ESSEY

この部屋にはミストレス・影姫のエッセイが収められています。 

(この部屋に収められたエッセイはSMプレイのマニュアルではありません。あくまで大人のファンタジーとしてお読みください。)

 

男性レズビアン
去勢願望
射精管理
剃髪儀式
尿道ファック
食糞
ニーチェの思想
奴隷への刺青
精神破壊
奴隷同士の闘争
ペニス改造
奴隷の衣装
奴隷食
new強制肥満化
     

 

 

 

男性レズビアン

 ゲイは男性同性愛者を指し、レズビアンは女性同性愛者を指す。これはもう常識だろうが、最近、米国で「男性レズビアン」なるものが流行しているという。これはいったいなにか?
 SMプレイの一種の「強制ホモ」というものがある。これはホモ傾向のないM男性同士にフェラチオやアナル・ファックを強制するものだ。「ノンケ」のM男性にはかなりつらいプレイであるという。このプレイを発展させたものが「男性レズビアン」であるらしい。
 まず2人のM男性を全裸にさせ、がっちりとした丈夫な貞操帯を装着させる。そのうえでこの2人を絡ませるのだ。男性はもともと性感帯がペニスに集中しているので、そこを封じられると強烈なもどかしさに襲われる。絡み合いのうちにこのふたりの男性はお互いの身体に噛み付きあったりするという。いわば強烈な性欲を暴力的行動で昇華しようとするわけだ。しかしそんな残酷な絡み合いが続くと、この二人の男性は段々、無我の境地に達し、強烈なオーガズムを得られるという。いわば射精とはまた違った経路でオーガズムに達するというわけだ。
 SMが精神的なものである以上、射精だけでしかオーガズムに達することのできない男奴隷を育ててはならない。そのためのトレーニングとして「男性レズビアン」は有効な調教方法といえるだろう。うちにいる双子の奴隷、優希と玲希にもこの男性レズビアンを近いうちに強制させてみようと思う。彼らがどう乱れるのか楽しみだ。

(2002年4月7日) 

 

 

去勢願望

 「私のペニスを切り取ってください」男奴隷たちは実にしばしばこういう願望を私に打ち明ける。いったいなぜ彼らはこういった願望を抱くのであろうか?
 男奴隷たちは一般的に<男らしい>と定義される世間の常識に従っているようにみえる。男奴隷たちは血と汗を流し、自らの筋肉を鍛え上げ、頭髪を短く刈り上げる。そうすることによって、長髪をなびかせ、華麗なコスチウムを身にまとうご主人様との差別化を企てているように思われる。
 しかしそれは男奴隷たちが向かう<最終目的>へ至るための手段でしかない。男奴隷たちは男らしさにこだわりながらも、実はそれが一気に破壊される瞬間を待ち望んでいるのだ。
 要するに貧相な男奴隷が去勢されるというのはあたりまえすぎるのだ。男らしい男が去勢の刑に処される。そのようなシチュエーションでなくてはつまらない。筋骨たくましい男が強制的に男性としての機能を剥奪される。そしてその男はグロテスクな男でも女でもないブヨブヨとした気味の悪い生物へと堕してゆくというわけだ。
 特に去勢手術は男の陰茎を切り取り、睾丸を残すというかたちで行うのがより面白い。そうすれば男は男性ホルモンの影響による強烈な射精欲求に襲われながら、しかも女性とのセックスはおろか、オナニーさえ不可能という極限の状態に落される。そんな男が生きてゆくためにはもはやご主人様の鞭だけが救抜の船となりうるのだ。燃え盛る炎に大量の水をかけるように男の性欲の炎に打ち落とされる激しい鞭の痛み、その痛みによって男は自分の性欲を中和しようと必死の努力を試みる。そうしているうちに男は鞭で打たれることがまるで自分のペニスを刺激されているような錯覚に陥っていくらしい。男の全身が一本のペニスとなるのだ。こうして鞭なくしては生きられない肉体へと男は改造されてゆく。
 去勢はかくのごとく単なるM男性を真の<奴隷>たらしめるのに有効な手段だろう。
 さてこの牢獄にいる13人の奴隷たち・・・誰を最初に去勢してやろうか?楽しみだ。ウフフ・・・。 

