類似句と挨拶句

 

 

類似句、類想句はいくら注意しても避けがたいものである。自分で作句するときは、他人の作で前に読んだことがあ

るが忘れてしまっていて、無意識のうちに似たような句が出来上がってしまっている場合に注意する。大会などでの互

選のときは、自分の選んだ句が、前に何かで読んで記憶している句に似ていないか注意を払う。

作句でも互選でも、類似句を避けるにはできるだけ多くの秀れた句を覚えているに越したことはない。しかし、人間

の記憶に頼ることなのでおのずから限界がある。自分の力を磨くつもりで良い句を読めば読むほど、作句するときは無

意識のうちにうっかり類似句を作ってしまいかねない。

私はここ2、3年、自分の勉強のためにこれはと思う句をメモしている。類似句に出会ったときは並べて書いておく。

勉強のために記録しているのであるから、秀れていると思われる句がメモされる。そのあとで類似句に出会い並べてメ

モしてみると、どちらも甲乙つけがたいほどの出来ぐあいである。もっとも、それほど秀句でなくとも、自分が類似を

避けるためにだけの目的で記録する場合もある。それらのメモをたぐりながら、類似句の扱い、挨拶句のあり方などに

思いを巡らせてみた。

保育器の生命しづかに花の夜

保育器の命みつめて明易し

 

「…花の夜」の句は『合本俳句歳時記-新版-』(角川書店)に載っている句であり、「…明易し」のほうは平成7年

開催の、第46回秋田県俳句懇話会全県俳句大会において互選第1位となった作品である。2句はたいへんよく似てい

る。

牛冷やす男まさりの束ね髪       一郷が注連でつながる秋祭り

水喧嘩をとこまさりの束ね髪      一村を注連にて括る春まつり

 

炎天を職ある人のごと歩む       蟻の列どの一匹に始まりし

天高し職あるごとく大股に       蟻の列始め終りのなかりけり

 

威銃こつちの村を撃ちにけり        夕焼けを使い果して海女帰る

威銃村のどこかに当るなり          夕焼けを使い尽して漁夫帰る

 

石一つ足で転がし水盗む             水嵩や影折れ映る猫柳

石一つ動かし水を盗みけり           水嵩のもどり来し濠猫柳

 

とある夜の紅を濃くして雪女郎     甚平や一誌を担う脛ほそし

雪女仮の世の眉引きにけり       甚平や一誌持たねば仰がれず

 

鯵刺や空に断崖あるごとし       妻たちの羽化おそろしき更衣

椋鳥や空に投網を打つごとし      女生徒の羽化した朝や更衣

 

上の2句ずつのグループもたいへん似た句である。どちらが先に出来たのか。まったく別々に作られたのかも知れな

いが、典型的な類似句、類想句の例である。

 

遠山に夕日一すじ時雨かな       与謝蕪村

遠山へ日差し移りて時雨来る

 

この2句も似ている。遠景の日当たりと、作者の居る周辺ないしは近景の時雨を対照させて詠んでいる。通常、この

ような場合は類想句というより、後で作られたほうは一種の挨拶句と呼ばれることになる。高名俳人の句に対し後で作

られた類想の句のほうは、先人に敬意を表しての挨拶句とされる。この場合も、仮に作者が蕪村の句を知らずに作った

のだったとしても、挨拶句だとみなしてよいだろう。元となるべき句を作者が知らなくとも選をする師や主宰が知って

いて、あえて採るケースがよくある。

蛇足だが、写生句としてみた場合は、「…時雨来る」のほうの句は、「移り」「来る」と動詞が2つも使われている

ところに、蕪村の句に比べてやや難があろう。

 

遠山に日の当りたる枯野かな       高浜虚子

 

この高浜虚子の句は俳句入門書などによく出てくるので、比較的知られている句である。枯野と時雨では情景は違う

が、蕪村の句と発想はたいへん似ている。虚子が蕪村の句へ和してつくった挨拶句ということになろうか。虚子自身で

はこの句を自らは句集に収めなかったそうである。蕪村の句との類似を嫌ったからか、戯れに和しただけの言葉遊びに

過ぎない作と考えてのことからかとも思われる。

 

烏帽子著て誰やら渡る春の水           与謝蕪村

なにびとの渡り終へしや虹消ゆる

 

