーの掛け火。もっと古くは阿房宮炎上、ペルセポリス宮殿の酔狂火。

 

 

いつせいに柱の燃ゆる都かな           三橋敏雄

 

この有名な一句は、戦火のため陥ちつつある時代々々の首都を見事に表現していて過不足がない。柱が燃

 

えるという表現は、日本では東京よりも京都や滋賀の都のイメージが強い。政変逆巻く都の戦火は季節を選ばない。

 

 

あはれこの瓦礫の都冬の虹             富沢赤黄男

 

東京に井戸ある不思議秋彼岸             能村研三

 

 

東京に少し奥深く入ると、より東京が見えてくる。誰もが共有する東京の在りのままが見えてくる。

 

三河万歳東京行は混みにけり            加藤かけい

 

打水に夕べせはしき木挽町            武原はん

 

花冷の百人町といふところ             草間時彦

 

星空に風鈴こぼす江戸の音            榊 睦子

 

江戸絵図の堀の藍色夏はじめ          木内彰志

 

春光に糶る風呂敷の江戸小紋         有馬ひろこ

 

表参道A5より出て鳥雲に             今瀬剛一

 

新宿の上に空ありさくら散る           宮原みさお

 

宿の波濤を愛す青目刺            磯貝碧蹄館

 

新宿に会ふは別るる西鶴忌            石川桂郎

 

焼藷屋来てゐる午後の永田町          水田清子

 

ラムネ抜く音の思ひ出三田訪はな        石川桂郎

 

若葉冷えて三田に山本健吉忌          草間時彦

 

パンを焼く香溢る青山薄暑かな         恩田秀子

 

青山に明治の墓地や櫻散る           橋本風車

 

河童忌や暮色の田端三丁目           石原素子

 

持ちかへて佃大橋西瓜ゆく            小倉晶子

 

鉄の香の両国橋の西日かな          渡邊千枝子

 

木造の家葛飾に牡丹咲く             佐藤梅子

 

猿曳を見しは葛飾波郷           加藤楸邨

 

このわたや江東の夜の友ら亡く         矢島渚男

 

煮こごりや江東の夜を友とゐて          松崎鉄之介

 

 

東京は広い。23区、27市、13町村。たくさんの行政区域に分かれ、各々の地域は皆それぞれの貌を持つ。

しかし、詩的東京のイメージは、街の姿に圧縮された形をとることになる。

 

鉄のごと霧来る扉歌舞伎町          対馬康子

 

新住所千代田区千代田蝸牛         紅林照代

 

凌霄や藁家の忽と世田谷区         渡邊千枝子

 

冬空や麻布の坂の上りおり         永井荷風

 

三宅坂赤坂見附夏つばめ         川崎展宏

 

ゆく年や坂一つなき中央区         鈴木真砂女

 

坂多き湯島や雨のおきまつり         矢島房利

 

鷺草の咲く世田谷に迷ひこみ         中川禮子

 

香水の小店原宿シャンゼリゼ       石川星水女

 

火事雲の映り港区橋多し            羽田岳水

 

丸の内界隈四月馬鹿の日や         村山故郷

 

皇居から銀座へ通ふ冬鴉           洞下芳丸

 

悴みて瞑りて皇居過ぎしか         石田波郷

 

生醤油の匂ひて佃島薄暑         今泉貞鳳

 

お針子は茶髪巣鴨の針供養         猿山 公

 

むかし千住に子宝湯あり桃の花       諸岡暄子

 

渋谷にてお洒落つばめと濡れつばめ    筑紫盤井

 

着ぶくれて渋谷を少しはみ出せり       黛まどか

 

 

下町だの山の手だのという使い分けは、東京から始まったに違いない。生活振りの呼び名を考え出して、

 

少し差をつけてみせるのは、なぜか東京に相応しいやり方である。だがしかし、「いき」や「いなせ」は下町

 

ふうだと今にも残るが、「山の手奴」は死語という。

 

 

本郷は八方に坂雁鳴けり          千賀静子

 

本郷に残る下宿屋白粉花          瀧 春一

 

本郷や大きな音の夜の落葉         藤田湘子

 

冬菊やここ本郷の路地づたひ       今井千鶴子

 

山の手にドアありてドアの風白し       筑紫盤井

 