 

 

射精管理

 ミストレスは男奴隷の<全て>を支配しなくてはならない。いや<支配>では生ぬるい。男奴隷から<全て>を剥奪するのだ。すべての財産、権利、自由を剥奪する。すべてを剥奪されてこそ、男は自分が完全に<奴隷>の身に堕したことを感じるのだ。こうして、ミストレスと男奴隷の主従関係が結ばれてゆく。
 しかし男を奴隷とする最後のハードルがある。それは男の生理ともいえる「射精」だ。射精の自由を完全に男から奪い取らなくては、その男はまだ奴隷とは呼ばれない。
 しかし、言うはやすし、行うが難し、である。男の射精現象を完全にコントロールするにはその前段階にある程度の精神面での教育を男に施さなくてはならない。なぜなら「射精管理」はミストレスの側から強制するものではなく、男奴隷が自発的に管理を申し出るという形でスタートしなければ、「不可能」だからだ。いくら重厚な貞操帯を男に装着しても男の側で管理を受け入れるという姿勢がなっていないと全くナンセンスなのだ。マスターベーションの方法など100種類以上あるといっても過言ではない。いくら射精管理をミストレスの側から強制しても、男奴隷にその管理を受け入れるという貞順な心がなくては意味がないのだ。その意味で射精管理は男奴隷の調教メニューの中でも高度なものといえるだろう。男奴隷の精神が自分の欲望を抑制する・・・これは唯のマゾにはできない相談だ。男奴隷の側にとってもかなりつらい調教メニューであることはいうまでもない。
 しかしご褒美として、ミストレスから射精が許可された時の男奴隷の歓びたるや、凄まじいものがあるだろう・・・それこそ猿のように自分のペニスから何度も何度もスペルマを噴出させるに違いない。そして男奴隷は涙ながらに、射精の歓びをミストレスからの賜りものと認識することだろう。こうして男奴隷は「射精管理」によってより従順な奴隷として調教されてゆく・・・。
 ここにいる奴隷たちにもすべて私は射精管理を行っている。奴隷たちの苦しみと喜びをすべて掌握する者、そういう者こそ<ミストレス>の名にふさわしい。

 (2002年6月1日)

 

 

 

 剃髪儀式

 男奴隷が調教の前に自分の恥毛を剃る。これはあたりまえの話だ。奴隷が穢れた恥毛を生やしてミストレスの前にでるなどということは厳しい罰をもって望むべき不祥事なのだ。しかし恥毛以上により根本的に剃毛を強制すべき毛が奴隷の人体に存在する。それは頭髪だ。頭髪をつるつるに剃りあげること。これは恥毛を剃りあげる以上に重要な奴隷のたしなみだ。
 例えをあげよう。日本の僧侶は剃髪を義務づけられている。これはなぜか?それは僧侶が<仏>という神聖な存在に仕えるものだからだ。神聖な存在に仕えるには頭髪など邪魔なだけだ。故に僧侶は剃髪によって俗世間の垢を削ぎ落とす。
 またギリシア神話のサムソンとデリラの話も興味深い。怪力無双で鳴らしたサムソンがデリラによって髪を切られる。その瞬間、サムソンはその怪力を失ってしまうのだ。これは頭髪というものが古来より人間にとって「力」を象徴するものと考えられていたためであろう。
 男奴隷の剃髪には上記二つの意味が併用されている。一つ、ミストレスという神聖な存在に仕えるために俗世間から自分を断ち切るため。二つ、剃髪によってミストレスへの「完全な屈服」という意思表示をするためだ。
 男奴隷には過ぎた待遇であろうが、最初の剃髪は「儀式」としてミストレス自身の手によって行うのが望ましい。そのことがより一層、男奴隷にミストレスへの「屈服」を味あわせるからだ。二回目からは当然男奴隷に自分でやらせる。最終的には永久脱毛で二度と髪の生えない頭にしてやるのがいいだろう。

