ゴオマ、暁に死す

 

「凡例・作中の日本語は、グロンギ語を著者が独自の解釈で日本語に翻訳したものです。」

(黒猫館館長・作)

 

 「ドスッ!」

 場所は場末の廃工場、時間は午後五時、鈍い激突音が鳴り響いた。
たちまちゴオマは10メートル以上殴り飛ばされて廃工場の壁に激突した。腹を打ったのかゲボッとゴオマが血を吐いた。
 ゴ集団でも屈指の猛者、ガドルの怒りの鉄拳がゴオマの顔面にヒットしたのだ。
 その光景をバルバ、通称「薔薇のタトゥの女」はいつもと変わらぬ冷ややかな目つきで眺めていた。

 傷つき、ボロボロになったゴオマがなおも立ち上がろうとする。黒いタンクトップの肩紐の一方が切れて胸がむき出しになった無様な格好であった。

 ガドルはゆっくりとした口調でバルバに尋ねた。
 「どうします?バルバ。この卑しき「ズ」の生き残りを今ここで粛清しますか?」
 「止めておけ、ガドル。おまえほどの男がこの程度の者のために手を汚すことはあるまい。」

 ゴオマはバルバの屈辱的な台詞を聞き逃さなかった。自分は対等に相手にさえしてもらえない程度のゴミ虫なのか。その思いにとらわれた時、ゴオマはいつのまにか泣いていた。その泣き声がいつしか号泣となり、さらに慟哭と変わっていった。「ゥ、ウ。ウグ・・・グワーーーー!!」ゴオマの慟哭が夕暮れの廃工場にいつまでもこだましていた。
 ゴオマの慟哭が響く廃工場から、バルバとガドルはすべてを無視するかのように去っていった。

 やがて夜が来た。
 ゴオマは廃工場の砂の上でいつまでも寝そべっていた。さまざまな忌まわしい記憶がゴオマの脳裏に舞い戻ってきた。ゴオマは自分の頭を押さえながら苦悩していた。

 「俺は、俺は、・・・いつも負け犬だった。いや、負け犬以下だ。いつも「メ」や「ゴ」、だけではなく「ズ」の連中にまでぶちのめされ、嘲られ、地面を惨めに這い回る日々、いつもそうだった。いつも、、、その程度の男か。俺は・くくく・・・」。マゾヒスティックで自嘲的な笑いをこぼすゴオマ。

 しかしゴオマはその時、自分の中にある不思議な感情に目覚めた。
 いつも足蹴にされぶちのめされてもバルバのされた時だけはなにかが違ったということを。それは生まれて初めて味合う不思議にあまやかな感情であった。

 「な、なんだ。これは一体なんだ、なにを感じているのだ、俺は、バルバに対して何を感じているのだ!?」砂の上のゴオマが自問自答する。しかしいつまでたっても答は得られなかった。

 「バルバ、バルバ・・・ウオ、、、ぐるるる・・・」ゴオマはうなりながら立ち上がるとバルバが去っていった方向に歩き始めた。とにかくバルバに近づきたい、いやそれどころかバルバを俺のものにしたい、、、ゴオマは廃工場から出た。しかしバルバを自分のものにするにはどうしたら良いのだ?ゴオマはひたすら歩いた。山だ、山へ行くのだ。なぜかゴウマには自分が山へ入らねばならぬように感じられた。

 その瞬間、ゴオマの脳裏にひらめくある思念があった。その思念は叙叙にもやもやした感情から立体的な像へと結合し始めた。まばゆいまでに白き者、グロンギの神。その名は、、、
 「ダ、、、ダグバ。」
 ダグバだ。ダグバを倒すのだ。すべてのグロンギの頂点に立つダグバを倒せば、バルバを俺のものにできる。ゴオマはさらに鬱蒼とした闇の森を中へ中へと歩を進めた。
 「ダグバ・・・出て来い。。。」闇の中を乱反射するかっての記憶の映像。その映像に映し出された屈辱の日々。そしてその屈辱の底からせりあがってくるものがあった。

 初めは「怒り」と思った。
 次にそれは「願い」に変化した。
 最後にそれは「誓い」へと結実した。

 ・・・俺はバルバをさらってゆく。激しく燃えるオスの本能のままにバルバという女を略奪するのだ。その瞬間、ゴオマの眼の前が光った。
 ゴオマが唸る。「ダ、、、ダグバ、、、ゥおぐるるる、、、・・・」

 「勇者、ズ・ゴオマ・グ、よくぞわたしの許(もと)まで辿りついた。その勇気大いに褒めてやろう。そしてその勇気を称えてわたしはおまえの挑戦を受ける。さあ、こい。ズ・ゴオマ・グよ。こい。」

 次の瞬間まばゆい光球の中でゴオマとダグバは切り結んでいた。



 静寂。
 闇。
 木々のざわめき。

 バルバは眼の前の山から立ち上った光が空へ向かって登ってゆくのを見届けてからガドルに言う。
「ガドル、お下がりなさい。わたしは山に入ります。」
 「バルバ、危険です。あの山には、、、」ガドルがたしなめる。
 「重ねて言います。ガドル、お下がりなさい。」
 「ハッ、、・・」さすがのガドルもバルバの気迫に押し切られた。
バルバは山へ入ってゆく。その姿を見つめながらガドルはいつまでも立ち尽くしていた。
 


              ※                    ※


 ゴオマは夢を見ていた。バルバを横抱きにして古代の岩と砂ばかりの荒野(あれの)を疾走する自分。俺はグロンギの長(おさ)だ!もう誰も俺にかなうものなどいない!
 光、光、光、、乱反射する光の洪水、しかし次の瞬間に突然に闇がきた。

 「俺は負けたのか。ダグバに。」ボロボロになった自分の四肢を見ながらゴオマは自分を嘲(わら)った。結局は負け犬として終わる自分の運命を。いじめられいじめられ、最後はごみのように野たれ死んでゆく。これが俺にふさわしい定めだ。

 しかし闇がとつぜんに白い光によってさえぎられた。ダグバのはねかえすような光沢のある白ではない。もっと落ち着いて優しい、すべてを包み込むような白であった。
 白い服を着たバルバがいる。
 バルバは傷つき寝そべっているゴオマの頭を抱きかかえると音もなくそっとくちづけした。ゴオマの双眼から透明な涙が滴り落ちる。

 ・・・バルバが口を離した時にはすでにゴオマは息絶えていた。バルバは立ち上がると手の平の奥から一本の薔薇を取り出した。かってゴオマであった死体の黒いタンクトップの真ん中に薔薇が落下する。紅と黒の鮮烈な対照(コントラスト)。それはまるでゴオマの肉体に刻み込まれたイコンのように光り輝いていた。

 「ズ・ゴオマ・グ、さらばだ。」

 バルバは立ち上がるとゆっくりと死体に背を向けて歩き始めた。

 時は早朝であった。長い夜が今終わるのだ。ゴオマの肉体に咲いた紅い薔薇が朝日を浴びていっそうその輝きをました。