影姫青夜の美的日常


このページには館長夫人である「影姫青夜」の日記が収められています。

2002年2月14日(金)

 なんとも酷い雪でもうウンザリ。外は吹雪きで視界ゼロ。道路はグチャグチャで歩けない。さらに雪かきという単純労働。一日中氷点下で震えながら暮らしている。まったくなんでこんな地方に住んでいるのか?と怒りさえ感じる。そういえば東京は毎日お天気だそうな。フン。いいですね。と、うらやんでもなにも変わらない。大事なのは環境に左右されない「どっしりとした」自己であろう。といってもわたしが「どっしりと」できるようになるにはあとどのくらいかかるのやら。まず初心に帰って一日一歩これを心がけなくてはならない。

2002年11月15日(土)

 連日の親とのゴタゴタで憔悴している。父もうつだし、わたしもうつ。病人が顔を突き合わせると同族嫌悪がおこるのだろうか?たちまち衝突が起きる。一番いいのは父を無視する方法だがそれがどうしてもわたしにはできない。ついカッときてしまうのだ。こうしてうつがひどくなりHPの更新もおぼつかなくなる。全くなんとかしなくてはならない。一番いいのは精神的に父をリードしてゆくことだろう。しかしそのためにはまだまだわたしの精神的成長が必要だろう。難しいものだ。

2002年10月4日(金)

 先日、映画の日にホラー映画『バイオハザード』鑑賞。しかしあまり楽しめなかった。なぜだろう?・・・。
 10代の頃、わたしは根っからのホラー少女だった。ヒマさえあればビデオで当時おおはやりの「スプラッター・ムービー」を観ては興奮したものだ。しかしこの歳になった今、ホラー映画があまり楽しめなくなったということは、わたしが老けたということだろうか?それを「成長」という人もいよう。しかし私は断じてそう思わない。HPラヴクラフトも言っているとおり「恐怖は人間の最も本質的な感情」なのだ。それを楽しめないということはわたしの精神的後退を意味する。
 今後も私は「恐怖」に対する感受性をさらに鋭利に研ぎ澄ますべくホラー映画や恐怖小説を鑑賞しつづけたいと思っている。

2002年9月23日(月)

 京極夏彦『姑獲女の夏』(講談社)読書中。こうして「ミステリ」を読んでいてつくづく思うのは、いかに最近の私が「楽しむため」に読書することを忘れてしまっているということだ。隙あればすぐ「ためになること」を行間から探し出そうとする。そして結局、疲れ果てて読書を止めてしまうのだ。もったいない。思えば小学生のころ私は根っからの読書少年だった。あのころに読んだ乱歩や正史のなんと面白かったことか?それも今思えばあのころは「ためになる」などという考えが微塵もなかったせいであろう。
 カントやショウペンハウエルから「なにかためになるもの」を学び取ろうとした青年時代・・・しかしそれだけでは駄目だ、ということに私は最近気付きだしたようだ。
 「ためにならずともよい」・・・人生は「おおいなるヒマツブシ」なのだから・・・こういう考えを受け入れるにはまだ時間がかかりそうだ。

2002年9月3日(火)

 プライベートな生活上のゴタゴタ・心配事が重なって最近HPの更新が全く手につかなかった。自分が情けないと思う。誰だってゴタゴタや心配事を抱えて生きているのだ。ゴタゴタはゴタゴタ、やるべきことはやるべきこととしてやる、そういう「アタマの切り替え」ができるようにならないと駄目だ。一つゴタゴタがあると生活全部が狂いだしてしまう現象を部分と全体の混同、というそうだが、そういう思考パターンから一刻も早く抜け出さなくてはならないだろう。
 「アタマの切り替え」これは硬い頑固なアタマではできない。柔軟な自由なアタマで始めて可能となる。今後も私は自分の思考パターンを柔軟にするべく努力しなくてはならない。

2002年8月3日(土)