 髪の短い男には秘密がある。それは自己犠牲への憧憬であり、どうしようもない「悲劇的なもの」への憧れなのだ。長髪の「欠落態」としてのみ短髪は存在する。それ故、剃髪によってつるつるに剃りあげられた頭はすべてをある神聖な存在に捧げ尽くした悲劇的な美に満ち溢れている。

 (2002年6月28日)

 

 

 尿道ファック

 「男を犯す」にはどうしたらいいか?
 まず最も一般的な方法は男のアナルをバイブを突き刺す方法だろう。しかしこの方法ではバイブが男の前立腺を刺激して男が快感を味わってしまう。これでは陵辱どころかサービスになってしまう。ナンセンスだ。
 そこで考案されたのが「尿道ファック」というわけだ。これを実践する方法はまず男奴隷にペニスの勃起を命令する。ペニスが勃起して、完全に亀頭が露出する。赤子の唇のような尿道口が剥き出しになったところで、そこに綿棒を突き刺す。この時、男奴隷は悲鳴をあげるだろう。しかし無視してグイグイ突き刺してゆく。これを毎日続け、男が綿棒に慣れたところで、体温計→鉛筆と少しずつ太いものに取り替えてゆく。これが尿道拡張のトレーニングというわけだ。
 そして最終的にはミストレスの人差し指が挿入できるまで訓練を続ける。
 そしてここからが本番だ。ミストレスの人差し指が男のペニスに挿入された状態で、男にオナニーを命ずる。ミストレスの指をくわえ込んだまま、ひたすらペニスを擦る男奴隷・・・。そして絶頂が訪れる。精管から怒涛のように流れ出てくるスペルマ、しかしスペルマはミストレスの人差し指によってせき止められている。それでもスペルマはドクドクと脈打ちながら流れ出てくる。するとどうなるか?スペルマは尿道を逆流して膀胱へ「逆射精」されるのだ。これは男が失神するほどの強烈な痛みが伴うという。膀胱へ射精される痛みを味わいながら男は自分が「犯されている」ことを痛烈に感じるだろう。しかも自分のスペルマによって。なんという愉快な皮肉ではないか?

 強姦された女性の痛み、単に肉体的な痛みではなく精神的なレベルの痛み・・・まで男に思い知らせる方法として「尿道ファック」は有効な方法だろう。強姦犯人にはこの尿道ファックをもって刑としてもらいたい。そう私は考えている。
  

 (2002年7月18日)

 

食糞

  男奴隷たちはそのほとんどがミストレスの大便を食べてみたいという願望を持っている。しかしこの願望はスカトロジストたちが女性の大便を嬉々として食べる現象とは全く異なる。スカトロジストたちの願望はフェチの一形態であり全く異なる現象である。しかし男奴隷がミストレスの大便を食したいと願う時、そこには圧倒的なまでの自己陵辱への憧憬が満ち溢れている。
 その証拠に男奴隷たちはミストレスの大便を食べる行為を「黄金拝受」だの「人間便器」だのと大袈裟な言葉で修飾する。前者の言葉はミストレスを神聖化するのに対し、後者の言葉は自己卑下の要素を多分に含んでいる。しかしどちらも要点は一つ、単なる食糞を文学的なレトリックで荘厳しようとする男奴隷の哀しいまでのロマンチズムだ。
 しかし言うは易し、行うは難し、である。元来スカトロジストではない男奴隷たちが食糞するのは非常に困難だ。まずほとんどの奴隷が便を口に入れた瞬間に吐き出してしまうか、飲み込んだとしても嘔吐してしまうかのどちらかだ。これは奴隷たちの「身体」が「大便」という異物を拒否しているからだ。しかし奴隷たちはそれでも食糞しようと努力する。ここら辺に私は男奴隷たちがいかに観念だけに先走った夢想家であるかを見る気持ちがする。
 そんな男奴隷たちの滑稽な努力を手助けしてやるのがミストレスの役目というものであろう。まず男に大便を強制的に食べさせる方法として考えられるのが「開口器」としての役目を果たす「轡」を男奴隷の口にがっちり挿入する。そして口を閉められない状態の奴隷の口に便を排泄するのだ。これでも食べられない情けない奴隷に対してはその状態で鼻をつまんでやるといい。そうすれば呼吸の関係で口内の便が自動的に嚥下される。もし嘔吐したとしてもその嘔吐物をもう一度、男の口に注いでやればいいだけの話だ。最終的に何度嘔吐しようが完全に男の胃に収まるまでこれを繰り返す。10回もこれを繰り返せば完全に便は男の胃に収まることだろう。
 こうして無理やりでも食糞の習慣を男の身体に叩き込む。そうすれば自然と食糞しても嘔吐しない文字どうりの「人間便器」が出来上がるだろう。

