俳句と川柳の交差点

俳句&川柳シリーズ 2〕

 

向 井 未 来

現今の短詩型文芸域では、詠む対象のとらえ方というか詠み込む内容というか、互いの分野に積極的には

み出したり擦り寄ったりと、大いなる流動現象が起こっているようである。

ご承知のとおり俳句では、季語という巨大な壁を築いている。まるで万里の長城のようなもので、川柳側

がひたひたと攻め寄せてくるのを必死で防ごうとしているかのようにも見える。また、何がなんでも「季語

が無ければ俳句でない」とする有季派極右の俳人はけっこう多いのである。

最近、ユーモアに富んだ、川柳的な俳句がどんどん作られている。それらの句には、川柳でない証拠だと

言わんばかりに、必ず季語が含まれている。また、このごろ川柳を読ませてもらっているが、川柳的とはど

んな作風を言うのか分からなくなってしまうぐらい俳句的川柳が多い。

そのような俳句や川柳を読むと、季語を含ませておいて川柳から俳句を区別しようとする方法論は成立し

なくなる。すなわち、季語の有無とは無関係に、川柳っぽい俳句が成立してしまっているからである。それ

は、季語が俳句にとって、決して堅固な防護壁になっていないことを示唆している。

次の句は俳句である。芥川龍之介以外は近年の作者、作品である。

青蛙おのれもペンキ塗りたてか          芥川龍之介

隣より転げきし雪蹴り戻す              阿部 静雄

鴨鍋のさめて男のつまらなき            山尾 玉藻

着ぶくれて渋谷を少しはみ出せり        黛 まどか

極月やさらば機関車ゴルバチョフ    山岸 竜治

次の句は、川柳である。

青春の海でハイネの詩に逢い      細田 陽炎

浮雲よ男は石になりたがる       千貝みどり

蛇口から日々新しい水の音       石井つな子

産湯けり千の夢見る新生児       藤原 梅香

原点に戻る夕日が美しい        今野 一城

年々歳々桜花散りわれは老い      鍋谷  福枝

こうして比較してみると、確かに俳句側グループは旧かな遣いや切れのルールなどのため、ぎしぎしと重

厚な感じで、一読「あ、俳句だな」と見当がつくし、川柳のほうは口語調で軽やかな印象である。そして、

何故か双方とも、季語があるとか無いとかはそんなに特に気にならない。そして何より、俳句のほうは「川

柳的ユーモア」に富んでいて、川柳のほうは「写生俳句的きまじめ」な作風そのものである。

ここに挙げた俳句作品グループは、「塗りたてか」「蹴り戻す」「つまらなき」「少し」「や」「さらば」

と、人の心、人の気持ちが詠み込まれていて、写生派俳句から少しはみ出したものである。写生派の定義に

よれば、俳句とは『物に託して詠み、そこから人間と自然とのかかわり合いを見出すもの』、また川柳とは

『物に託さず、人の心、人の気持ちを率直に詠み込むもの』となるからである。最近の写生派俳人は、作者

の気持ちが強く反映される「や」「かな」「けり」などの語を、「古臭い」といってあまり使わない。

一方、川柳作品グループのほうで、作者の心、気持ちが入った語は、「浮雲よ」「なりたがる」「美しい」

「老い」だけで、写生派俳人から見れば、川柳としては異例なほど作者の心を表す言葉が詠み込まれていな

いと思うだろう。「逢い」「産湯けり」「見る」の語は作者の心ではなく、受け身で詩に「逢った」のであ

り、または受動的に「産湯を蹴って」いるのが見えた、夢を「見て」いるだろうと思われる、のであって、

俳句では写生的用法である。

したがって、〈青春の海でハイネの詩に逢い〉〈蛇口から日々新しい水の音〉〈産湯けり千の夢見る新生

児〉の3句は、季語の有無を別にすれば、正真正銘の《写生俳句》と言えるのである。

ユーモアとやや類似の俳句用語に、「俳味」という語がある。俳味とは、「〈ニヒルな〉、あるいは少し

〈ひねくれた〉などの気分をただよわせたユーモア」ということになろう。

油差す両棲類の田植機に                隈元 拓夫

室生川草にとびつき氷りけり        山本 洋子

大蛸のもぢやらもぢやらと近づき来     奥坂 まや

これらの俳句は、俳味があるというよりは、単に「ユーモアたっぷり」な作品との評がぴったりと思われ

る。「ニヒル」「ひねくれ」からは、完全に脱してしまっているからである。