 ようやく苦労に苦労を重ねてHPデザインの一新が完了した。しかしまずいことがなかったわけではない。目次のページにあるヘキサグラムは当初、逆さのペンタグラムだった。素材集にあったから軽い気持ちで使用したのだが、偶然逆さのペンタグラムは「悪魔崇拝」や「悪霊を呼び出す」際に使用されるといった事実を知って愕然としてよりオカルト色の少ないヘキサグラムに差し替えたのだ。無知というのは恐ろしい。私はオカルトを信じる人間ではないが、やはり自分のHPに縁起が悪いものは置きたくない。
 素材集にあるからといって、意味も解らずただ単に「かっこいい」から使用するというのではだめだ。その素材をなぜ自分は使いたいと思うのか?を自分に問うてから使用しなくてはならない。中学生の造るHPとは違うのだ。もっと慎重かつ細心に造らなくてはならない。そのことが今回の事件の教訓だ。

2002年7月6日(土)

 ようやく東京旅行の計画が立ちはじめた。8月下旬。2泊3日。それにしても私はどうしてこう「東京」が好きなのだろうか?それはおそらく高校卒業後から約15年を暮らした「青春の地」であるからだろう。しかし私の東京生活はボロボロの日々だった。それなのに忘れたいとも思わず、また東京に住みたいと思うのはなぜだろう?それは恐らくどんなボロボロの日々でも未来に対する「夢」があったからだと思う。まことに人間は希望をもっていれば、なんとか生き延びられるものだ。その反対に絶望した人間はもろい。
 私もまたいつの日か東京に舞い戻る夢を忘れずにこの北国の生活を大事に生きてゆきたいと思う。

2002年6月22日(金)

 今週からなんとなく鬱気味・・・なにもやる気が起きない。読みたい本、観たいビデオ等、山ほど仕事はあれど手につかず。焦る。しかし焦れば焦るほど鬱の泥沼に沈むだけだ。ここはなんとか欲張らず、日常生活のできることをおろそかにせず、せめてそれだけでも「キチン」とやることだろう。手を広げすぎず、かつ狭めすぎず、だ。
 今日の早朝「目次のページ」のリニューアルを行ったが、少し文字が見にくくなった感じで心配だ。いくら「カッコよい」レイアウトにしても実用性に欠けるのでは全く意味がない。今後のHP作成はここらがキイになりそうだ。

2002年6月10日(月)

 サッカー・WC開幕。私はオリンピックやこの手の大掛かりがスポーツ大会が決して嫌いではない。むしろ今よりもっとやって欲しいと思うぐらいだ。しかし今日の家族のいささか尋常ではない熱中ぶりには参ってしまった。「サッカーは面白い」ここまではいい。十分納得できる。しかし「面白いものだから、お前も見なくてはならない。」こうなると私にはいやらしく感じられてくる。自分の好きなものは自分のなかに留めておくべきだろう。他人に強制するなどもっての他だ。こういった「押し付け」が大掛かりになってくると、いわゆる「思想統制」がはじまるのだろう。・・・といささか辛口なことを書いてしまったが、本日の日本対ロシア戦の快勝は喜ばしいことだ。もっと勝ち進んで私たちを楽しませてもらいたい。

2002年5月20日(火)

 今回の関西旅行で一番感心したのは、大阪の食べ物でもなく、京都の神社仏閣でもない。私は京都の都市管理に一番感心させられたのだ。まず一般の人は「京都」というとすぐ神社仏閣を連想するだろうが、「京都」の面白さはそれだけではない。街全体が極めて明確に区分された正に「人工管理」型の都市になっている点だ。多くの人が知るように京都では碁盤の目のように道が広がっている。これは平安京以来のものだが、現代の京都もこの区画整備を上手に生かして都市計画を進めている。その結果現在の京都のような、新旧のバランスのとれた極めて「人間が心地良い」都市に仕上がっているのだ。
 古い物を上手に生かして、新しい物を盛り込んでいく。これは都市計画では一番の基本だろう。東京がかっての江戸の町をメチャクチャにしてしまった結果が今の東京だ。あれほど住みにくい場所もあるまい。東京よ、京都に学べ!

