切れ字「や」の役目

 

向 井 未 来

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 切れ字《や》の効果について芭蕉の句を例にあげながら見てきましたが、《や》が用いられ

 

るとき、詠嘆すべき強調すべき事物・事象を表す語が、《や》の近くにあることがわかりまし

 

た。句のなかで《や》の位置が後方へ移ることは、詠嘆あるいは強調される事物・事象を表す

 

語が、後ろへ移動していることなのでした。

 

中句に《や》が用いられるときは、どちらかといえば切れ字の効果は薄らぐことが多く、時

 

には詠嘆すべき強調すべき事物・事象を表す語が、《や》の後のフレーズに組み込まれる場合

 

もあることがわかりました。

 

また、切れ字《や》が後ろへ移るにつれて、結論を後に置こうとする日本語本来の語順に近

 

づいてくることもわかりました。

 

《や》の後方への移動は、日常の慣れた語順へ回帰しようとの、無意識の力が働く結果なの

 

でしょうか。すなわち日本語本来の語順への、脳内システム的な回帰の力によるものなのでし

 

ょうか。臼田亜浪が一句一章と呼びました一物仕立ての句は、日本人の言語感覚には、一番ぴ

 

ったりする魅惑の形なのでしょうか。

 

しかし、これまで述べましたように芭蕉の場合ですと、下句に用いられている《や》が極端

 

に少なく、上句の《や》についで多く用いられている切れ字が、句の末尾にくる《かな》なの

 

でした。

 

   芭蕉の下句での《や》の使用の少なさと、《かな》の多用とは関連があるかどうかはわかり

 

せんけれども、上句に《や》を用いる句が、古池やの句をきっかけに増えてくることがわかり

 

ました。

 

 俳諧の連歌の発句が、後につづく付け句を予想してつくられた芭蕉の時代、発句の最末尾に

 

置かれるときの《や》と、これも最末尾に置かれる詠嘆の終助詞《かな》とは、「行きて還る

 

べき心」からすれば、たまたま最末尾にきているという、形式的な仮の位置なのかもしれませ

 

ん。

 

  俳聖芭蕉は、《や》と《かな》を使い分けつつ、心に共振してくる言語作用の機微を、存分

 

に味わっていたことでしょう。

 

 

 

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