 「食糞」という行為は男奴隷の側からは間接的ながらもミストレスの身体と接触できる唯一の行為であり、ミストレスの側からは男に自分を「便器と同等程度の物体」という教訓を教え込む行為であろう。そういう意味からも「食糞」は極めて能率的な調教メニューであると言える。
  

(2002年9月16日)

  

 

 

ニーチェの思想

 私が19世紀で最も偉大な哲学者と考えている、フリードリッヒ・ニーチェはその晩年の主著『善悪の彼岸』のなかでつぎのように述べている。

 「およそ人間という型を高めることが、これまでの貴族社会の仕事であった。これからもつねにそうであろう。こういう社会は、人間と人間のあいだの位階と価値表の長い階梯を信じ、なんらかの形での奴隷制度を必要とする。身分の差別がこりかたまって、支配階級が不断に隷従者や道具を眺め渡し見下し、かくてまた不断に双方の間で服従と命令、抑圧と敬遠が行われることから生じるような<距離の激情(パトス)>がなかったならば、あの別のより秘密に充ちた激情も決して生まれなかったであろう。」フリードリッヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』信太正三訳・ちくま学芸文庫版301pより)

 この引用部分でニーチェは奴隷制度の必要性を強調している。上位の人間と下位の人間の間に聳え立つ厳しい「価値の高低」こういったものがなくては、優れた<個人>を産出することはできない、これがこの引用部分におけるニーチェの思想の要諦だろう。
 この牢獄に当てはめていえば「上位の人間」とはミストレスを意味し、「下位の人間」とは男奴隷を意味する。ミストレスと男奴隷の間の絶対的な断絶、あるいは両者が「隔てられている」という感じ、これこそが逆説的な秘儀としての私の考える「愛」である。この「愛」こそがニーチェの考えた「別のより秘密に充ちた激情」の正体である。
 男奴隷が自分とミストレスの間に深い断絶を見るときそこに、ロマンチズム、そしてその「エキス」としての「マゾヒズム」が生まれるのだ。それはあたかも冒険者がより苦難を望む・・・そしてその苦難によってますます冒険に対する「ロマン」が深まっていく現象と似ている
 こう考えればすべての「男」はマゾヒストであるという説にも納得がいこう。マゾヒズムとはロマンチズムの謂いであるのだから。
 最後にニーチェ自身がマゾヒストであったという事実を付け加えておこう。「女のところに行く時は鞭を忘れるな」これはニーチェの有名な格言であるが、この言葉の意味することは「女を鞭打つ」ことではない。「女に鞭打ってもらう」そのために「鞭を忘れて」はならないのだ。その証拠にニーチェの生涯で唯一の「恋人」といえる女性ルウ・ザロメとニーチェが一緒に写っている写真ではルウのほうが鞭を持っているではないか?
 すべて偉大な男はマゾヒストである。そんな男たちに受苦の歓びを与えてやるのがミストレスの役目なのだ。

 (2002年10月13日)

 

 

 

奴隷への刺青

  ミストレスが男奴隷の皮膚に刺青を入れる。これは男奴隷がミストレスの所有物であることを示すためのものであることはいうまでもない。しかし「DS」(ドミネーションーサブミッション)の関係においては刺青はもっと深い意味を持つ。
 江戸時代、刺青は「入墨」(ほりもの)と呼ばれ、刑罰の一種であった。明治時代になってから「入墨」は「刺青」つまり身体装飾の意味を含意するようになる。奴隷への刺青はこの二つのニュアンスを兼ねるものでなくてはならない。まず「刑罰」として奴隷の肌に針を入れる行為、これは人間から「奴隷」という最下等の生物に貶めるための「見せしめ」としての意味を持つ。次に「身体装飾」として奴隷の肌に針を入れる行為、これは奴隷以前の問題として、選ばれた性癖者としての「素質」の所有者であるマゾヒストに対する賞賛の意味を持つ。要するに奴隷への刺青は飴と鞭の二つの意味を兼ねていると言ってよかろう。