2002年5月1日(水)

 五十嵐貴久『リカ』(幻冬社)・(第二回ホラー・サスペンス大賞受賞)読了。あきれる。よくこんなのが「大賞」とれたものだ。薄っぺらな文体。陳腐なストーリー、そしてなにより「怖くない」これではダメだ。またはっきり言ってしまえばこの本は一時期人気がでた漫画『座敷女』のパクリである。呆れた。ほかの本を読んだほうが良かった。
 それにしても『リング』から始まったホラー小説ブームももう終わりかと思う。思えば『ぼっけえきょうてえ』以来突出した作品がでていない。なによりこのジャンルの愛好者である私が恐れるのは、「ホラー小説」というジャンルが消滅してしまうことだ。こうなったら私が書くしかないか。よし、一肌脱いでなにか書くか。

2002年4月25日(水)

 最近、夫の金ずかいが荒くなってきた気がする。前後の見境もなく、欲しい本があるとすぐ注文する。これは夫の精神状態が良くない証拠だろう。
 私はマルキシストではないのだが、上部構造(精神)は下部構造(経済)によって規定されるという説を支持している。つまり「金使いが荒く」なれば、自然と「精神が荒廃」してくるということである。それほど「金」というものの魔力は恐ろしい。最近のOLのカード破産などはこの説を端的に裏付ける一例だろう。
 夫も「金」の魔力に屈することなく地道に人生を歩んでいって欲しいものだ。といっても「金」が無さ過ぎるのも困る。「貧すれば鈍する」とはよく言ったものだ。とにかく「金」の問題は難しい。

2002年4月17日(木) 

 更新作業が滞り始めた。なにしろ「黒猫館」の更新だけで精一杯なのにサイト内サイト「CAGE OF SLAVE」の更新もやらねばならぬのだからもう大変である。しかしここで焦るのはよそう。某サイトのAさんも言っているとおり、「強迫的」な更新は「自滅への道」なのだ。私は「黒猫館」を出来るだけ長く続けたいと思っている。そのためには牛歩の歩みでもいいから毎日更新することだ。ただし絶対に無理することなく。また自分のサイトだからといって特別に執着するのもよくない。「たかがHP運営、されどHP運営」という気楽な気分でやっていこうと思う。

2002年4月8日(月)

 「黒猫館」内にサイト内サイト「CAGE OF SLAVE」がオープンした。こちらの管理人は私ということで、夫は一切タッチしていない。それにしても「黒猫館」内にアダルトコンテンツを持ち込むことに夫は反対したが、私は断固として自分の意志を通したつもりだ。「SM」などというものはいわば人間の「悪」の発露の一例だろう。しかしだからといって「反対」する夫と「だからこそ必要」と考える私とでは立場が違うようだ。夫は理想主義者だ。いつの日かこの地上に一切の悪が消え去るだろう、否、べきだ、という固い信念を持っている。それはそれで立派と思う。否定はしない。しかし私は違う。悪・・・または毒と言い換えてもいいが、それは人間に必要なのだ。悪を全く持たない「善人」はやがて「悪」によって滅ぼされるだろう。また古来から「悪」は「強」と同義とみなされていたという事実を忘れてはならない。「悪の研究」これは私のライフ・ワークのひとつである。「CAGE OF SLAVE」が「黒猫館」の「毒」となることを私は願う。最後に私の好きな格言を披露しよう。「天国へ行くには地獄へ行く道を熟知することが必要である。」マキャベッツリ『君主論』より。

2002年4月5日(金)

 ようやく5月の関西旅行のみとうしがたってきた。3泊4日ぐらいで某特撮サイトのオフ会に参加する。宿は格安のカプセルホテル「大東洋」に泊まって宿代をうかせる、という計画だ。
 それにしても今回はぜひ奈良に行きたい。私は昔から古寺が大好きなのだが、どういうわけか京都の古寺にはあまり興味がない。奈良の古寺の方が断然好きなのである。これはおそらく京都の古寺や仏像は「洗練されすぎていて」私の趣味に合わないからだろう。その点、奈良の古寺や仏像は大陸系の荒々しい土俗性がありありとかんじられる。要するに「洗練されていない」のである。「洗練される」とは換言すれば「余計なものが削られる」ということだ。しかし私はまだまだ「余計なもの」にこだわりたい。こんな態度を大人げないと思う人もいるだろうが、私のこの「美」に対する姿勢はあと10年は変わらないだろう。