これは、作者も蕪村の句を覚えていたかも知れないし、選者ももちろん、蕪村の句を念頭において採ったに違いない。

挨拶句でもないようだ。詠み込まれた情景は違っているものの、発想が似ていて類想句ということになるが、類想、同

巣として顧みないのは厳し過ぎよう。蕪村の句と並べてみても、十分鑑賞に耐える一句であると誰もが思うほどよく出

来ている。

 

葱白く洗ひたてたる寒さかな          松尾芭蕉

易水に葱(ねぶか)流るゝ寒さかな      与謝蕪村

 

この2句は、蕪村が芭蕉の句に挨拶したのだとも言われているが、葱、寒さの語が共通使用されている。

 

 

はるかまで旅してゐたり昼寝覚         森 澄雄

昼寝覚遠くを旅しゐたりけり

 

この例も、前の句が先に出来ていたことが確実なので、後の句は前の句への挨拶句と思われる。後の句は元句とまっ

たく同じ句意を、言葉の並べ変えだけで表現している。

 

まんじゆしやげ仮名にて書けばはかなさよ    山口誓子

ひらがなの蕊ちらし書き曼珠沙華            鷹羽狩行

書き散らしたるごとくに大文字草         片山由美子

 

他作者の句への挨拶とは、一般には高名俳人の有名句に敬意を払っての行為であろうが、師弟の間で戯れに行われる

ケースもあるようである。

 

中国に妖怪多し夕牡丹           有馬朗人

ウェールズに幽霊多し夏炉たく

 

この2句は、詠まれている内容からは別個の句に見える。だけれども、外国に「妖怪」や「幽霊」が「多い」とした

発想の根本は類似である。じつはこの2句は、同一作者のものである。別の作者であったなら挨拶句となるところであ

る。このようにあえて似たような発想で多作、習作することは、昔から行われているようである。蕪村、誓子の例を挙

げてみる。

夏河を越すうれしさよ手に草履           与謝蕪村

小鳥来る音うれしさよ板びさし          〃

     

欠け欠けて月もなくなる夜寒かな      与謝蕪村

行き行きてここに行き行く夏野かな        〃

     

海に出て木枯帰るところなし        山口誓子

雪降る夜逃場は海のほかになし         〃

 

 

次の2句ずつのグープの例は、先のほうが元の句で、後の挨拶句のほうは作者名を伏せてあるが俳句大会での入賞句

である。

山又山山桜又山桜                    阿波野青畝

上にまたその上にまた山桜       〔平成4年度NHK学園全国俳句大会入賞〕

 

おのが丈忘じて蛇が穴出づる          長谷川双魚

厄介な長さをもちて穴惑ひ       〔平成5年度NHK学園全国俳句大会入賞〕

 

のどかさに寝てしまひけり草の上      松根東洋城

板の間の涼しさに寝てしまひけり     〔平成6年第5回俳人協会東北俳句大会入賞〕

 

このように、大会に挨拶句を応募することは認められているようなので、この拙文の冒頭に掲げた大会互選1位の句

「保育器の生命みつめて明易し」は当然挨拶句とみなしてよいだろうが、元句があったことを選んだ全員が知っていた

かどうか、互選入賞の場合には少し疑問も残される。

また、もし俳句大会で挨拶句の上位入賞が盛んになると、応募者は初めから挨拶句で入賞を狙ってくることにもなり

かねない。

 

人の上に花あり花の上に人

 

この句は平成9年4月の新聞投句欄「朝日俳壇」に載っていたもので、「山又山…」か「上にまた…」の句からの連

想句と見ていいだろう。

 

(いかのぼり)昨日の空のありどころ     与謝蕪村

凧(たこ)一枚空を遠くへおしやりぬ

凧揚げて空をだんだん大きくす

凧揚げて昔の空をとり戻す

 

この例は、後の3句は蕪村の元句に対して「凧」と「空」が共通しており、挨拶句と見ていいだろう。3句とも俳句

大会入賞句である。

短歌には「本歌取り」という、模倣ではないと完全に認められている作歌技法がある。全国規模の短歌大会でも、堂

々と採択されるようである。俳句でも芭蕉、蕪村の昔から、和歌や漢詩を下敷きにしたり念頭に置いたりして作句する

方法は行われてきている。挨拶句と本歌取りの技法はたいへん似ているが、本来、出発点そのものが違っていると言え

るだろう。前掲の凧の3句は、挨拶句というより蕪村の句を元とした本歌取りとみていいかも知れない。

 

冬の雷プラスマイナスゼロまろぶ         向井未来

 

