種蒔く人

(講演日2008年3月18日)

 

(↑小牧近江色紙「種蒔く人」。小牧近江82歳。黒猫館蔵↑)

 

 朝。
 庭で鳴く雀の微かな声で目覚める朝。
 わたしは御先祖さまを拝むために「離れ」に行く。 「離れ」は御先祖さまをまつってあると同時にわ たしの書庫である。万巻の書に囲まれながら御先祖さまにわたしと世界人類の幸福を祈る。

 そして大きな窓に面したテェブルに座し、一杯の紅茶を飲む。(わたしはコオヒイがノドを通らない体質なのだ。)これから始まる一日を告げるさわやかな光が「離れ」全体を照らしている。わたしの左手には小さな色紙が額装されて飾られている。

 「種蒔く人 小牧近江 82歳」

 小牧近江が没したのは84歳である。実に死の二年前、しかしどこにもそんな暗いニュアンスは感 じられない字だ。一見、素朴にして朴訥だがその内には燃えるような闘志を感じさせる、そんな字 である。

 さて今日、「小牧近江」と言われてもピンとこないひとが多いだろう。しかし小牧近江はその盟友 ・金子洋文とともに国際的平和運動「クラルテ(光)」運動に共鳴し、雑誌『種蒔く人』を創刊した。
 また翻訳家としても有名、アンリ・バルビュス『地獄』、カサノヴァ『カサノヴァ情史』などの翻訳を手がける。
 余談であるが小牧近江が昭和32年澁澤龍彦と共にユーゴ・クラウス『かも猟』(村山書店)を翻訳していることはあまり知られていないが事実である。

 小牧近江は16歳で実家のある秋田市より渡欧、といっても現在のように飛行機で一日で到着、と いうわけではない。ウラジオストックから旧ソ連邦に入り、シベリア鉄道に乗って一ヶ月以上もかかってモスクワに到着、それからまた別の便に乗ってパリを目指したのだ。
 現在のお気楽な「留学」 とは全く違う苦難の旅であった。

 パリで小牧近江はアンリ・バルビュスと接触、反戦と平和を掲げる「クラルテ(光)」運動に賛同 し、生涯の使命へと目覚めてゆく。ちなみにアンリ・バルビュスはロマン・ロランと近い仲にあり、そのコンビは一世代あとのサルトルとカミュを思わせる。

 パリで学んだ小牧近江は日本へ帰国後、「クラルテ」運動を日本にも紹介するために盟友・金子洋文と共に秋田市土崎で「土崎版・種蒔く人」を創刊する。
 のちに東京へ拠点を移した「種蒔く人」であるが、この「土崎版・種蒔く人」は現存部数ゼロ、今日では復刻版でしかその内容を読むことはできない。

 さて「種蒔く人」という字が書かれた色紙を飾ったならばわたしもまた「種蒔く人」でなくてはならぬ。こんなことは当然のことだ。しかし「種蒔く人」とはなんという意味深い言葉であろうか。

 単に庭に植物の種を蒔く、これだけでも立派な「種蒔く人」である。その種がやがて芽をだし、成長し大輪の花を咲かせる。素晴らしいことではないか。
 また社会において小さな善意を振りまく、これもまた「種蒔く人」だ。例えば道に迷っている御老人に地図を書いて目的地を教えてやる、このぐらいのことでも、それを本当に実践したなら、そのひとはもう「種蒔く人」であろう。
 わたしも「種蒔く人」のはしくれとして、街で困っている人がいたらできるだけ助けるようにしている。

 さて「クラルテ」とは「光」を意味すると先述した。
 「光」は「闇」を切り裂くことのできる唯一の武器だ。人々を混迷させ、破滅の道へと煽動する「闇」、そんな「闇」に立ち向かう者こそ「クラルテ」の遺志を継ぐ者である。わたしもまた「光」でありたいと思う。アンリ・バルビュスや小牧近江のごとく。しかしわたしはまだまだ未熟だ 。社会的な影響力も皆無にひとしい。
 しかしだからと言って諦めてなにもしないのは「クラルテ」の主旨に反する行為だ。なぜなら「クラルテ」 とはもともと有名人や政治家のものではなく、名もない庶民のための運動であるからだ。

 だからわたしは今日も堂々と言おう。

 「わたしはあくまで光に賛同し、闇と戦う者である。」と。

 ふたたび朝。

 紅茶を飲み終えたわたしはそんなささやかな思索を終え紅茶のマグカップを置き、椅子から立ちあがり家族の待つ母屋へと向かう。

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)