『鳳仙花のうた』

  

李正子著。雁書館発行。初版1984年9月15日発行。カバ完本。丸背上製四六版。 

 短歌の世界では「虐げられた者の歌」という流れの伝統がある。最近ではいじめられっ子が作った歌、または身体障害者の歌、自分の禿頭(とくとう)を自虐的に詠った歌等が多数存在し新聞、短歌雑誌をにぎあわせている。わたしはそのような短歌を別に否定する者ではない。しかし芸術的完成度から見れば厳しいようであるがわたしはそのような歌を高く評価することはできない。その理由はそのような短歌の多数が「虐げられたこと」に対する怒りをそのまま文字にして書き連ねただけに留まっており、そこになんの発展的なものが感じられないからである。

 さてこの李正子の『鳳仙花のうた』であるが冒頭近くの

   「チョーセン人チョーセンへ還れ」のはやし唄そびらに聞きて少女期は過ぐ」(18p)

等は在日韓国人である李正子の「虐げられた者」としての怒りの歌でしかないだろう。しかし

   「喪の花とこころに名付けしコスモスの咲き群れて祖国の村はあるなり」(118p)

等の本歌集後半の歌になってくると李の激しい怒りは静謐な悲しみへと純化されてゆく。そのような意味でこの『鳳仙花のうた』は個人の怒りの歌集でも政治的プロパガンダの歌集でもなく、李正子というひとりの女性が「差別」をきっかけとして内的な精神的成長を遂げていく過程を詠った歌集であるのだろう。そのような点がわたしが本歌集を十分に評価する理由である。


付け加えるならば「鳳仙花のうた」とは日本による韓国植民地時代にこの花に抵抗と独立の志を託して歌いつがれた民衆の歌曲である。

さて本書は初版発行後、異常な人気が巻き起こり、歌集としては異例の四刷まで増刷された。そして2000年代に入ってからこの歌集の増補改訂覆刻版が出版されるなど現在でも脈々とこの歌集の人気は続いている。それ故に本書の元版・初版本を発掘するのは極めて難しい。どうしても欲しいひとは心を鬼にして探すしかないだろう。