これは本歌取りを意識しながら試みた私の作品で、平成9年の第15回羽黒町全国俳句大会応募句である。俵万智氏

の次の歌を念頭においたものである。

君といてプラスマイナスカラコロとうがいの声も女なりけり       万智

 

元の歌と内容上の微妙な関連性がまったくないとなれば本歌取りとはならなくて、単にプラスマイナスという文句を

借りてきただけに過ぎなくなる。「語句の使用の仕方に敬意を表しての挨拶」ということになろうか。

 

妹を泣かして上がる絵双六           黛まどか

泣かされてゐるのは兄なり水遊び

 

この2句はどれが元となった句でどれが挨拶句なのか。通常、挨拶句というものが高名な作者の有名な作品に対する

ものだとすると、句集『B面の夏』で一気に有名俳人の仲間入りをした黛まどか氏の句に対して、他の句が挨拶句だと

いうことになる。しかし、黛作品は比較的あたらしいものなので、後で出来た可能性もある。いずれ、まったく単独で

作られたとしても典型的な類想句であり、後で作られた句は自発的に取り下げられなければならなくなる。

 

泣いてゐる方が姉なり七五三

 

この句は先の2句より後で発表されたことが確実なので、黛作品への挨拶句とみなすことができる。

次は、現役の有名作者のつくった新しい句が、遠い過去の忘れ去られようとしている作者の句を掘り起こし、有名に

してしまう例を挙げてみる。

 

凩の果はありけり海の音           池西言水

海に出て木枯帰るところなし         山口誓子

 

俳句入門書によく出てきて比較されている2句である。海と木枯についてまったく正反対の詠み方をしているようだ

が、よく似た2句である。山口誓子が言水の句を「知っていた」「知らなかった」に関係なく、現役の高名俳人が類似

句を詠んだために、過去に没していた句に再び光りが当たる結果になった例であろう。このようなケースは今後も、と

きどき起こると予想される。

すなわち、現在は誰もスポットをあてることはしていないが、現在活躍中の誰か高名俳人が注目に価する句を詠み、

それがきっかけで、過去に詠まれ埋もれていた別の俳人の類似の句が引き出されてきて、「似ている」と評されること

があり得るのである。つまり、過去のその句は結構な秀句であるはずなのだが、現在の無数の現役作者たちの作品に隠

れてしまっているという錯覚現象なのである。このことに関して深く語ろうとすれば、不易流行論に触れなければなら

ないので、ここでは避けることにする。

さて、俳句史に有名な類似句事件がある。

 

獺祭忌明治は遠くなりにけり

降る雪や明治は遠くなりにけり

 

ほとんど数カ月も経たない短期間に続けて発表され、「俺のほうが先だ」「いや、俺はそんな句は知らずに詠んだ」

と主張しあったようだが、この2句の争いは結局、「降る雪や…」のほうに軍配が上がった。何故そういう決着になっ

たかを探求しようとすると、俳句の第二芸術論に波及してしまうので、これもここでは触れないことにする。

 

晩齢やパレットに練る雪の彩

パレットに日焼けの海女の彩を溶く

秋の天パレットに溶く空の色

 

この3句は、現在活躍中の3人の県内作者の作品である。4句のうち2句は、作者それぞれの発刊句集に納められて

いる。他の1句は俳句大会入賞句である。まったく独立に作られたと推測していいかも知れない。単独では3句それぞ

れ共に佳句なのだが、3句のうちのどれか1句が元の句となっていて他の2句がその句に対する挨拶句だとは考えにく

い。このような場合、遅れて出来た句は取り下げられるべきか、いずれか1句に評価が集中するまで時間をかけて待た

なければならないかだろう。

     

パレットに原色溶けば夏めける

パレットにあふれるみどり山の画家

パレットに春を先取りして溶かす (現代川柳作品)

 

この3句はごく最近になってメモ帳に加わった句で、県外作者の俳句2句と、県内の川柳作家の川柳である。こんな

に多くに出くわすと「パレットに○○色を溶く」という句は、○○の部分を入れ替えるだけで、詠むべき事柄にも季節

にも関係なく、無数に出来てゆく可能性があると思えてくる。そうなれば、一番最初に詠まれた句も一番秀れていると

思われる句も含め、パレットの句の全部が月並み句に堕してしまうことになりかねない。

かの松尾芭蕉は、

「後で出来たとしても、よりよい句であれば先の句をさし置いても採択すべきである」

と語っていたということである。また一方、

「自分の句に似た句を後で誰かに作られたなら、自分のほうの句を取り下げる」

と、類想にはかなりの厳しさで自己に対したようである。さらに、自作のうちでさえも類似を避けようと努めていた。

 

