構造主義への愛と憎しみ

レヴィ・ストロース追悼講演

 

(2009年11月13日)

 

 

 クロード・レヴィ・ストロースが死んだ。
 100歳。
 あまり馴染みの無かった思想家とはいえ、亡くなってしまったら、ご冥福を祈るしかない。
 合掌。

 さてレヴィ・ストロースといえばもともとは文化人類学者で「構造主義」の開祖と言われている。
 この「構造主義」なるものがわたしの学生時代は大流行した。浅田彰の『構造と力』を読んでいないと、哲学科の学生でなくてもみんなからバカにされたものだ。

 さてわたしはというとハッキリ言って構造主義には共鳴しない。わたしは根っからの「実存主義者」である。厳密に言うと、この「実存主義」なる用語はサルトルの造語なのでわたしはあまり使用したくない。
 正確に述べるならばわたしはアルベール・カミュの「反抗の哲学」の信奉者である。

 『弁証法的理性批判』を書いてマルキシズムに転向した時期のサルトルをわたしは評価しない。評価しないというより、もうこの時期にはサルトルと「実存主義」は終わっていたと思う。
 レヴィ・ストロースとの論争でサルトルが言い負かされたのは当然の理だ。

 わたしは最後までマルキシズムと敵対し続けたカミュを支持する。カミュ的な「反抗の精神」から見れば「構造主義」にもどこかマルキシズムのクサミがある。

 それは例えば人間を「個人」で捉えないで「人類」という「集団」で捉える考え方だ。
 わたしはあくまで「個人」を重視する。人間はひとりで生まれひとりで死んでゆく。ゆえに人間はいつも「孤独」である。このカミュのテーゼがわたしにはピッタリくる。

 「個人」を弁証法という渦の中に巻き込んでゆこうとするマルキシズムにはわたしはどこまでも反抗するだろう。
 もちろん「構造主義」に弁証法は存在しない。
 ただ「構造」の中に「個人」を還元してしまう、という考え方が嫌なのだ。人間の主体性など「構造」の中では抹消されてしまうではないか。

 とこのような考え方が学生時代のわたしの思想であった。

 最近のわたしの考えは学生時代からかなり違ってきている。
 例えば「自分の考え方」がワンパターンな「構造」に陥っていないかチェックするのに「構造主義」は役立つだろう。もしひとつの「構造」に陥っていたらそこから脱出する術を与えてくれるかもしれない。

 もっともここら辺になると「構造主義」より「ポスト構造主義」の範疇だろう。

 ポスト構造主義者、ミッシェル・フーコーが「神の死」に続く「人間の死」を唱えてからひさしい。もちろん人間の死とは主体性の死を意味する。

 しかしわたしたちの住む日本ではまだまだ「主体性」さえ獲得されていない面があるように思われる。「実存主義」「構造主義」をヨーロッパローカルの思想(レヴィ・ストロース流に言えば「野生の思考」)として終わらせないために、わたしたち日本人は「主体性の確立」&「主体性からの脱却」という二重の作業を行ってゆく必要があるだろう。
 ここら辺に現代の日本人が置かれた「生きづらさ」がある気がする。
 現代の日本人には「実存主義」&「構造主義」のどちらも必要だ、これがわたしの見解である。





 さて「実存主義」&「構造主義」に限らず優れた哲学・思想は考えるための訓練となる。考えるための訓練とは生き延びるための知恵の獲得であり、そして知恵とはすなわち権力者や傲慢な人間に「反抗」するための絶好の武器となりうる。

 わたしは「構造主義者」レヴィ・ストロースの死を知って学生時代の終わりから遠ざかってきた哲学をもう一度やりたくなってきた。読者諸氏も「より生きやすい」人生を求めるならば哲学をやってみてはどうか?とわたしは自信を持って勧めるものである。

 哲学とはなにも大げさな哲学書を読むことではない。「今日一日」をイライラしたりしないですこやかに過ごすにはどうしたら良いのか、これを考えるだけでも立派な「哲学」なのである。

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)