切れ字「や」の役目

 

向 井 未 来

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これまで述べましたように、切れ字《や》以外にまた切れがあっても、強い切れはあくまでも

 

《や》にあるとみなすことができました。しかしながら芭蕉の作品といえども、どうしても《や》

 

の個所に切れはないと考えざるをえない句があります。次のような句です。

 

鶯や餅に糞する縁のさき         芭蕉

 

松茸やしらぬ木の葉のへばり付く     芭蕉

 

菊の花咲くや石屋の石の間        芭蕉

 

これらの句は、姿かたちのうえでは《や》でたしかに切れていて、かつ、その前後2つのフレ

 

ーズが対照させられてはいます。

 

そこでまた、《や》の代わりに別の助詞に置き換えたり、外したりしてみることにします。語

 

句を入れ替える方法は、連歌の式目をまとめた二条良基が試みたという、発句に切れがあるかど

 

うかの簡単な見分けかたです。

 

その方法では3句は、次のようになってしまいます。

 

鶯が餅に糞をする縁の先

 

松茸に知らぬ木の葉がへばりつく

 

菊の花が咲く石屋の石の間

 

このように、切れ字《や》が使われているものの、別の助詞に替えますと簡単に叙述文になっ

 

てしまう句は、季語以外のフレーズは季語の有りさまを説明しているか、単に修飾しているだけ

 

にすぎません。実質的には《や》のもつ二句一章の対照効果も切れの役割も、たいへん弱くなっ

 

ているのです。名人は危うきに遊ぶとした芭蕉ですが、これらの句は取合せの失敗とみなすべき

 

なのかもしれません。

 

鶯やの句は、雅と俗を取り合わせた例としてしばしば引用されるのですけれども、他の2句は、

 

鑑賞作品としてはほとんどとり上げられることのない句です。中句で《や》が用いられますと、

 

切れ字の効果が薄らいでくることは前にも述べましたが、菊の花の句はまさにその典型的なもの

 

でしょう。

 

しばしば一般的にも、《や》をはさんだ一方のフレーズが、もう一方のフレーズを単に説明し

 

ていたり修飾しているだけだったりで、切れ字の効力がないケースは、句の評の際などに問題と

 

されます。「季語を説明しているだけ」と評されるような場合には、季語を含むフレーズと他の

 

フレーズを切っている《や》を、別の助詞に置き換えてみますと、たいていはすらすらと1行で

 

読み下せる叙述文になってしまうと思われます。

 

 

 

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鎌倉市・長谷 = 高徳院の本尊「大仏」

 

 

 

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