【西欧滞在日記 その10】ベニスに死す(壱)

 

 

  

 水の都・ベニス。
イタリア語ではヴェネチアと言う。

 ヴェネチアは正確にはヴェネチア島と呼ばれるが、
正確には「島」ではなく水上に建造された人口都市である。

 いにしえの時代からこの人口都市は様々の人間たちにインスピレーション
を与えてきた。
 ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」あるいは「夏の嵐」。
 デビッド・リーンの「旅情」。
 あるいはジョージ・ロイ・ヒルの「リトル・ロマンス」。
 昨今の例では天野こずえ原作の漫画・アニメ「ARIA」。


 三島由紀夫はヴェネチアを訪れた際このように言ったという。

 「どんなことをしても訪れるべき土地である。こんな奇怪な町、独創的な町が、地上にまたあろうとは思われない。」


 そのように様々なロマン(物語)を旅人に連想させ、彼らは
みな、そのロマンの主人公になる。

 
 海に向かって開かれた都市の開放的な心地よさ。
 輝くモザイクでびっしりと覆われたサンマルコ寺院。
 都市を網の目のように走る大小さまざまな運河。




 大いなる水の都・ヴェネチア。
 わたしにとってのヴェネチアの物語もまた今始まる。・・・












※                ※               ※













 濃霧と霧雨の中を一艘のおんぼろモーターボートが行く。そのボートは昨日の宿泊地、メストレからヴェネチア本島に向かうツアー一行を乗せた20人乗り程度の中型ボートであった。

  

 吉永さんが相も変らぬ元気な声で一行に気合を入れる。

 「ハーィ!みなさん、おはようございます!今日は天気が良くないです!カバンから傘を出してくださーい!!」

 わたしはミラノ・ベローナの旅程で親しくなった中里カップル(仮名)、宮崎老夫婦(仮名)と今日の天気について話し合っていた。


 宮崎老夫婦「この天気じゃねえ・・・」
 中里カップル「ヴェネチアで雨に降られるとは(苦笑)」
 わたし「大丈夫ですよ。午後には晴れると思いますが。。。」

 晴れてもらわねば困る。
 雨では今回のツアーの「目玉」ヴェネチアが台無しではないか。


 やがてモーターボートがヴェネチア本島に到着する。一行がいそいそと降り始める。その瞬間わたしは鈍い腹痛を左腹下腹部に感じた。


 「ヤバイ・・・」下痢か。もし下痢を起こしたら観光どころではない。トイレの前にずっと突っ立っていなくてはならぬ。昨日のメストレのホテルのバスタブな中で微量に吸い込んだ水分がまずかったのか・・・?

 わたしが蒼ざめていると吉永さんが声をかける。「大丈夫ですか?」

 思いがけない吉永さんの優しい声に癒されながらあたふたと答えるわたし!

 「ええ・・・え、はい。大丈夫です。大丈夫ですよ。はは・・・」

  


 一行はやがてかの有名なサンマルコ広場に到着する。
 荘厳な建築物が乱立するサンマルコ広場で放心したように突っ立っているツアー一行。サンマルコ寺院にはすぐには入られないのだ。最低30分は待たねばならぬ。

  しかし濃霧のため視界が悪く、せっかくのサンマルコ広場の景観が良く見えない。宮崎老夫婦がまたため息をつく。「やっぱりこれじゃねえ・・・」

 やがて、サンマルコ寺院の司祭が重々しい銅鑼を打ち鳴らす。

 観光客たちがぞろぞろと動き出す。

 わたしたちツアー一行も期待と不安の入り混じった複雑な気分で、サンマルコ寺院内部に入ってゆく・・・

 

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)