 さて具体的な話に移る。まず刺青の図案であるが最も簡単なのが「M」・「SLAVE」といった文字であろう。「M」という文字を入れる場合は奴隷の上腕外側下部がふさわしい。夏場になれば半袖になるので街中で一般人に見られる箇所である。勘の鋭い人物なら「M」というアルファベットが「マゾヒスト」の略であることぐらいはすぐわかるだろう。これは一種の羞恥責めにもなるので男奴隷の初歩的な刺青としては大いにお薦めできる。次に「SLAVE」という文字であるがこれは男奴隷の大胸筋上部に彫るのがふさわしい。逞しい大胸筋に映える「SLAVE」の文字、これは奴隷をさらに奴隷たらしめるほどに美しく効果的な刺青だ。

 さてミストレスの中には奴隷の下腹部、つまりペニスの上部に「○○様専用性欲処理奴隷」といった文字を大きく入れさせる者もいるが、わたしはこのような刺青は下品に感じるので入れさせることはない。懲罰として入れるのならそのような文字でも良いのかもしれないが。最も懲罰としてなら奴隷の額部分に「犬」・「狗」といった文字を入れるほうが効果的だろう。顔面とは人体のなかでもっとも目立つ場所であるからだ。

 男奴隷の肌に無数に刺されてゆく針、噴き出す血糊、そして刻まれてゆく奴隷としての烙印、・・・この過程にはミストレスと男奴隷が共有できるある種の艶かしいエロチシズムが含まれている。

 

(2004年10月17日)

 

 

 

精神破壊

 奴隷の調教メニューの中でも「精神破壊」はミストレスの側に高度な知性とテクニックが要求されるメニューである。しかしその奴隷の精神破壊に成功したらその奴隷は一生ミストレスの従順な犬としての生活を自ら求めることになるだろう。
  精神破壊は言葉責めと肉体責めの複合された技術である。しかもどちらかを出すタイミングが重要なのだ。まず精神破壊を行う男奴隷を全裸にしてミストレスの足下に跪かせる。この時、奴隷に「ミストレスの眼から自分の眼をそらすな」と命令することが重要である。その上でその奴隷の肉体的欠点、(短足、醜形、禿頭、包茎、肥満、痩せ、等)について粘着質に罵倒する。一連の罵倒が終わったらその奴隷が自分のどこを一番気にしているのか?をすばやく見抜かねばならない。そしてその奴隷の一番気にしている肉体的欠陥を徹底的に貶めていく。この時、ビンタ、顔面への唾の吐きかけなど小出しにできる肉体責めは要所、要所でこまめに行うこと。これにより言葉責めの威力は倍増する。
 さてこのような言葉責めが終わった頃には男奴隷の眼を良くみてみることだ。うっすらと男奴隷の双眼に涙が滲んでいるのがわかる。これは男奴隷の精神が揺らぎ始めた証拠だ。
 次に今度はその奴隷の精神面についての言葉責めを行う。すなわちIQの低さ、低学歴、ノロマ、仕事ができない、臆病、寂しがり、等の欠点を徹底的に罵倒していく。これは極めて粘着質に繰り返し行わなくては効果はない。そして男奴隷を「自分は最低の男だ」という境地まで追い込んでいくのだ。もちろんここまで男奴隷を追い込んでいくにはミストレスの側が高等な言語テクニックを操ることができなければ無理な話だ。
 さてここまでくると男奴隷の精神はズタズタになっていると言ってよかろう。換言すれば自我にひびが入り始めているのだ。そのひびが最も大きいと思われる場所、すなわちその男奴隷の最大の弱点を徹底的に言葉で攻撃する。この時は鞭打ち、乳首ピアス貫通、顔面への蹴り、などハードな肉体責めも併用しなければならない。・・・といきなり男奴隷の顔がくしゃくしゃに歪み始める。自我が崩壊を始めたのだ。そして次の瞬間、男奴隷はまるで産まれ立ての赤ん坊のごとく号泣を始めることだろう。この号泣は長ければ一時間以上続くことがある。この号泣は男奴隷の自我が裸になっていく証拠だ。号泣が収まった頃、ミストレスは男奴隷をあくまでやさしく抱きしめねばならない。この時、男奴隷はミストレスを第二の母親と思うことだろう。それはあたかも産まれたばかりの雛が最初に見たものを親と思うがごとくだ。
 このようにして精神破壊は成功する。男奴隷の精神は白紙に戻されたといってよい。その白紙にミストレスは自分の望むすべてを書き込んでゆく。このようにして男奴隷は正真正銘の生涯奴隷として生まれ変わるのだ。