2002年3月23日(土)

 先日、某サイトで主催者のAさんに批判されてから、落ち込みが続いている。どうも私は「批判」というものがまだ良くわかっていないらしい。「批判」と「攻撃」は全く違うものだ。「批判」は善意において為されるのに対し、「攻撃」は悪意から為される。その意味で私はAさんに感謝すべきなのだが、そういう心境ではないのはまだまだ私の精神は「幼稚」であるという証拠だろう。
 「批判」は受け入れなくてはならない。そのうえで自分の行為・言動を反省するのだ。そういうことを人間関係の「切磋琢磨」という。こういう関係がない所に真の友情は生まれない。馴れ合いの関係は只の時間潰しだ。
 「批判」を受け入れられないというのは結局のところ、自分の「欠点」を見たくないという惰弱な心から生まれるのだ。自分の精神的成長を期待するならばもっともっと厳しい批判を甘んじて受けなくてはならない。もう一度、立ち上がれ。私よ。そして明日へ向かえ。

2002年3月13日(水)

 最近、夫がダイエットをほっぽりだしている。あれだけ一生懸命ジムに通ったのはなんのためだったのか?心底怒りたくなる。これではリバウンドがきて2〜3ヶ月の間にもとの体形に戻ってしまうだろう。夏までにスリムになると言っていたくせになんという体たらくか?(怒)
 私は妻として夫には美しい体形を維持してもらいたいと願っている。いや夫であるという以前に男性として美しくなくてはならないと思っている。男性は美しくあるべきだ。これは私の持論である。
 夫も古書蒐集に注ぐ情熱を1/10でいいからダイエットに回してもらいたいと思っている。週2回のジム通い、40分のラン、500mのスイム、そしてわずかな食事制限、これだけで「美」を手に入れられるのだから安いものだ。どうしてこんな簡単なことをやろうとしないのか?明日からまた私の愛の鞭が唸りそうだ。

2002年3月6日(水)

 ついにHPを3月5日に立ち上げることに成功した。しかし本当に大変なのはこれからだろう。私はHPというものが「単なる雑文の寄せ集め」になってしまってはどうしようもないと思っている。混沌としているなかにも統一したものがある、そういうHPを目指したいと思う。
 しかしそういうことは言うは易し、行うは難しだろう。だいたい「統一された明確な主題」が「黒猫館」には存在しない。一応「病める者たちの憩いの場」と銘打っているが、これでは抽象的すぎて現実にどうHPにそれを反映させていったらよいのかまだまだ模索段階である。
 しかし立ち止まっていてはどうしようもない。とにかく更新を定期的に行うこと、それによって「黒猫館」の「テーマ」が少しずつ見えてくるのを待つしかない。時間をかけること、それによって見えてくるものが必ずあるはずだ。私はそう確信している。

2002年2月12日(火) 

 角川ホラー小説大賞『ジュリエット』伊島りすと、を読了。面白くもないし、怖くもない。こんなのでよく「大賞」が受賞できたものだと感心。この程度だったら私にも書けるわ。(自慢)
 しかし「思い出」が幽霊になって襲ってくるという発想はちょっと面白かった。
 人は誰でも、自分が死んだあと自分についての記憶が他人の中に思い出として「残って欲しい」と思うものらしい。私はそんなウェットな感情を持たないし、持ちたくない。
 しかしもし自分が死んだあと、私のことを思い出してくれるひとがいるとするとちょっとうれしい気もする。
 「葬式」というものが本当に嫌いだった私だが、なんとなく「葬式」の存在意義がわかったような気がする。これだけで『ジュリエット』を読んだ甲斐はあったかな?と思う。

2002年2月6日(水)

