伊勢神宮

伊勢の神宮は、皇室の祖神として天照大御神をおまつりする皇大神宮(内宮)と、衣食住をつかさどる豊受大御神をおまつりする豊受大神宮(外宮)を始め、大小125社の神社の総称である。

日本書記によると第十代崇神天皇の御代までは天照大神は宮中で天皇自ら親祭をしていた。当時国内では疫病が広がり、民の半数が死亡して、農民の離反や反乱が起こった。皇女豊鍬入姫命に大神の「御霊代」(みたましろ)(御神体)を託し、大和の笠縫邑に祀ったという。この大和笠縫は奈良県三輪山の北麓に位置し、大和平野を一望できる霊地であった。神宮の古文献等によれば、豊鍬入姫命は初代の「御杖代」(みつえしろ)となり三十三年間大神に奉仕した。その後大神の託宣を受け丹波、紀伊などを巡行した。老年になり倭姫命に「御杖代」を託した。倭姫命も大神のふさわしい鎮座地を求め、ついに伊勢の地に大神を祀られた。

かつて天照大神が祀られていた地は「元伊勢」と呼ばれ古い祭祀跡も明らかになってきて、神話のロマンが広がっている。

以来、天照大神はさらに五十鈴川の川上の聖地に鎮まり、天武天皇の御代から二十年毎に御正殿を改める式年遷宮の制度も定められた。現在に至るまで皇室の祖神、八百萬の神々の最高貴神として崇められ、日本民族の総氏神として悠久の歴史と共に最も篤く崇敬されてきた。

後世貴族社会から武家社会に時代が移っても一層の崇敬を受けられ、私幣禁断が解かれた江戸時代には、「伊勢へ行きたい伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」とエージャナイカエージャナイカと唱えながら参詣に行列した「おかげ参り」は、あらゆる階層の人々の信仰が頂点を極めた出来事としてあまりにも有名である。

各家庭においては、「お勢さん」「お祓いさん」また、「神明さま」など親しみをもって呼称され、現在も「天照皇大神宮」と印された「神宮大麻」を年毎に神棚におまつりして、毎朝家族のお祈りが捧げられている。

近年神様に対する畏敬や感謝の念が希薄化しつつありますが、遠い祖先が営んできた良風美俗の神祭りの精神を継承して行きたいものだと思う。是非一度神宮へ参詣してみてください。神域の清浄且つ霊妙なる神秘な聖域で思わず心の感動を禁じえない経験をされることと思う。