 さて精神破壊のテクニックについては以上だがこれを行うのは相当難しいと考えたほうがよかろう。奴隷調教のなかでも最高等のテクニックが要求される高度な調教だ。しかし男を本当の奴隷として跪かせたかったら一度は行わなくてはならない。そういう調教である。

 

 

  

奴隷同士の闘争

  誤解を恐れずに言えばプロボクサーはマゾヒストである。プロボクサーは「殴る-殴られる」という相手との関係にホモセクシャルのニュアンスの強いエロティシズムを感じ取っている。そして彼らが本当に欲していることは実は勝つことよりも「負ける」ことなのだ。強烈なストレートを顔面にあび、鼻や歯を叩き折られ、無様にマットに横たわる姿、これは勝利の美酒にも勝るある種のエレガンスをたたえている。またボクサーに限らず、プロレスラー、ムエタイ選手、K1、ブライド等、ほとんどの格闘技の実践者たちが試合の時に肌を見せる(裸に近い格好になる)のは闘争の持つエロティシズムをより強調するために他ならない。

 さて男奴隷たちを競わせる、戦わせるのも十分にSMショーの見世物になるだけではなく、ミストレスへの絶対的忠誠への試金石ともなる重要な調教メニューだ。ミストレスのために相手の奴隷と殴りあい、血を流す奴隷たち、その姿はあまりに美しい。

 一番簡単で手っ取り早い奴隷同士の闘争は全裸にした男奴隷二人の硬直しきったペニスに紐も結びつけて「綱引き」をさせることだろう。これは悲壮美というより滑稽な余興として楽しめる淫乱芸だ。SMショーの前座としては調度良い見世物だろう。

 しかし本当に奴隷同士の真剣な闘争を観たければ、まず男奴隷二人を全裸にさせ、「金蹴り、目潰し、なんでもあり」の文字どうりの時間無制限のケンカをさせることだろう。そしてケンカの勝者にはミストレスからのご褒美、そして敗者には残忍な懲罰、奴隷より下位の人間便器への降格がそれぞれ与えられる。これによってケンカにはますます真剣味が加わってゆくというわけだ。

 そして始まる奴隷同士の陰惨なケンカ。これはSMショーの最大の余興となる。金網を用意してその中で闘わせるのも面白いし、二人の奴隷の腕の手枷を嵌めこみ、その手枷を鎖で繋ぐ「チェーン・デスマッチ」にするのも面白い。流血の果てに勝者が決まったら、真っ赤に焼いた円上の焼きごてに金粉をまぶしたものを奴隷の胸に押し付ける。正に奴隷にはふさわしい金メダルというわけだ。そして敗者にはもちろん人間便器としての残酷な運命が待っていることはいうまでもない。

 古代ローマの時代から闘技は奴隷の仕事だった。近年封切られたヒット映画『グラディエイター』を観てもそのことは当然の事実であろう。故に現代の奴隷に闘技の仕事を与えることも奴隷をさらに奴隷たらしめる重要な調教メニューである。

  (2002年10月24日)

  

 

 

