【西欧滞在日記 その43】最後の晩餐(壱)

 

 

 ルーブル美術館から出発するマイバス社のリムジンバスのエンジンがかかる。

 正直言ってわたしは今回のルーブル美術館見学には不満があった。
 たった三時間であの膨大なルーブル美術館収蔵作品を観られる筈はない。JTBのスケジュールには無理がある。・・・

 わたしがそのようにうじうじしていると、バスの一番前から吉永さんによるこれからの案内が聴こえてくる。

 「ハーィ!みなさん、お疲れさまでした!これからマイバス社の終点であるジャンヌダルク像前で降りて、ツアー最後の夕食に向かいます!約2時間で夕食を終えたら、ムーラン・ルージュ見学の方とホテル直行の方は分かれてもう一度バスに乗ります!明

日は帰国です!!くれぐれも悔いのないようにして行動してください!!」

 ムーラン・ルージュ(かってシュールレアリストや前衛芸術家が集まった伝統あるキャバレーであり、現在でも本場の「フレンチカンカン」を観ることが出来る)はわたしも見学したかったが、なにしろ持ち前のユーロがもう底をついている。残念ながらオプションであるムーラン・ルージュ見学は今回は見送らざるを得ない・・・わたしは悔しさを噛み締めた。そしていつかまたもう一度のパリへの来訪を決意した。

  

 

 四月のパリはPM9時まで明るい。夜7時だというのに白昼のような白夜に包まれているエッフェル塔。その脇をマイバス社のリムジンバスが走り抜けてゆく。
  一日だけの付き合いであったがわたしはパリという街がすっかり気にいった。伝統と近代が調和した美術の街、藝術の都、パリ!
 世界にはまだまだ未知の素晴らしい場所があるのだ。

 わたしはそういう場所を観るまでへこたれるわけにはいかない!
 なにかわたしの中で燃えるような決意がカタチ造られていた。
 その時はその決意がなんであるのか、まだわからなかったのであるが。

  

 ジャンヌ・ダルク像に到着すると、ツアー一行は最後の晩餐の舞台であるレストランに入ってゆく。
 この店での席は重要である。なるべく親しくなったメンバーのいる椅子に座らないとあとで後悔するかもしれぬ。

 幸いなことにわたしは宮崎老夫婦と中里カップルが一緒にいるテーブルに腰を下ろすことができた。まだ三席空いている。すると関西から来た若い女性ふたり組みがふたつの席を陣取った。残りは一席!実にわたしの目の前の席である。

 わたしはふと思った。

 吉永さんはどこに座るのであろう・・・?

 

(黒猫館&黒猫館館長)