【西欧紀行 その11】ベニスに死す(弐)

   

 

 サンマルコ寺院にようやく入りだしたツアー一行。一行の面々は各自の傘を折りたたんでいる。

 するとサンマルコ寺院の入り口でなにやら渋い顔をした中年白人女性が立っている。最初はただのオバサンかと思ったら、接近したとたん「コンニチハー!!」と日本語を話したのでびっくりするツアー一行!

 吉永さんが説明する。彼女は「クリスチーナさん」といってこのヴェネチアを日本人に案内する役目を職業とする「現地ガイド」さんであるそうだ、一同大いに納得する。

 クリスチーナさんが先頭に立ってツアーを先導する。吉永さんは一行の末尾で「怪しい者」が出現しないか監視して周るとのこと。屈強の女性ふたりによる鉄壁のガードにツアー一行は安心した模様。

 サンマルコ寺院に入った瞬間、一同はどよめいた。凄い!!壁にも天井にも絵が描いている。いや描いてあるのではない。これはモザイク(非常に小さなタイルを組み合わせて図柄を構成する美術技法のひとつ)だ。
 クリスチーナさんの解説によるとサンマルコ寺院は東ローマ帝国の影響を強く受けたので「ビザンチン様式(トルコ風の美術様式)」で内・外装が統一されているという。一同は上野の美術館見学の小学生のように目を輝かせた。

 さらに次々と壮麗な絵画・モザイクが現れる。美術に疎いわたしでも十分に圧倒されるゴージャスな内装に一同は感服することしきりである。


  



と、サンマルコ寺院のかなり内部の一室でクリスチーナさんがなにかニヤニヤしている。「なにか?」と思って見てみるとなんとそこには「女性用貞操帯」が展示されていた。なんでも十字軍遠征の時に亭主が女房につけさせたものであるという。中里カップルが貞操帯を観てなにか小声で話し合っている。関西から来たという若い女性二人組はなぜかうれしそうだ。

 さらにその横には首輪や焼きごてやらの中世の拷問器具が置いてある。「鉄の処女(観音開きの器具で中に囚人を入れてドアを閉めると観音開きのドアの内側にびっしり生えている鉄のトゲが囚人に刺さるしくみになっている拷問器具の一種)」も置いてある。

 「をお!!」とわたしは興奮し始めた。こういうものには目のない人間なのだ。このわたしは。「さすがキリスト教圏は一味違うぜ!!」と感服しながら様々な拷問器具を観ていると、やがて狭い通路に差し掛かった。

 クリスチーナさんが言う。「ここは溜め息橋の内部です。」


  


 (↑外から見た溜め息橋↑)


 「溜め息橋」とはサンマルコの裁判所から牢獄へ通じる橋である。牢獄へ向かう囚人たちはこの橋の中から最後のヴェネチアを見て溜め息をついたから「溜め息橋」という名称がついたという。
 ちなににこの橋の下の運河で、ゴンドラに乗ってキスすると「永遠の愛」が保証されるという伝説もある。ロマンチックな伝説とは裏側に存在するなんとも凄惨な現実!

 一行はさらに奥へ進む。するとそこはもう「牢獄」である。トイレも水道もない殺風景な牢獄の内部には様々な呪詛の文句が書き込んである。



   



 おぉ!おまえは死の祠(ほこら)、絶望の柩(ひつぎ)よ!

 ちなみにこの牢獄はムッソリーニの独裁時代まで使用されていたいう。生生しい牢獄にわたしが興奮しているとやがて一同は外への出口に出た。

 クリスチーナさんが叫ぶ。「コレデオシマイデース!!」

 華麗な美術装飾より牢獄や拷問器具に興奮していたらあっという間に出口まで来てしまった。

 とその時、拷問器具の興奮で忘れていた左側下腹部が再び痛みだした。「ヤバイ・・・」今度こそ本格的な下痢か。わたしが蒼ざめているうちにも一行はどんどん出口から出てゆく。

 すると。

 雨があがっている!

 雲の合間から見え始めた日光がサンマルコ広場を照らし始めている。

 晴れたヴェネチアが観られるのだ!一行はみなウレシそうだ。

 しかしわたしは憂鬱であった。もしもこれから本格的な下痢に襲われたら・・・

 そうこうしているうちにも一行は昼食を撮るための食堂に向かってゆく。

 

  

(黒猫館&黒猫館館長)