自句自註 荊 軻 発 つ」

 

向 井 未 来

 

 

荊軻発つマントに()()す義を負いて   未来

 

 

中国のその昔、燕の国から恩義を受けた荊軻という壮士が、義理を果た

 

すために秦の始皇帝の暗殺を買って出、刺客の旅に出る。見送ってきた燕

 

の太子丹と別れた所が易水である。惜別の宴で荊軻は、「風は蕭々として

 

易水は寒い。壮士たる者、いったん引き受けたからには、責任を果たすま

 

で生きては還らない」と歌った。(『広辞苑』による。)

 

「マントに短剣(けん)をする」という言葉は、西洋では刺客行為の代

 

名詞みたいに使われている。懐に忍ばせたり外套で隠した短剣で命を奪う

 

方法と毒を盛る手法は、ともに洋の東西を問わない古典的な暗殺手段なの

 

であった。俳句では季語が必要なので、マントに隠して剣することと寒さ

 

に直接の関係はないが、マントに季感を重ね合わせるという手法をとった。

 

拙句はある俳句大会への応募作である。「短剣す」は「けんす」と読ん

 

でいただくようルビを付けて応募している。

 

さて近世に至って、ピストルが貴族にとってはそれほど痛くもなく命を

 

落とせる道具だと信じられるようになったのか、決闘といえばピストルが

 

選ばれている。そこで、ピストルは正々堂々の武器、短剣はこそこそと命

 

を奪う凶器というイメージが固定化したようだ。日本の時代劇に登場する《

 

飛び道具とは卑怯なり》というセリフは、科学の発達が遅れても精神修養

 

を第一義としてきた徳川封建サムライの、負け惜しみの空呼ばわりと言え

 

なくもない。

 

いずれにしろ長い間、専門家肌の刺客やスパイからは短剣は“ターゲッ

 

ト”の生命を奪うには最も有効な手段だと考えられてきた。油断している

 

ところを襲うので音もたてずに事を運ぶことができ、おびただしい血は流

 

れるものの、屍には頸部か左胸に一インチ程度の傷が残るだけである。尤

 

も、科学の発達した東西冷戦時代のKGBなどは、こうもり傘に仕込んだ

 

毒粒銃や消音ピストルを使ったようである。英国の007も顔負けするく

 

らいである。

 

正々堂々の戦いは、こん棒よりは剣で、剣よりはピストルで、ピストル

 

よりも戦車砲で、戦車砲よりはロケット砲で。否、それよりも核兵器で。

 

《拳に代わる道具》の正義の行使のエスカレートは、俳人には預かり知ら

 

ぬことである。しかし、義侠の心意気を伝える易水の故事は詩の永遠の題

 

材たり得るに違いない。

 

易水に葱(ねぶか)流るる寒さかな    与謝蕪村

 

もし、拙作にも易水の語を入れるとすれば、易水やマントに短剣(けん)

 

す義の別れとでもなろうか。季節は故事にならい寒さを生かして冬とすべ

 

きで、季語はやはりマントにしよう。

 

 

 

 

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