下町や軒端の鉢の福寿草         石塚友二

 

鬼灯市妻も下町育ちかな         水原晴郎

 

蜜豆も食べ下町の教師たり        村松紅花

 

川へ捨つ神田祭の飴の棒          有馬ひろこ

 

猫柳神田古書店若菜集            田代 靖

 

秋時雨神田須田町蕎麦屋味噌       伊嶋高男

 

神田より十里十町祭笛            河村うら子

 

柔道着で歩む四五人神田に冬       草間時彦

 

男衆が甘酒すする神田祭          大竹 公

 

神田川祭りの中を流れけり       久保田万太郎

 

京橋のビルの座敷や葛ざくら         森 総彦

 

新海苔と筆太に書き日本橋        吉沢ひさ子

 

日本橋居らぬ一茶も水売も        有馬ひろこ

 

本所松坂町の夜番の柝なりけり      岩崎健一

 

春うらら山手線を半周し         伊澤蓉子

 

深川の夏のはじまり植木市         高橋市治

 

深川や低き家並のさつき空         永井荷風

 

文豪が愛した当時の下町風景、深川のよく顕れた句と言えましょう。そのずっと昔、芭蕉が庵を結んだ深川。

 

 

深川のかんかん照りの祭りかな      大木あまり

 

深川や橋より垂るる鯊の糸      宇都木水晶花

 

深川もただまぼろしの花曇り       中田雅敏

 

深川に河童あがりし春祭         紅林照代

 

深川や昼飯抜きし春の風         鈴木鷹夫

 

深川へ納め詣や冬の星        武原はん

 

浅草の塔がみえねば枯野かな      久保田万太郎

 

浅草のかくも西日の似合ふバー      大牧 広

 

浅草に鯉の洗ひを里なまり       紅林照代

 

花吹雪浅草らしき風が吹く      星野 椿

 

浅草のからくり時計も春の色   伊集院みのり

 

浅草や夜長の町の古着店   永井荷風

 

浅草もさみしくなりぬ初鰹   真鍋青魚

 

花冷や浅草に立つ仁王門   柴田長次

 

行年の浅草にあり川を見て   田川飛旅子

 

浅草の仲見世通り初つばめ   宇和川 茂

 

仲見世の灯の奔流やつばくらめ   岡本 眸

 

仲見世を出て行く手なし秋の暮   渡辺水巴

 

仲見世に響く春着の笑ひ声   伊集院みのり

 

仲見世の裏行く癖も十二月   石川桂郎

 

仲見世に少し迷ふものどかかな   星野 椿

 

招き猫並ぶ仲見世春の昼   伊澤蓉子

 

切山椒買うて仲見世書肆に寄る   石原八束

 

なか見世て江戸払なき寒弾は   加藤郁乎

 

花の雲鐘は上野か浅草か   松尾芭蕉

 

年の瀬の灯ぺちゃくちゃの六区かな   阿波野青畝

 

セル軽く荷風の六区歩きけり   加藤三七子

 

突つ風六区は塵をとばすばかり   千葉玲子

 

六区とてひとりは淋し春の宵   関口真沙

 

亀の子を育て六区の踊子は   藤原幸子

 

上野まで河馬を見に来し文化の日   鉄本正信

 

坪内稔典氏を念頭においたのか、そうだとしたら上野の河馬と文化の日を取り合わせた機転は見事な俳味。

 

春暁の烏が鳴けり上野駅   船田千恵康

 

アメ横で買ふ和蘭の薔薇のジャム   安住 敦

 

冬帽子低く来るなり上野駅   石田勝彦

 

汽車の灯に群れる灯蛾も上野に着く   加倉井秋を

 

アメ横の裸電球日の短か   滝沢千波

 

冬霧のかる上野や出初式   富安風生

 

上野広小路繭玉をふりかざす   大石香代子

 

風の日の紅葉吹き込む上野駅   鈴木鷹夫

 

上野駅公園口の落し文   釼持善夫

 

花三分人出七分の上野かな   大井典子

 

不忍の水鳥を見る礼者かな   岡本癖三酔

 

ゆらゆらと風鈴屋台行く銀座   横井理恵

 

かき氷せりせりとあり銀座の昼   伊藤敬子

 

春風や銀座の鐘のやはらかき   山田経子

 