ペニス改造

  奴隷にとってペニスとはなんなのか?もちろんそれは「生殖器」ではない。奴隷は生涯性交禁止を命じられた存在であるからだ。とするとやはり奴隷にとってのペニスとは見世物・玩具としての意味しかもたないことは当然だ。

 まず男奴隷のパイプカット手術、これは必須だろう。男奴隷に子供など必要無い。それどころか淫乱なマゾの血を後世に伝えるのは道義上よろしくないのは確かだ。それ故、男奴隷には回復手術不可能な完全なパイプカット手術、あるいは睾丸の摘出を義務付けるのは当然だろう。

 そして次にいよいよ奴隷のペニス改造に移る。陰茎増大術が一部の整形外科で行われていることはいまさら説明する必要のない事実だろう。男奴隷にはこの陰茎増大術のリミットまで施術する。男奴隷のペニスの根本をメスで切る。そこにあるのが「陰茎基部」だ。この「陰茎基部」は体内に奥深く埋もれているのでうまく引き出せばペニスの長さを5センチほど長くすることができる。次に太さの問題だが奴隷自身の尻の脂肪を摂取し、亀頭部分に注射する。これによって見事なエラの張った文字どうり「異形のペニス」ができあがるというわけだ。正に奴隷の肉体は「素材」だ。この「素材」をどう改造するかがミストレスの腕の見せ所といってよかろう。

 さてこのようなペニス改造によって巨大なペニスを所有することになった奴隷にはSMショー出演で見世物にしてやるのがふさわしい。異常なまでに巨大なペニスは観客の嘲笑を買うだろう。しかしマゾヒストとしての男奴隷には嘲笑こそが最大の賛美なのだ。男奴隷が興奮しだしたら、今度はオナニーショーの開始だ。巨大なペニスに必死に擦る奴隷、そして噴出する白濁。この瞬間が奴隷にとって最高の歓喜の瞬間であることはいうまでもない。

 ペニス改造によって異形のペニスを所有することになった奴隷、そして24時間永久勃起状態持続調教。これによって男奴隷は人間からますます「ケダモノ」へと堕してゆくことだろう。完全に「ケダモノ」に堕した奴隷を飼育するか賭殺するか?それはミストレスの気まぐれで決まる程度の問題でしかない。

 

(2004年10月25日)

  

  

 

 

奴隷の衣装

  「奴隷の衣装は全裸」、「奴隷に下着は必要ない」。ミストレスのなかにはこのような持論を持っている者が沢山いる。しかし調教中の奴隷の汚らわしいペニスはわたしにとっては眼の毒でしかない。それ故、わたしは男奴隷に下着の着用を厳しく命ずる。さて一般的には男奴隷の調教中の衣装といえば「黒ビキニ」であろう。素材は大抵布である。しかし奴隷ごときに布の感触は優しすぎる。もっと厳しく締め付けるような素材でなくては駄目だ。まず「レザー」、これは奴隷には高級すぎる。そこで登場するのが「ラバー」というわけだ。あのタイヤのような下品な感触は正に奴隷にふさわしい。さてSMショップではビキニのペニスの部分だけ丸くくり抜かれたものが沢山売っているがわたしはあのような下品なコスチュームは好まない。奴隷にふさわしい衣装とは「黒のラバービキニ」これがわたしの持論だ。
 さて男奴隷のビキニはなぜいつも「黒」なのであろうか。ここにマゾの男たちの秘密が隠されている。「黒」とは「厳粛」を意味する色だ。男奴隷たちは死に物狂いでミストレスの責めを受ける自分の姿を荘厳することを願っている。要するに「黒のビキニ」は男奴隷たちの「真剣さ」をミストレスに証する暗号なのだ。そしてもうひとつ。黒は「絶望」の色である。自分がいかに努力しようとミストレスと下賎な奴隷である自分が結ばれることなどありえない。その絶望を奴隷は「黒のビキニ」で表現している。願わくばその「絶望」をミストレスに感じとってもらえることを哀願しながら。
 「黒のビキニ」、この一見SMの世界では普通になってしまったアイテムにはまだまだ深い秘密が隠されている。

 (2005年9月10日)

 

