【西欧紀行 その12】ベニスに死す(参)

 雨があがったサンマルコ広場。

 ツアー一行は上野公園に遠足に来た小学生のようにサンマルコ寺院から広場へ躍り出た。みな晴れたヴェネチアを観られる歓びを隠しきれない様子だ。


  


 わたしは中里カップルを写真に撮ってあげ、お礼に中里カップルに写真を撮ってもらった。関西から来た女性二人組がはしゃいでいる。宮里老夫婦も安心した様子だ。現地ガイドのクリスチーナさんだけはなぜか渋い顔を崩さなかった。


 添乗員の吉永さんもうれしそうに叫ぶ!

 「ハーィ♪みなさん!!晴れて良かったですね。これから昼食を食べて、午後からゴンドラ遊覧を楽しみます!!以上!」

 一行はぞろぞろとサンマルコ広場の片隅にあるレストランに入ってゆく。今までみた白人系のイタリア人とは異質な、背が低く肌の色が浅黒い東方系のイタリア人たちがわたしたちを出迎える。

 狭い席にツアー一行はぎゅうぎゅう詰めになりながら、まず飲み物を買う。飲み物はツアー料金には含まれないのだ。3ユーロ(約500円)だして赤ワインを注文するわたし。

 やがて料理が運ばれてくる。なんでもヴェネチア名物「イカスミのパスタ」であるそうだ。
 「イカスミ」というものに慣れてないわたしは、恐る恐る口にしてみたがこれが意外と旨い!するする口に入ってゆく。

  クリスチーナさんが持ち前の毒舌でイタリアの政治家たちの悪徳ぶりを暴露し始めた。クリスチーナさんのアクの強いキャラは、ツアー一行に気に入られたようだ。みんな苦笑しながら毒舌を聞いている。



その時。



 「きゅう〜・・・」と音が出そうなほど左下腹部が引きつった。わたしは思わず「キター!!」と心の中で叫んだ。本格的な下痢が食事をしたことで加速されたのだ。もう一刻の猶予もない!トイレに急がなくては!

 わたしは吉永さんの席に行くと吉永さんは顔色を変えて「それはいけません!」とわたしを店のトイレに案内してくれた。しかしなんと満室!行列ができている。西欧ではレストランのトイレは無料なので人が群がるのだ。
 吉永さんとわたしは有料トイレに急ぐべくレストランから出た。

 サンマルコ広場で鳩が餌をついばんでいる。

 日光に照らされた広場の建物が輝いて見える。

 わたしはふと吉永さんの顔を横から見た。意外と可愛い。イヤ!「意外と」などと言っては彼女に失礼だ。吉永さんは「元々可愛い」女性なのだ。

 

 やがてトイレに着く。わたしは用を足しながら吉永さんと一緒の写真を一枚も撮っていないことに気がついた。もしかして添乗員さんは、お客と一緒に写真を撮ってはいけないという規則があるのだろうか。

 わたしは吉永さんと一緒に写真に映りたい。

 なんという、「リトルロマンス」ならぬ「ヤングロマンス」!

 ヴェネチアという街は人をみなロマンチストに変えるのであろうか。
 それとも片思いとはいえ、わたしは恋人になったのであろうか。
 あのベローナのジュリエット像の御利益があって。

 トイレから出たわたしは吉永さんと合流するとレストランに向かって戻り始める。その時!

 「言うんだ!言うんだ!自分よ!!」という強い衝動が襲ってきた。ここで言わなかったら一生後悔するぞ!!


 「あの、吉永さん、写真撮ってくれませんか。・・・」

 本来ならば一緒に撮られたかったのであるが、周りに人がいないので、わたしひとりが撮ってもらうことになった。
 ヴェネチアの運河の前でわざと渋い顔を作ってカッコつけるわたし。そんな奇妙な人物を写真に撮る吉永さん。



  



 雨上がりのヴェネチアで片思いの突発カップルが写真を撮りあっている。それでもわたしはシアワセであった。
 
 たった一日。たった一時間。たった一瞬でも吉永さんと一緒にいられるなら!
 ヴェネチアの澄んだ空気が片思いの恋人たちを明るく包んだ。

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)