これら3句のうち作者の気持ちが入った語は、「とびつき」「けり」「もぢやらもぢやら」であるが、

「とびつき」は、擬人法ではあるが作者が写し見ている立場にいるので客観性が強いし、「もぢやらもぢや

ら」も対象の動きを受動的に写し見ているということで写生である。「けり」は、普通は作者の強い断定の

気持ちを表すが、この句では事象の終了状態を表すために使用したと考えられるので、写し見ているとの観

のほうが強い。

3句は、物を詠んでユーモアという気分を醸し出すことに成功した写生句の佳句である。しかし、人間の

心をストレートに詠もうと努める川柳人から見れば、「ニヒル」や「ひねくれ」が消えてしまった分、薄っ

ぺらな言葉遊びとしか映らないかも知れない。

俳句界の一部で今、将来は季語という概念が消滅してしまうのではなかろうかと懸念されているようであ

る。その理由は2つあると言うことである。1つは、このごろ俳句を習う人たちは、季語の本質をおろそか

にし過ぎるということ。それは、一句にはその句の内容にぴったりの季語があるはずだが、とことん探す労

を厭うこと。すなわち、一句に、単に季語が1つ含まれていればそれでよしとする風潮が強くなっているこ

と。

もう1つの理由は、世の中の季節感の喪失である。これは、温室栽培の野菜、菌類がいつでも出回ってい

るし、冷凍冷蔵技術や養殖産業の発達で果物や魚介類は長期保存が効くし、いつでも出荷が可能になったし、

さらには、地球の裏側の旬のものが航空便でドンと入荷する実情を背景にしての心配と思われる。しかし、

桜は春に咲くことだし、紅葉狩りは秋以外に考えられないし、日本の在る北半球では雪が降るのは冬である。

日本の四季は自然界の変化に富み、まだまだ多くの季語が生き残るものと思われる。俳句を習う場合、1句

1季語が無難であることは言うまでもない。1句に2つも季語が入っていたりすると、失敗作かうっかりミ

スだと決めつけ頭から否定する俳人も少なくない。しかし、

目には青葉山ほととぎす初がつお

この句には「青葉」「ほととぎす」「初がつお」と3つも季語が入っているが、世の多くの人々の心をと

らえ、3百年もの長い間、広く親しまれてきた秀句である。季重なり俳句がよいか悪いかはまったく俳人仲

間うちだけの、それも指導する立場に立ったときに生じる問題であって、一般の人たちの心をとらえること

とは無関係であることがよく分かるのである。

ここで、俳句と川柳との比較という根源的問題にほんの少しだけ立ち寄れば、俳句から季語という制約が

消滅したからといって、川柳の勝ちでもないし俳句の負けでもない、と私は考えるのである。季語の有無を

俳句と川柳とを区別する唯一の論拠とする流派にとっては惨敗であろうが、無季俳句擁護派の努力の結果そ

うなった、ことでもないのである。ただ、将来、季語の有無が俳句と川柳を区別する、唯一最終の一線では

なさそうだとは言えるかも知れない。俳句の歴史には無季俳句の盛んだった時代があるし、ずっと昔、俳聖

芭蕉が、「無季俳句があってもよい」と語っていたとも、弟子たちによって書き残されている。また、川柳

と俳句が、そもそも互いに相手方へ攻め込んだり(あるいは擦り寄ったり、はみ出したり)、相手の分野が

こっちの領域に入り込んでくるのを防いだり、ということ自体どれほどの意味があろうかということになっ

てしまう。

今後、川柳界がこぞって積極的に俳句に近い作風を創り出そうと試みると、川柳から警句的やら社会風刺

やらの要素が消えていってしまうのは間違いないことのようである。そして、いま盛んのサラリーマン川柳

や時事川柳のように、警句的、ことわざ的、風刺的なセンスを存分に駆使した分野の5・7・5は、古典的

正道川柳として残るだろうと予想される。と言うのは、作句方法論ないし指導方法論の確立が可能と考えら

れる現代川柳側は、一層きまじめな俳句的作風に向かいそうだし、サラ川、時事川の側は、方法論の組立て

がきわめて困難で今後も暫くは作者のセンスに頼る作句法しか見当たらず、幅広い指導活動に不向きと思わ

れ、その場合の生き残り策としては源流正道を主張することになるからである。

ちなみに、川柳側から見れば窮屈すぎるほどの俳句ルールこそ、指導する立場に立つ場合はきわめて有利

な指南車となっているのである。

《川柳誌『すずむし』1995年5月号掲載》

 

 

 

        Home Page