 

 

 

奴隷食

 「食欲」「性欲」「排泄欲」「睡眠欲」この四つの欲が人間の生理においての「四大欲」と言われている。そして四大欲のなかでも一番重要なのが「食欲」であろう。食を断たれたならばその者は死ぬ。当然の話だ。
 さてミストレスは奴隷の「すべて」をコントロールしなくてはならない。故に奴隷の「食」のコントロールもミストレスにとって重要な仕事だ。
 さてもし奴隷を家事に使用する目的であったなら奴隷にはそれなりの食物を与えなくてはならない。なぜならば粗末な食事を与えられた奴隷の舌はやせ細る。奴隷が自分の舌で美味というものを感じ取っていなければミストレスに高級な料理を作って提供することはできない。
 しかし奴隷を家事に使用する目的がないのであれば話は違う。奴隷の「食」もまた調教メニューに組み込まれる。まず最も一般的な奴隷の食事はミストレスのテーブルの下に正座させミストレスの食べ残しを与える方法だ。この時、「食べろ」「止め」の命令は的確に行わなくてはならない。また当然のごとく奴隷に食器は必要ない。四つんばいで犬のように手を使わずに食べさせるのだ。時にはミストレスが奴隷の食事をヒールで踏み潰してやると良い。みじめに踏み潰された自分の食事をみて男奴隷は自分の卑しい身分を痛感しながらすすり泣くだろう。
 さて奴隷にはもっと面白い食の実験がある。それは自分の糞尿を食べさせるのだ。そして排泄された糞尿をまた奴隷に食べさせる。人体は永久機関たりうるか?を示す実験として奴隷の肉体は絶好の素材だ。
 「食」を掌握された奴隷は餓死の恐怖に打ち震える。それ故、奴隷を従順に調教する方法として「食」のコントロールは重要な調教メニューであるといえる。 

 

 

 

強制肥満化

 ガチョウは中華料理の一種である「北京ダック」にされるため、生まれた時から顔だけ出して身体を地中に埋められる。そして漏斗で無理やり餌を体内に流し込まれる。こうして「北京ダック」にふさわしい肥え太った「素材」が生成されてゆく。
 このような無理やりに体重を増して太らせようという試みを男奴隷に対して行うものが「強制肥満化」である。
 まず男を犬用の檻に入れる。もちろん一切運動させず、ひたすら高カロリー・高タンパクな餌を与える。具体的には「牛肉」・「豚肉」・「菓子類」などである。こういう餌ばかり与えられていれば男は徐々に太りだす。まず腹がポッコリと出てくる。次に顔がムーンフェイス(丸顔)となってくる。こうなってくると男が食事に対して拒否反応を示す場合もある。そうなったら二、三人で男を押さえつけ、無理やり鉄製の頑丈な喚口具を男の顔面に装着する。ついでに手枷・足枷で全身を拘束しても良い。そして再び与えられる高タンパクの食事。こうして男はますます肥え太ってゆく。

 高度に文明化されたアメリカや日本のような国では痩身こそ、その人間の身体的ステータスを決定する。それ故に強制肥満化によってブヨブヨに太らせられた男は社会的対面を失う。もはや他の女には気持ち悪がられ、他の男たちからは無能者として嘲られる。そんな哀れな「肉の塊」を強制的に製造することこそ「強制肥満化」の目的である。
 ミストレスが太った男奴隷に飽きたら今度は「強制エクササイズ」で痩身化を計る。汗をだらだらに流しながら男は必死でエクササイズに励むであろう。そして痩身化が成功したらまた肥満化を行う。つまりこの調教には「終わり」というものはないのだ。

 強制的にブヨブヨに太らされる、これは筋肉質の男や顔立ちの整った男には特に効果のある精神的ダメージを与えることができる調教だ。要するに「強制的に醜くされる。」美形の男にとってこれ以上の恐怖はあるまい。

 強制肥満化のよって醜く変わり果てた男をさらに飼育するか、廃棄物として処分するか、そんなことはミストレスの気まぐれで決まる程度の問題でしかない。

 

(C)影姫&黒猫館館長&黒猫館