【西欧滞在日記 その52】帰国(伍)

 

 只今エールフランス航空はモンゴル上空を航空中。

 今回の西欧旅行もいよいよ本当の大詰。
 わたしの思考的総括もいよいよ結論に近づいた。

 さてわたしは今回の西欧旅行で一歩オトナに近づいた気がする。なぜだろう?・・・遠い過去からせり出してくる記憶。今はボンヤリとしか輪郭を留めていないひとりの生涯の親友の顔がモンゴルの夜空に映える。

 そう、あれはわたしが高校二年生の時だ。

 友だちがひとりもいなかった高校二年の春。昼休み。同じく友だちがひとりもいない「青山君(仮名)」がなぜかわたしの机に地理の教科書をポツリと置いた。そして日本地図を指差しながら、小さな小さな声でこう言ったのだ。

 「日本ってなんて小さいのだろう?・・・」

 わたしにはその時、青山君の言った言葉の意味が理解できなかった。しかし今ならありありと理解できる。

 彼は恐らく小さな小さな日本で偏差値がどうだの大学がどうだのと、小さく小さく蠢いている同級生たち「日本人」に嫌気がさしたのだったのだと思う。
 青山君はその後、刺身包丁で中学生を背中から刺して少年院に送致された。
 動機は謎であった。また彼とはその後一度も会っていない。
 わたしは青山君のように少年院に送致されることはなかったが、受験勉強のやりすぎで少々頭に異常をきたした。

 その時期の残滓は今でも多少残っている。
 「頭がおかしくなるまで勉強しなくちゃ、東京の私立には入れないぞ!!」
 担任の教師がヒステリックなカナキリ声で喚いていた。
 しかし今のわたしなら胸を張っていえる。

 「バカバカしい・・・」

 受験?
 偏差値?
 名門大学?
 大会社?
 エリートコース?
 そして最後は立派なお墓?・・・

 小さな。あまりにも小さな。ミジンコのフンのようにちっぽけな世界。

 しかし本当の世界は違う。
 あまりにも巨大である。
 そして島国・日本の常識など通用しない。

 常識を打ち破る。

 「日本に死ぬる他なし。」(塚本邦雄)

 そのような絶望の壁を打ち破る希望という名の拳を放て!

 放て!
 放て!!
 放て!!!

 そして、その壁の向こう側、翠成す大地でもう一度会おうよ。

 青山君。

 (Auf wider sehen!!) 

 お互いに十全に成長しきったオトナとして。

 今、旅は終わる。
 しかし新たな人生はこれから始まるのだ。
 旅の終焉ではない。「出発」だ。
 オトナの人生という新たな旅に向かって。

 エールフランス航空が成田空港へ滑走してゆく。
 人々がどやどやと飛行機から降り始める。
 深夜の成田空港はまるで日本という島国の闇を象徴しているかに見えた。

 

 わたしは飛行機から延びた移動式階段を降りて日本の地を踏んだ。
 旅立ち前よりも、一回り大きく成長して。
 今回のイタリア・フランス旅行はわたしを年齢ではない精神的なオトナへと成長させた。

 

 只今、
 帰国、
 完了。

 日本時間PM11時。

 

(黒猫館&黒猫館館長)