クローン人間
「あなたを完全に再生できるDNAを、確かに採取いたしました」
窓口の若い女性は、いつも、どの患者に対しても事務的に言う。
彼女の口調が事務的なのは、彼女がここの“事務員”だからにすぎないが(唖然!)。
“患者”は応えた。
「ハイ」
(普段はイエスマンでもないのに。人は“患者”の扱いを受けると気が弱くなるらしい。)
患者=自分のクローンをあとあとまで残そうなんて、患っていることにほかならない。
つまり、りっぱな“患者”なのだ!!
だが公平に言って、いつでも患者にはその答え一つしか用意できない。
つまり、「ハイ」としか。
医者と会計の事務員の前では、まな板の上の鯉なのだ、誰でも。
さて、医者の前ならともかく、事務員の前でも患者が気弱になるのは、
請求額がいくらになるかを恐れてのことばかりではない。
確かに自分のを採取してくれたか、他人のと間違えてしまっていないかは、
この事務員のところに回されてくる一枚の《紙》に左右される。
運命を決める一枚の紙切れ。まるで、サラリーマン世界の辞令みたいだ!!
その紙は病院では、カルテとか、処方箋とかの呼ばれ方がされている。
だが、両方とも結局はこの事務員のところに回されてくる。
彼女は、カルテの整理もまかされているのだ。事務の合理化が浸透している証拠だ。
・・・で、100年後にDNAを基に再生され間違っていたと発覚したとき、
つまり産院でマヂィックで足裏に書いた赤ん坊の名前が、
お隣の子と間違えていたことが発覚したときと同じように、
すでに70年前に死んでいる院長先生に代わって、
そのときどきの責任者らが頭を下げただけで、罪が帳消しになるのだろうか。
うら若い女性事務員も、100年後には死んでいるはずだ。
おしまい(^。^)
―本文内容と写真は関係ありません。― 今年は卯年
・・・ルーブル美術館=ジェリコーの「メヂューズ号の筏」・・・