旅の始まり

 

 

 

 海外旅行なんて絶対行かないと思っていた。
 20代の時期のわたしは。


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 西暦2007年冬。

 わたしは足しげく地元のJTB(旧日本交通公社)に通い、JTBのパンフレットを取り寄せて来春四月に予定している海外旅行の計画を練っていた。初めての海外旅行にふさわしい地はどこか。費用はどれくらいかかるのか。安全か。日数は?
 なぜそれほどまでに急いで海外旅行の計画を練り始めたのか。
 理由は簡単だ。
 「なるべく若いうちに海外に行っておきたい」と思ったからだ。頭の回転の柔らかい若いうちに。

 しかしわたしは大学の卒業旅行を自らの意志でキャンセルした経験を過去に持つ。さらに人生で一番多感な時期に海外に出ようとは全く思わなかった。


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 「蚕豆の束きずつけて夜の土間ににほう 日本に死ぬる他なし」
 「少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの円駆けぬけられぬ」


                             塚本邦雄『日本人霊歌』(四季書房)より引用。



 この二首の歌は二十代当時「自称・前衛歌人」を気取っていたわたしの愛唱歌であった。
 その当時のわたしはワープロで印刷した紙をホッチキスで止めて、私家版の歌集を作って友人に配ったりしていた短歌青年であった。そんなわたしが心酔していたのは、塚本邦雄、春日井建、寺山修司などのいわゆる「前衛歌人」であった。

 その中でも特に塚本邦雄の短歌にわたしは陶酔していた。
 塚本の短歌は非常にしばしば芸術至上主義・半自然・人口賛美・超絶技巧・書斎派・背徳・ニヒルなど、いかにも若者好みのキーワードで語られる。要するにわたしのような多少ひねくれた「自称・前衛歌人」にはうってつけのヒーローだったのだ。

 本当は塚本の第一歌集『水葬物語』(メトード社)が欲しいのだが、それほどのお金を持ち合わせていなかった20代のわたしはアルバイトで貯めた四万五千円をはたいて第三歌集『日本人霊歌』(四季書房)を買い求めると何度も何度も読み返した。
 その読書経験で一番気に入った歌が上記に抽出した二首なのである。

 この二首に多少の解説を加えてみよう。

 第一首目。
 「蚕豆の束きずつけて夜の土間」という箇所から醸しだされる後進国・日本への嫌悪。しかしその嫌悪をあえて受け入れて「日本に死ぬるほかなし」と歌を締めるかっこ良さにわたしはしびれた。この一首でわたしは「日本に死ぬる」=「運命愛」=「外国への永遠の憧憬」という方程式を築きあげた。要するにこの不愉快な日本社会に「あえて」留まること、それが「芸術家的・知識人的態度」である、とわたしは絶対の自信を持って認識した。
 第二首目において第一首目の「居心地の悪い・日本・受容」の思想のエキスが呈される。

 縄跳びの縄を回転させるのは少女自身である。その少女が自分の回す縄が造る円に封じられて永遠に縄跳びを続ける。
 これは不条理の歌である。そしてその不条理を支えるものは自己処罰の感情であるだろう。
 青年期の情感はしばしば性的欲求と結合してマゾヒズムとして現れる。
 そのようなわたしの抱え込んだ屈折したマゾヒズムがこの歌を欲求したと断言したら言いすぎであろうか。



 このような塚本短歌の影響でわたしは「この・不愉快な・日本」に永遠に留まることを決意した。





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 そして月日は流れた。
 巡り来る月日と共に本当に色々なことがあった。
 わたしもまた青年から壮年へと成長を遂げた。

 壮年期に入ったわたしには芸術至上主義など片腹痛く感じられるようになった。20代の時期に夢中になった塚本短歌を現在のわたしは「悪い」とは断言しない。しかし単調で苦々しい社会生活を5・7・5・7・7で表現するためには、塚本短歌はあまりにもデリケートで弱い。
 いつしかわたしは塚本邦雄よりもっと直裁に激情を迸らせるタイプの歌人である福島泰樹に魅せられていた。

 そしてそれと同時にわたしの外国観も変化を遂げた。
 「日本に死ぬる他なし」。現在のわたしはそうは思わない。
 田舎が嫌だったら都会へ出れば良いのだ。
 都会でも満足できなかったら外国へ出れば良いのだ。
 極めて単純な理屈であろう。

 そして「自己処罰」?・・・片腹痛い。
 むしろ他人を裁き、そして自己流に相手を処罰するような威厳をもたなくては、この荒れ狂う現代社会に生き延びることはできないだろう。

 「思想的後退」。
 そのように、わらいたい者はわらうが良い。
 わたしはあくまで図太く前へ進む。自分の幸福を自分で掴みとるために。
 そのための勉強として、ありとあらゆるものを自分の眼で観ておこう。「書斎」などという密室に籠もっていたのでは決して観ることのできないすべての世界の驚異を。

 「この・居心地の悪い・日本」をいったん出る。
 そして一回り大きくなった見聞に基づいて、もう一度考え直してみよう。
 40代・50代における自分の身の振り方を。
 
 わたしは外国へ出ることに固く決意した。





 西暦2008年3月上旬。
 JTBの相談員と入念に話合った上で、わたしは四月頭に「イタリア・フランス周遊10日間の旅」に出ることに決めた。

 さらばちっぽけな「青春」。
 そしてようこそ巨大な「世界」よ。

 しばし待て。
 すぐにわたしは出発する。

 

  

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)