清瀧や浪にちりなき夏の月

白菊の目にたてゝ見るちりもなし           松尾芭蕉

 

「清瀧や…」の句は芭蕉が類似を嫌い、後で作り直したと言われる有名なエピソードをもつ原句である。私には「白

菊の…」の句とほとんど違った発想の句としか思えないのだが、園女に挨拶した「白菊の…」の句が以前に作っていた

「清瀧や…」の句と似ているとして、「清瀧や…」のほうを、

 

清瀧や波にちり込む青松葉                  松尾芭蕉

 

に改めたということである。

なお「白菊の…」の句は、園女亭に招かれた芭蕉が歌仙の発句としたもので、園女に本来の意味での挨拶をしたものであ

る。また、この句は本歌取りで、

くもりなきかがみの上にゐるちりをめにたててみる世とおもはばや     西行法師

 

によっているということである。

最後は漢字だけを並べて作った例を挙げてみる。芭蕉の次の句が有名である。

奈良七重七堂伽藍八重桜               松尾芭蕉

 

 

漢字だけを並べた17音句は言葉遊びのようなもので、「1回だけ切れること」などのルールはのっけから無視してい

る。

 

山又山山桜又山桜                    阿波野青畝

青空撞球青空理髪秋日和                 山崎ひさを

稲光一遍上人徒跣(かちはだし)             黒田杏子

 

現代俳人もけっこう遊んでいる。これらの句がみな芭蕉への挨拶句だとみなすわけにはいかない。芭蕉が一番初めでは

ないにしろ、その後に出来た句がみな類似句だと片付けるわけにもいかない。

 

蝉時雨茅舎童貞房子処女

 

この句は弟子が師の川端茅舎へ挨拶したもので、元になる句へ唱和しての挨拶ではなく、本来の挨拶句に近いものであろ

う。

今の時代は全国みな同じ俳風に包まれている。NHK学園俳句大会など全国規模の大会や中央各新聞社による全国公募の

「○○俳壇」の隆盛、高額賞金付きの作品募集、俳句総合月刊誌の発展などがそれを推し進めている。俳風が画一的に拡が

っている主な原因は、情報交換手段の未曾有な発達も側面にあるが、全国規模の大会や「○○俳壇」の選者、月刊総合誌の

登場作者の顔触れが、いつも同じメンバーの入れ替わりであることにありそうである。しかし、俳句の主目的の一つに自派

俳風の拡大があるので、正岡子規を頂点とする一大流派発展の結果の、当然の成り行きというところであろうか。関西俳壇

も秋田俳壇も色彩は特になく、みな総合月刊誌的中央俳壇風に落ち着いている。

そんな流れの中で類似句が出た場合、何がなんでも優劣を決めなければならないということはないだろうが、決着をつけ

たいとき基準となる物差しは、「的確な季語の使用」「音調」「句姿(品格)」「切れの適否」「動詞使用数の多寡」など

の比較のほか、写生俳句主流の現在では、「句中の作者の存在」「二句一章構成」「配合された二物の離即具合」などが加

味されることになる。

私は、自身の作句上での勉強のために2、3年前から秀句をメモしている。そこで最近、読んだその時には秀句とも思

わずメモしなかったが、大会などに出来上がった自作を送る段になって、「さて、どこかで前に読んだような気がする」

といった、記憶の不確かさに悩むことがしょっちゅうになってきた。大会に投句し始めて間もない10年も前の頃はそん

なことはなかったし、メモもしていなかった。それが、歳が進み記憶力がにぶってきているのも確かであるが、全国風靡

の中央俳壇風に染まってきたのも一因かなと思っている。また、もう一つの見方として、私の作句力も昔に比べある程度

は上がってきたかなと思えないこともない。

いずれ、類句、類想を恐れていては先へ進めない。前にどこかで見たことのある句だなと思ったら、可能な限り探して

みることにしているが、見つからなければ思い切って応募する。結果として類似を指摘されたら、あるいは立派な先行句

があることを後で知ったら、潔く自作を取り下げることに決めている。

俳誌『俳星』平成9年11月号〜平成10年3月号掲載

 

 

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