バラを売る銀座の路地の雀斑かな   杉浦康之

 

シネマ果つ銀座マリオン春の月   玉石早苗

 

銀座には靴屋が多し風薫る   横井理恵

 

ミュージカルはねて銀座のソーダ水   伊澤蓉子

 

メロンすくへば銀座の夜の匂ひする   遠藤素兄

 

蜜豆のつめたさが好き銀座雨   中嶋秀子

 

雨が相応しいのは銀座ばかりではないが、パリと銀座は雨や雪が似合ってしまう。夜になれば街の灯が耀き

すぎるのか、観念的には暗いイメージを持つ雨や雪が情緒を誘う。

雪のパリ、淡雪の銀座。

 

湯豆腐や障子の外の隅田川   庄司瓦全

 

初天神隅田渡りてなほ遠し   高橋淡路女

 

枸杞の実の赤し江戸川近く住む   河東田素峰

 

雛の日や千住大橋薄霞   小沢碧童

 

菖蒲葺く千住は橋にはじまれり   大野林火

 

千住の化ケ煙突や雷きざす   三好達治

 

朝市に江戸風鈴や音いろいろ   須藤豊子

 

橋いくつくぐる隅田の初荷舟   宇都木水晶花

 

立春の米こぼれをり葛西橋   石田波郷

 

大江戸にまぶしき光流し雛   齋藤晶子

 

荒涼と荒川鰻裂いて貰ふ   細見綾子

 

夕東風や海の船ゐる隅田川   水原秋桜子

 

一舟も航かず隅田の大晦日   鉄本正信

 

虫売も舟に乗りけり隅田川   内藤鳴雪

 

子燕に海の匂ひの隅田川   西脇はま子

 

春愁橋より眺む隅田川   伊集院みのり

 

桃一枝かざし隅田の屋形船   浅木ノエ

 

隅田川見て刻待てり年わすれ   水原秋桜子

 

 

首都の奥はさらに深い。点として取り上げられても、まだ東京のままである。

 

春風のスカーフ帝国ホテルかな   山田みづえ

 

三越のライオンにをり春ショール   染谷彩雲

 

越後屋に絹裂く音や衣更ヘ   榎本基角

 

浮寝鳥桜田門の日向かな   滝井孝作

 

明治座より帰り来し卓春のジャム   皆吉 司

 

赤門は古し紫陽花も古き藍   山口青邨

 

新緑や兄欲る東大構内に   秋元不死男

 

歌舞伎座は雨に灯流し春ゆく夜   杉田久女

 

初参賀明治生れに二重橋   松原地蔵尊

 

夷講の中にかかるや日本橋   森川許六

 

三越も帝国ホテルも、大東京の中の点である。それでも誰もが、「東京」を共感する。

 

歌舞伎座の絨毯踏みつ年忘   渡辺水巴

 

歌舞伎座のロビーの隅の花氷   北河 翠

 

歌舞伎座のうしろに住みぬ冬の空   久保田万太郎

 

モナリザの大小を地に夜店の灯   殿村菟絲子

この句、東京の語は含まれていないが、東京の雰囲気がある。京都や大阪のイメージは沸かない。

モナリザと夜店の取合せなら東京であろう。

 

三月やモナリザを売る石畳   秋元不死男

現今、海外詠の発表も盛んである。モナリザと石畳の取合せは、むしろパリを想わせる。だが私は、

東京のイメージを持つ句と見た。 

三月の寒いパリと、暖かい日中の東京。この句の詠まれた現場に私は居合わせ得た筈もないが、

東京を感じてしまう。

 

銀杏散るまつただ中に法科あり   山口青邨

この句に東京という語も場所を特定する地名もないが、東京に違いないことを皆知っている。

 

雨のこるべつたら市の薄れ月   水原秋桜子

 

浮世絵の女の絵馬や生姜市   加藤三七子

 

 

東京は引き続きしばらくは首都であっていいし、どこかもっと北の地域に

遷都しても、それでよい。

日本の文化の中心は北へ北へと少しずつ移ってきた。

地球は音もなく目くるめく速さで、北へ北へと宇宙を走っている。

 

 

 

目次へ戻る   俳句を詠むへ   女を詠むへ   男を詠むへ   パレットを詠むへ   Home Page