 最近、読書が快調だ。今年になってから3冊読破した。もっとも「面白い本」に偶然当たったということもあるだろうが、それだけではないだろう。読書のための時間をキッチリ割く。面白くなくてもある程度は我慢して読み進める。ここいらへんが「読書」の秘訣だろう。しかし読書が「義務」となってしまっては本末転倒だ。読書はやはり楽しくなくてはならないだろう。楽しみながらキッチリ読み進める。これはキッチリとした生活をしてる人のほうが、楽しい生活を送っているとゆう原理と同じだろう。とにかく読書を生活の一部に組み込むこと、これが肝要だ。
 夫にももっと本を読んで欲しいと思う。あれだけたくさんの本を蔵しているのだから。といっても夫は本が汚れるのを嫌がってなかなか読まないだろうが。(笑)

2002年1月30日(水)

 また家庭内のトラブルが発生した。本当に気が滅入る。父が鬱病ぎみだということはわかっているが、そんな父を許せない私は幼稚なのだろうか?同族嫌悪というやつだろう。父のふがいなさをみて私が腹を立てる。そんな私を見て、父が腹を立てる。そしていがみ合い。悪循環としかいいようがない。鬱は「遺伝病」だと主治医に聞いたが、やはりそうなのだろう。
 私の鬱がこのところまた悪化しているようだ。しかし仕事はしなくてはならないし、HP作成の作業をほっぽりだすわけにもいかない。今年の新年の目標は「1日1歩」だったはずだ。そうやって毎日努力していけばHPも出来上がるし、日常生活も改善される。「一日一歩」これは、これだけは譲れない私の矜持である。

2002年1月24日(木)

 夫が最近変だ。以前もだったが最近例の「古本病」がますます悪化しているようなのだ。目録の抽選で外れるとまるで子供のように泣きわめくし、古本が「冊子小包」で届かない日はいらいらとして私にあたりちらす。私は彼が哀れでならない。「古本」などという魔物にとりつかれさえしなければ、もっと平凡だがささやかな「幸福」に満ちた生活を送られただろうに、と思う。しかし私がそれよりもっと危惧するのは彼が「古本」のみで充足してしまい創作活動をやめてしまうのではないか?ということだ。
 人間というものは完全に充たされてしまうとなにも考えなくなる。換言すれば「欠如」こそ文化の源なのだ。かって一人でも「大金持ちの詩人」などという矛盾した者が存在しただろうか?
 私は彼の創る詩や短歌が好きだ。ぜひとも今後も創作を続けてほしいと思う。しかしそのためには古書蒐集と創作活動の両立という困難な課題が立ちはだかっている。
 夫にとっての本当の「正念場」はこれからなのだろう。

2002年1月20日(日)

 今日は秋田市は晴天だった。ここずっと雪や雨の日が多かっただけにかなり嬉しかった。厳冬の中休みといったところか?。それにしても「天気」が私の「気分」に与える影響は計り知れないものがあると思う。晴天だと気分が良くなるし、逆に悪天候だとひどい気分に陥ってしまう。鬱持ちの私としては晴天が続いて欲しいとつくづく思う。
 ある心理学者が天候と躁鬱の関連性を指摘したそうだが、あながち変な考えではないな、と思う。人間もやはり自然の一部なのだから、天候に気分を左右されるのも当然か・・・?と思ったりもする。

2002年1月18日(金)

 思えば、私はなんのためにHPを立ち上げようとしているのだろうか?こうして夜な夜な黙々とHP作成の作業をしながら、つくづくそう思う。いや、なんのために造るか?以前にHPとはそもそもなんのためにあるのか?それさえも私には解らない。
 しかしそのことについて突っ込んだことを考えるのはよそう。今はただ作るだけ。完成してから「HP」というものの意義を少しずつ見出していけばいいじゃないか?と思う。
 今、秋田市は1月下旬、一年で最も寒い時期だ。しかし雪と氷に閉ざされたこの世界にもやがて春が来る。そう思いながら、私は今日もHP作成の作業を続けている。3月1日の開館に向けて。

 

戻る