人生は賭けグルイ

 (講演日=2019年4月3日)

 

 ↑『賭けグルイ』の主人公「蛇喰夢子」







 2019年春。
 深夜12時過ぎ、まだ肌寒い3月の深夜。
 
 蛇喰夢子「さあ!賭け狂いましょう!!」

 TVでは深夜アニメ『賭けグルイXX』が放送されている。
 そのアニメを観ているわたしはニヤッ!と微妙に顔を歪めて微笑んだ。

 わたし「そうだ、、、夢子よ、そうでなくては。人生というものはな。・・・」

 ご存知ない方のために説明すると、この『賭けグルイXX』は河本ほむら原作・尚村透作画の漫画『賭けグルイ』のアニメ化作品2期である。
 このアニメ作品のおおまかなストーリー(重大なネタバレはなし)を説明するとは創立120年を迎える名門高校「私立百花王学園」を「弱肉強食」を原理原則として支配する生徒会長「桃喰綺羅莉(ももばみきらり)」にひとりの転校生「蛇喰夢子(じゃばみゆめこ)」が頭脳と勇気と少々の狂気を武器にして次々と奇想天外なギャンブルを勝ち進みながら生徒会長とその眷属たちに戦いを挑んでゆくという極めて明快にして痛快な学園内闘争アニメに仕上がっている。

 昭和のドラマならば学園内の揉め事は「ケンカ」でカタをつけるのが通例であったが、このアニメではカタをつける方法は「ギャンブル」なのである。なるほどこれが平成流の学園内闘争ドラマというわけだ。

  この『賭けグルイXX』の主人公である蛇喰夢子に対してわたしはある好感を抱いていた。
  
 わたし「この夢子という女、単なるバカではないな。・・・」

 通常、ギャンブルというものは享楽的心情の赴くままに「イチかバチか」の勝負に出るゲームである。
 しかしこの蛇喰夢子の場合はキッチリとした透徹した頭脳と洞察力で奇想天外なゲームに「勝つべくして勝って」いるのである。

 この夢子という主人公の生き方が現在のわたしの心情にぴったりと合致した。
 わたし「まさしくこれだ!!こういうふうに『勝つ』ものだ。人生というものは。」

 さてこのアニメ『賭けグルイ』の舞台&私立百花王学園は弱肉強食の原理原則で支配されている。
 これは21世紀の現代日本社会の見事に象徴的な暗喩となっている。

 2001年にスタートした小泉長期政権において今まで一億総中流という幸福型モデルの典型だった日本社会に「格差」という断裂が生まれた。
 さらに小泉政権に続く安倍政権は「格差」をさらに広げつつ「自己責任」という重荷を国民に背負わせようとしている。
 まさに「弱肉強食」、一歩間違えばホームレスへ転落!!・・・それが現代日本社会なのだ。
 
 『賭けグルイ』の舞台である私立百花王学園はそのまま現代日本社会の見事なまでの暗喩に他ならない。
 
 「勝たねば、、、勝たねば生き残れない!!」それが現代日本社会なのである。

  現代のわたしたちは夢子のような行動力、それを支えるだけの頭脳と勇気を身につけなければならない。
 
  わたしもまた生き延びるために「行動」する者でありたいと思う。
  最大の頭脳、そして勇気と120%の努力を駆使して、この荒波と化した現代日本社会に立ち向かうのだ。

  「行動する」とはすなわち「賭け」である。
  行動した結果は勝つのかもしれないし負けるかも知れない。しかしそれでもわたしたちはあえて「行動する」という「賭け」に打って出なければならない。
  たとえ負けたとしてもその失敗が突破口になって、新たな賭けに挑むことができるチャンスが巡ってくるだろう。
  そういう「賭け」の代価は自分の未来、方法は自分の120%の努力と頭脳、そして勇気だ。

 ここで注意すべきことはわたしは決して無謀なギャンブルに身をゆだねるように生きよ、と言っているのではない。
 そんなものは無知蒙昧な蛮勇あるいは単なるバカと言っておこう、わたしの最も嫌いなタイプの生き方である。
 さきほどわたしが言ったことを覚えておられるだろうか。
 賭け、あるいはゲームというのは「勝つべくして勝つもの」なのである。

 ここでわたしの好きな文章の一節を紹介しよう。
 世界的に有名な探検家&W・H・マレーの言葉である。

「全身全霊を捧げて取り組まないかぎり引き返すべきかという迷いが常につきまとうものだ。
貴方はここで行動を開始するにあたっての、ある基本的な真理を知るべきである。
もしこれを無視すれば数多のアイデアや計画が水泡に帰すだろう。
その真理とは全身全霊をささげて専念した瞬間に『神意』が働き出すということだ。
様々な夢にも思わなかった偶然や出会い、支援に恵まれるのである。」

 つまりこの文章でマレーが強調しているのは全知全霊で物事に取り組んだ暁には奇跡も起きるということだ。

 わたしたちはこの荒波のような人生というゲームの最中に奇跡を起こし、そして勝つべくして勝たなくてはならない。
 負けが連続すれば死&あるいはホームレス、なんというスリリングなゲームではないか。
 夢子ではないが「さあ!楽しみましょう!!」と叫び出してしまう。

 哲学の世界でも人間は「投企的存在」と定義されている(マルティン・ハイデッガー)。
 すなわち偶然が支配する可能性の未来へ向かってサイコロのように自分自身を「投げ入れる」。
 そういうものが「投企的存在」としての人間だと20世紀最大の哲学者&ハイデッカーは説く。
 
 「勝つ」、貴方がそのために出来ること、それは人生を戦士あるいは冒険家として生きるということである。
 
 まず今すぐに「行動」を起こせ、そして最良の「選択」をせよ、そして「勝つべくして勝て」。
 この三段階を包括する=それが人生という大いなる賭けに挑む、ということなのである。

 21世紀の日本は今後ますます荒波の激しさを増していくだろう。
 そういう暴風雨のような世界でもわたしたちは生き延びなくてはならない。
 「生きる」そのためには自分の人生を全知全霊の力でもって「賭ける」。
 
 それだけが光に満ち溢れる未来への唯一の脱出口なのである。
 
 
 蛇喰夢子「さあ!!賭けグルイましょう!!!」



 (了&合掌)
  

 

 (黒猫館&黒猫館館長)